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そうだ。坐禅しよう!と京都へ行って


自分のなかで区切りを付けたくて、坐禅しようと京都に行ったのが一年前。「そうだ。京都へ行こう」と思いつきだったのもあり、正直、何しに行ったんだろう?感も否めなかったけど…帰りに寄った、京都御所の隣にある梨木神社の雨音が今も残ってる。

坐禅を組むと呼吸が深くなって、感度も上がったのか、京都御所ってすごいパワーが漏れ出てるんだなぁと初めて気づいた。何年か前に京都各所を自転車で巡っていた経験から多少土地勘もあって、帰りの一日はテキトーに気の向くままぶらり。やはり下鴨神社と鴨川が好きだなと思った。そんな具合で、あらためて京都という土地のパワーを感じたのが一年前。


「大人になると毎年変わり映えしない」
 子どもの頃、耳にしたそれは嘘っぱちだった。

特にここ数年、一年ごとにまるで見える風景が違う。
それでも、2023年は大きな節目だったと思う。
その目印に京都へ行ったのかな。


それにしても、「行こう」と思えば、行けちゃうんだよね。どこへだってさ。そんなの当たり前かもしれないけど、自分を縛る制約って、案外自分で塗り固めているものなのかもな。

心に刺さった小さなトゲがたくさん。どうしたら抜けるんだろう?とか思っていたんだけどさ。そんなん、自分が心カチコチにしてるからだってハッとした。


ただ呼吸していると、ほんと自分は、ただの空気の通り路。
自分は何々だ、なんて質感もない。水の塊。


心が水のようだったら、そもそもトゲは刺さらない。
もし濁ってしまったとしても、水蒸気になればいい。
ほとぼりさめたら、雨となってまたどこかへ…

二泊三日朝晩坐禅して、最後、そんなイメージが浮かんだ京都。


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コロナ禍が始まったときは小学生だった親戚の子が、今年修学旅行で京都に行ってきたという。お土産ももらった。龍の天井画が凄かったと言っていたけど、どこのお寺だろ。初めての京都はどうだったのかな。京都でみた風景たちが浮かぶ。





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