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michinoxa 『時間は無限 / 重音テトSV』小話

2025年1月17日リリースのアルバム『夢の東』収録曲です。


制作した経緯

自分の体験をもとにした楽曲です。
実体験を全世界に公開するようなことをするのもいかがなものかと思いましたが、自分は「死」をテーマにした楽曲を多く(『早朝のファストフード店』『Necrobiome』『みんないなくなってく』)制作していて、この衝撃的な体験を語らなくてどうする、という気持ちが勝りました。
さすがに個人や出来ごとが特定できないようにぼかしたので、結局不明瞭な歌詞になってしまったかもしれません。

私は普段、マンションの管理人の仕事をしています。分譲マンションの共用部の清掃などをする職業です。
勤務先のマンションとは縁もゆかりもなく、管理会社から派遣されている格好です。

きっかけはある人からの相談

マンションの外観のイメージ


相談してくださった方を小林さんとしましょうか。彼女はこのマンションが建てられたとき、つまり40年近く前ですが、そのときにマイホームとして購入して入居した方で、今も旦那さんと2人で住んでいます。

隣の部屋からちょっと変な臭いがするんです」
管理人室の窓から顔を覗かせた小林さんが、よくない噂でも耳にしたかのように口に手を当てて言いました。
「そうなんですね」
私は努めて神妙な顔をしました。
実を言うと、前にも同じようなことがあったのです。そのときは隣室の方がまあなんというか、人より結構ずぼらな方で、放置した生ごみから臭いがしていた、というオチでした。
ですから、小林さんは人より綺麗好きで、少しだけ神経質で、そして(偏見でしたらすみませんが)中年以上の多くの女性がおそらくそうであるように、少しお節介な方なのかもしれないな、と認識していました。

それに、部屋の前の廊下は私が定期的に清掃して回っていて、そのときは異臭なんか気にならなかったのです。
おそらく、私には気にならないけれども、常時隣室にいて綺麗好きな小林さんには気になるのでしょう。

「ちょっと見ていただけませんか?」
小林さんが少し怯えたような目をするので、私は共にその部屋まで行くことにしました。

並んで立つと、小林さんは驚くほど小柄な方です。声の高さと、住民の組合の話し合いでも積極的に発言しますので、見た目以上に存在感があるのでしょう。自宅だというのに真っ赤な口紅をして、ふくよかなお腹を揺らして階段へ向かいます。

さて小林さんの隣の部屋、角部屋ですので201号室としましょうか、この部屋は小林さんのように分譲マンションとして人が住んでいるわけではなく、購入者が賃貸マンションとして貸している部屋でした。いわゆるマンション投資物件です。
そしてお隣の小林さん夫妻の部屋(つまり202号室)とは違う間取りでした。201号室は元々2DKだったのをリノベーションして1LDKにしたはずです。
だから数年おきに住人が入れ替わっていて、以前住んでいたズボラな方はとうに引っ越し、今は別の男性が1人で入居していました。

この方を仮に清水さんとしましょう。

物腰の柔らかい丁寧な人、という印象があります。資源ごみを捨てにきたときにばったり出くわすことがあるのですが、そのときですらきちんとあいさつしてくれるのです。
しかも大抵部屋着と思われるスウェット姿やTシャツ姿なのですが、毛玉1つも見当たらないようなきれいな状態で、とにかく清潔感に溢れているんです。
資源ごみも頻繁に捨てているようですし、清水さんが生ごみを放置するような性質とはあまり思えませんでした。

どちらかというと、小林さんが清水さんに余計なお世話をしてご近所トラブルになるような事態は避けなければいけません。


2階へ上がります


2階に上がると1月の寒風が体に吹きつけるとともに、たしかに妙な臭いがしてきました。路上生活者のすぐ脇を通ったときにぷーんと香ってくる、あの独特の臭いに近いものでした。閑静な住宅街に立つ、古びてはいるもののそれなりに清潔にしている分譲マンションの廊下の臭いでは、決してありえません。
歩を進めるごとに臭いは増していきます。

「この臭いは、いつからですか?」
小林さんはすっかり怯えてしまい、私の防水のブルゾンに隠れるようにします。それで臭いが薄くなるわけでもないと思うのですが。
「昨夜遅くに旅行から帰ってきたんですけれど、そのときからなんか変だなと思っていて。今朝起きたときも、臭いがなくなるどころかひどくなったように感じたので、これはおかしいと、ご相談に」
小声で捲し立てます。
昨日の昼間に私が共用部の清掃をしたときは何も気づきませんでしたから、それ以降に臭い始めた、ということでしょう。それにしてもここまで強烈になるものでしょうか。

本記事を読んでくれている方の多くと同様に、私は死臭というものを嗅いだことがありませんでした。けれども、これがもしかすると死臭ではないか、と直感的に思いました。例えば路上生活者が道路で息絶えていたら、だんだんとこの臭いが立ち上ってくるのではないかと。

やばい

これはやばい事態だ。
管理人の仕事に就いて初めて、住人の方のご遺体を見ることになるかもしれない。
そう考えたとき、それまでの平常心はどこかへ飛んでしまって、やばいやばいやばい!と脳が危険信号を点滅し始めました。

一刻も早く、清水さんにお話を聞いて真相を確かめなければいけません。
いや、清水さんはとっくのとうに亡くなっていて、私たちはそれを放置しているのではないでしょうか。
つまり、私たちが201号室を訪れても、インターフォンの音ががらんどうの部屋に響くだけで、
マンション投資物件の場合は大家さんの仲介会社に連絡して合鍵を持ってきてもらえばいいんだったか、管理人室に戻ってまずはマニュアルを見なければ
でも仲介会社さんはすぐに来てくれるのだろうか
警察は呼ぶべきなのだろうか
亡くなっているとひと目で分かったとしても救急車を呼んだ方がいいんだっけ
頭の中でやるべきことが次々と浮かんでいき、
それから、自分元来の無責任さから「引き返せるものなら引き返したい」という衝動に駆られます。
膝が情けなく笑っていました。

202号室のドアが開いて、小林さんの旦那さんが顔を出しました。不織布のプリーツマスクがやけに大きく見えます。隣室にも臭いが届いたのでしょうか。

「あ、こんにちは」
どちらからともなく軽く挨拶を交わします。
小林さん夫婦はお互いを発見して目を見合わせました。

「小林さん」
私は後ろを振り返りました。小林さん(奥さんのほうです)の縦皺の寄った唇が、ぶるぶる震えています。
「あの…多分今は、相当な非常事態だと思います。ので、小林さんは自宅に戻っていただいても」
管理人として責務のある私ですらこの慌てぶりですから、ただの隣人の小林さんにとってはどれだけの精神的負担になるか分かりません。悲壮な光景を目にした小林さんの奥さんに甲高く絶叫されても、たまりませんし。

奥さんが声を上げます。
「あ、ちょっと、マスク取ってくれる?」
旦那さんは黙って引っ込みました。ややあって白いマスクを手に持って現れ、それを奥さんに渡します。

「いえ、一緒に行きます。私が言い出したんですし」
彼女は手慣れた様子で耳紐をかけた後、きっぱりと言いました。目の下までマスクで覆われています。先ほどまで「甲高く絶叫されても」などと宣った自分を恥じました。どうやら小林さんの方がよっぽど覚悟を決めているようです。

「管理人さん、よければ」
旦那さんの控えめな声が聞こえてきて、見るとマスクを1枚くれるようです。
「え」
「ああ、うちいっぱい余ってるから。どうぞ着けてください」
奥さんもあっさりとそんなことを言います。
私はご厚意に甘えることにしました。住人の方からのお気遣いがこんなに有り難かったことはありません。思わず目頭が熱くなりました。

マスクをつけると、えた臭いと自分の吐く息がマスクの内側で混ざり合い、逆に不快感が増したような気もしましたが、もう引くに引けません。

私たちは(小林さんの旦那さんはまた扉を閉めて部屋に引っ込みました)、重い足取りで201号室の前まで来ました。ドアの隙間から異臭が漏れています。この部屋が発生源なのは明らかでした。


夕方のような色合いになってしまいましたが、午前中の出来事です


深呼吸を1つします。鼻をつく臭いが肺まで充満するようで躊躇しましたが、そのまま吸いきることにしました。すると異臭の奥の方から、少し毛色の違う匂いが混ざっていることに気づきました。
焦げついたような、木の実のような、何となく不快ではない香りです。それが腐敗臭の隙間を縫うように、ほのかに漂ってきます。油断していると死臭にかき消されてしまうくらいにほのかに。

私は意識して、息をゆっくり吐きました。
インターフォンに手を伸ばします。引き延ばしても仕方がありません。
つづいて、ピンポン、という冷たい電子音。室内の実態が全く分からない201号室にも、もちろん響いているでしょう。

『はい』
返答は、ありました。201号室には生きた人間がいるようです。
そのとき私はこの奇妙な、けれども心地よい香りの正体が分かった気がしました。コーヒーです。挽き立てのコーヒー豆、と言ったほうが正しいでしょうか。腐敗臭に比べてあまりに弱々しく、また、この状況からあまりに想像しがたいので断言はできませんが、香りとしてはかなり近い気がします。

男性の声です。若く落ち着いた声です。清水さんご本人でしょうか。声を聞いたことがたくさんあるわけでもありませんし、インターフォン越しですので、確証が掴めません。

「あ、管理人ですー」
私は努めていつも通りの調子で話そうとしました。心臓が早鐘のように鳴っています。カメラ越しにも鼓動が見えてしまうのではないかと心配になるほどでした。
『ああ、こんにちは』
インターフォンの向こうの声が少し和らいだように感じます。
やっぱり清水さん本人かもしれません。

いっそこの声が、清水さんとは似ても似つかない、甲高い、ネズミのような狡猾そうな声だったら。
むしろ、地の底から這うような恐ろしく、ドスの利いた、いかにもヤクザものらしい声だったら。

そうすれば、見知った顔の住人を疑わなくて済んだでしょう。

『どうかされましたか?』
ドアを開ける気配はありません。どうやらこのまま、会話を済ませるつもりのようです。


コーヒー、飲んでいたんでしょうか。この状況で?


彼の口ぶりは穏健そのもので、まるで私たちが置かれている状況が、何も心配することのない、ありふれた平和な日常であるかのようでした。
実際傍目から見たら、そうとしか見えなかったでしょう。マンションの一室のインターフォンを押す、管理人と隣人。ただそれだけの光景です。

「あの、この付近の部屋でちょっと変な臭いがするというもので、お話を聞いて回ってます」
私は思わずインターフォンから目を逸らしました。何でもないことのように言おうとしましたが、声が情けなく震えています。冬の寒さのせいもあったのでしょうか。体が芯から冷える感覚がして、自分に今体温があるのかすら疑わしくなります。

『……』
返ってきたのは、沈黙でした。
車通りが急に静かになり、住宅街に静寂が訪れます。心臓だけが飛び跳ねるように激しく脈打っています。
ふいに背を虫が這うような感覚がして、思わず背中を払いました。振り返ると、羽織ったブルゾンから舞い上がった細かい埃が漂うばかりです。

『この部屋からですか?』
返答は唐突でした。
驚いたような調子でも、怪訝そうな声でもありません。ただ事実を確かめるような、淡々とした口調です。

こういうとき、どのように対処するのが正しいのでしょうか。ご存じの方がいたらご教示いただきたいものです。もう2度と同じ現場に遭遇したくはありませんが。

私は「いえ、この付近の部屋でちょっと」と誤魔化そうかと思い口を開きましたが、すぐに思い直しました。この期に及んで嘘をつくことに意味はありません。
これだけの異臭がご自宅の中から漏れているのですから気づいて然るべきですし、たとえ臭いに気づかなくても、それ以外の要素で絶対に気づくはずなのです。
つまり、遺体の傷み具合で。

『分かりました』
結局口を噤んでしまった私の様子を見て、彼は全てを悟ったようでした。
再び沈黙が流れます。私の心臓はもう冷えきってしまったのでしょうか、あんなに騒がしかった鼓動が今は気にもなりません。

けたたましい笑い声が聞こえ、私は(おそらく小林さんも)現実に引き戻されました。近所の建設現場が休憩に入ったようで、浅黒い顔をしたつなぎ姿の若者が2人、どこかの言語でべらべらと喋っています。

私はドアに向き直り、ごくりと唾を飲み込みました。話を進めなければいけません。
「清水さ、」
『何ごとにも終わりはあるものですね』
私の呼びかけを遮ってまで彼が口にしたのは、ひどく抽象的な言葉でした。私に何かを伝えようとしているようには思えません。むしろ芝居がかって聞こえます。どこかからの引用なのでしょうか。一体何を考えているのでしょうか。
「え?」
『警察を呼ぶなりなんなり、好きにしていただいて構いません。でも、僕たちのことはもう放っておいてくれませんか
あくまで社会人らしい柔和な言い方でした。が、それは明確な拒絶でした。それなのに、警察を呼ぶなり好きにしてくれと言います。当時の私にはもう何がなんだか分かりませんでした。

彼が「終わり」と諦めたのは、何のことなのか?

「僕たち」とは一体誰のことなのか?

冷静になって、警察の方や報道から情報を得ることができた今では「こうだったのではないか」と(少なくとも、想像を混ぜて1曲書けるくらいには)推測することができますが、非常時になると思った以上に頭が回らないものです。

私は結局、何も答えられませんでした。

『失礼いたします』
営業の電話のようなそっけない挨拶のあと、インターフォンからプツリという音が聞こえました。切られたのだ、と気づくのに数秒かかり、そして、次に何をすべきか考えるまで、さらに数秒を要しました。
通りでは建設作業員がまだ笑い転げています。


玄関にお邪魔させていただきました。ありがたい、、、


隣の202号室は玄関にまで暖房の暖かい空気が届いていて、どこかのお土産らしき置物、ゴミ袋の在庫、マイバスケットなどがそれなりに整理されて積み上がっています。
リビングから漏れ聞こえる点けっぱなしのテレビの音声や、水回りのどこかから耳に届く換気扇の回転音が、私をやっと日常に引き戻してくれました。

小林さんは先ほどまでの怯えた表情から一転、困惑の色を濃くしています。その様子を見て、旦那さんがさらに戸惑っているようです。

「小林さん、110番をお願いできますか」
私は玄関のドアを閉めるなり、それでも小声で言いました。旦那さんがさらにぎょっとして、奥さんと私を交互に見やります。
「異臭騒ぎとして110番しても、おかしくはないと思うので、お手数ですが、お願いします」
「管理人さんは?」
「他の部屋の方に事情を説明してきます。何も知らされずに警察の方が来たら、びっくりしてしまうと思うので」
ご夫婦は揃ってこくこくと頷きます。
事情をご存知で、かつ協力してくださる方がいたことは幸運でした。1人で通報して、事情を説明して回っていては、精神的にさらに大きな負担になっていたでしょう。

「では、お手数ですみませんが、よろしくお願いします」
頭を下げて部屋を出ようとしたとき、先ほどと全く同じ言葉を口にしていたことに気づき、内心で苦笑しました。

「管理人さん」
呼び止めたのは奥さんのほうでした。顔面蒼白とはまさにこのことで、マスクとどちらが白いか分かりません。
「あの、顔色がだいぶ優れないようなので。ご自愛ください」

結局何が起きていたか

201号室からは1人の女性(まだ10代半ばだったそうなので少女と言った方がしっくりくるかもしれませんが)の遺体が見つかったそうです。

この件はよくある殺人事件として報道されました。
少女はSNS上で清水さんと知り合い、一緒に死ぬために清水さんの自宅、つまり201号室を訪れたそうです。清水被告の供述によると、少女から「殺してほしい」と頼まれ殺すことにした、ということでした。
いわゆる嘱託殺人というやつですね。
清水さんは少女の依頼に応え殺害したあと、1週間ほど一緒に過ごしていたそうです。

報道によると、近隣の住民から「異臭がする」と通報があり、警察が遺体を発見するに至りました。


おわりに

私は愚痴をこぼすのが下手で、嫌なことや悲しいことがあったときに誰かに話すことで発散することができず、こうして曲を書いているところがあります。だからといいますか、(冒頭でも述べた通り)「死」をテーマにした楽曲が多いです。
誰かが亡くなったとき、いくら悲しんでも、泣いても、その人は帰ってきません。
もちろん曲にしたって帰ってこないのですが、個人的には、少し気持ちを清算できているように感じます。
またこれは最近気付いたんですが、制作した曲を聴くことで当時の気持ちを少し思い出すことができます。故人を思い返す時間になるんです。

本作では、歌詞では表現しきれなくて勢い余ってnoteも書いてしまいましたが、自分にとって少しでも気持ちの整理になればと思い、書かせていただきました。
自分の楽曲とnoteが少しでも刺さる方がいれば、こんなに嬉しいことはありません。

今回は以上です。

この物語はフィクションです。
実在の場所や人物などには一切関係ありません。
全部作り話です。

歌詞の全文は以下の通り。
是非読みながら聴いてみてくださいね。

歌詞

今朝はずいぶん重そうな雲が
空を這っている。
成田発、白い飛行機が雲に潜っていく。

透けるような、黒のハイネックに
青いYシャツ
マグいっぱいのブラックコーヒーを口に運んでいく。

ここでは急がなくていい。
いくら経ってもお腹は減らない。
滅多に、君は怒らない。
張り付いた薄笑い

手に入れたはずだって
僕の心は
僕の時間は
それでも何か足りなさそうだ
片付けられたマンションの部屋の中

気づいてたはずだって
時間は無限
終わらない夢
心から欲しいものをもし、知ってたら
君と僕だって、出会わなかった。

社会では、人と人同士が攻撃し合ってる。
窓1枚隔てたこの部屋はいつも静謐
君の本音が、薄目を開けてこちらを見ている。
引き裂いた新聞の破片が、床に散らばってる。

気づいてたはずだって。
時間は無限
細口のケトル。
ライトグレーのカーテン。

ここでは、急がなくていい。
だからずっと、腹の探り合い。
口を開けば、薄っぺらい戯言ばかり。

でも聞き飽きたんだって
その建前は
君の言葉は
それでもまだ解ってなさそうだ
「何故ずっと黙ってるの? 答えてよ」

手に入れたはずだって
僕の心は
僕の言葉は
昔から欲しいものを思い出せたなら
君は僕のこと、求めなかった。

時間は無限
終わらない夢

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