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愛犬によって「外の世界」へ誘われた 超凄腕バイヤー
vol.1
ゲスト:岡田保久(おかだ・ほく) (53、いぬ年生まれ)
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岡田保久中小企業診断士事務所 代表
株式会社松坂屋(現:株式会社大丸松坂屋百貨店)・本店に約28年勤務。2022年2月に退職し、経営コンサルタントとして独立開業。
早期退職優遇制度を利用して独立開業を決意
岡田保久(以下、岡田)が、大学卒業以来28年間働いた百貨店を退職したのは2022年2月、コロナ禍の「終わりの始まり」の時期である。
コロナ禍、岡田は食品売場にいた。「大変やった。お店も生活インフラに関わる食品フロア以外は休業してるし、お客さんはこない。お店のスタッフが次々とコロナ陽性になって、保健所への連絡や手続きがあるし、そのテナントを開けるのかどうかの対応で1日が終わってた」。
2021年6月、コロナ直撃により業績が悪化した社内で、45歳以上を対象に期間限定の早期退職希望者が募集された。これを機に、岡田は「自分年表」を作成。今までの人生を1年刻みに振り返って自己分析をし、仮に独立開業したらどうなるだろうと5ヵ年の事業計画をつくってみた。家族にも相談した。そして「辞めるなら今やな」と考えた。
その頃、お世話になった上司や父親が相次いで亡くなったことも、独立を決意するきっかけとなった。「命には限りがある。日日是好日。好きなことをして人生の後半を楽しもう」。
退職後、失業保険をもらいながら、中小企業診断士として開業する準備を始めた。正式に開業したのは2022年11月1日「犬の日」である。
犬を飼って勉強が始まる
独立開業を決意する前から、岡田は職場の外に出て勉強していた。「きっかけは犬なんや」と言う。曰く「風が吹いたら桶屋が儲かるみたいな話なんだけど」。
もともとインドア派だった。2007年に義理の父親が経営するペットショップから新築祝いとして生後3か月の仔犬を譲り受け、毎日、犬を連れて散歩に出かけるようになった。散歩ができるならウォーキングができるんじゃないか。ウォーキングができるならランニングができるんじゃなかろうか。ランニングができるなら…生活スタイルは大きく変化し、最後はマラソンを走るまでになった。初めてフルマラソンを完走したのは、2013年である。
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その達成感を今度は「勉強」に変えてみようと考える。人生のうちで、数年ぐらい死ぬほど勉強してもいいんじゃないか。2015年からの3年間、1日5時間勉強する生活が始まった。「トータルで5,000時間は勉強したと思う」。結果、2017年に、MBA(経営学修士)資格、中小企業診断士資格をダブル取得する。
この過程で異業種の友だちが100人以上でき、百貨店しか知らない自分は井の中の蛙だと感じた。異業種、他企業の友だち、別の価値観を持つなかまとの刺激的な議論を通して、岡田の世界は広がっていった。
中小企業診断士の養成課程のなかま5人のうち、3人が岡田より先に中小企業診断士として独立した。それを見て、ある程度の見通しが持てた。「独立を決めるのに、自分の内側からだけじゃなくて、外からの動機付けも欲しかったんやと思う」。岡田は4人目になるべく、退職した。
百貨店でもめっちゃ売ってました
岡田が「ダメな百貨店マン」だったのかというと、決してそうではない。むしろ、華麗なキャリアの持ち主と言ってよい。
入社後、最初に配属されたのは婦人靴・ハンドバック売場だった。自分では使えないもの、使ったことがないものを販売するのは難しい。「女性の靴って履きにくいよなあ。オレ、1回、おっきいサイズの靴を履いてみたけどさ」。履きにくいという実感がなせる技と言うべきか、足の健康、歩き方講座などのアイデアを出し、新規の催事「靴まつり」を企画する。従来の靴の販売にとどまらず、足の健康セミナーを合わせて展開し、この部門での売上記録を塗り替えた。
その後、催事企画専門の部署に異動。ここでの大きな仕事のひとつは、「北海道物産展改革プロジェクト」だった。1年をかけて見直しを行い、満を持して開催した北海道物産展では、前回売上比151%、1日当たりの売上日本一の数字をたたき出した。日本一の記録は、2023年現在も破られていない。
2011年、松坂屋は大丸と合併した。組織改編の業務共有化・合理化により人員は減り、さらに多忙を極めることになったが、幸い、大丸出身の、理解ある上司と巡り会えた。2018年まで物産展食品担当バイヤーを務め、20本以上のTV出演やこれまでにない新たな物産展の立ち上げなどに取り組んできた。
「1日5時間勉強した」のは、ちょうどこの頃と重なる。どうやって時間をやりくりしたのだろうか。「まあ、睡眠時間を削るしかないわなあ」。
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無意識に「外」へむいていった
多忙な物産展食品担当バイヤーは、なぜ1日5時間の勉強を自らミッションとしたのか。
KKDという言葉を岡田から聞いた。勘(K)と経験(K)と度胸(D)、それぞれの頭文字を取った略語だという。今、中小企業診断士としての岡田に対し、中小企業の社長は「こうやったら売れる」というアイデアをなんとなく出してくる。KKDだ。岡田はそこに根拠(理屈)を加える。そこが中小企業診断士の仕事だ。KKDと根拠は車の両輪であり、どちらが欠けてもダメなのだと言う。
岡田は、物産展バイヤーとして、「車の両輪」を求めたのではないだろうか。KKDではいつか頭打ちになる。そんな不安もあったはずだ。
さらに、独立後に気づいたのが、「人間関係のストレス」である。大きな組織である以上、働く者同士の相性もあり、トラブルは避けられない。「初めて気づいたんやけど、考えとった以上に組織の中での人間関係のストレスを自分は感じてたんやなあって思った。ほんまにすっきりしたわ」。MBA取得のなかまが新鮮に感じられたのは、そういう背景もあったのだろう。
実力ある物産展食品担当バイヤーは、「仔犬がきっかけで…」と言う。「ダメなら、そのまま百貨店勤務のままでいいと思ってた」とも言う。だが、自らを「外」へ放つ、次の世界へ向かうタイミングをなんとか捉えようとしていたのではないか。そのための準備を無意識に、しかし着々とすすめていたに違いない。
「ありがとう」と言ってもらえる仕事へ
中小企業診断士には、それぞれに得意な分野がある。地域の特性もあり、愛知県は製造業、三重県は観光業、サービス業、農業を得意分野とする診断士が多い。前職を活かしていることも特徴だ。
岡田が得意とするのは、販路拡大だ。百貨店では「売り込みに来られる側」だった。独立後は逆転した。「売り込むにはどうすればいいか」を考えるのが今の仕事である。岡田はこれを「ありがとうと言ってもらえる仕事」と表現する。これまで、お客さまに「ありがとうございました」と頭を下げる側だった。「今は、相談相手に成果や気づきがあった場合、ありがとうって言ってもらえる。感謝してもらえるのってほんとにうれしいよね」と話す。
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三重県での仕事を多く抱えているのも岡田の特徴だ。独立後、国が設置する無料経営相談所「三重県よろず支援拠点」にすぐに応募、採用された。現在、三重県内の経営者に対して様々な相談にのっている。ちなみに、岡田は江戸時代より代々町制に携わってきた家系の直系子孫であり、親族には三重県内の大手企業で役員を務めた人物もいる。「ふるさと重視のDNAを自分は持っている」と言う。
独立して3年間は、仕事を断らないことを自分に課した。1年目はマラソンを走るのも躊躇した。「走ってる場合じゃない…」と不安だった。体重は約7㎏増えた。その甲斐あって、今はスケジュールがいっぱいで、新規の相談は2、3か月待っていただいている。
2023年8月には約16年間一緒に過ごし、人生を変えるきっかけとなった愛犬・ブブちゃんが息を引き取った。岡田が中小企業診断士として一人前になったのを見届け、安心するかのように穏やかな最期だった。
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岡田の現在の目標は、経営者を動かし、1社でも多く収益の拡大を支援することである。将来は中小企業診断士として本を書くことと学校で教えることを目標とし、それには5年、10年はかかると考えている。その間に、岡田のコンサルティングによって、どれだけの企業が事業を拡大できるだろうか。どういう手法が中小企業の売上を伸ばすだろうか。
日本経済の停滞は、おそらくこれからも続くだろう。劇的な改善は望めそうにない。とくに地方経済の停滞は深刻である。ただ、そうなればなるほど、中小企業診断士が手腕を発揮できるチャンスは増えていく。そこにこそ岡田の活躍する場所がある。ここからだ。
経験と知識を着実に積んだ30年。百貨店という業態は「失われた30年」の象徴と言えるが、岡田はいっしょにしぼんだり倒れたりせず、誠実に勤めながら自分の力をつけていった。たどりついた中小企業診断士という仕事は、岡田にとっての天職だ。
「岡田保久・著」の書籍発行は、そう遠くないのかもしれない。