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『ひびわれ壷 The Cracked Pot』
これは「インドの民話」として、メールからメールへと広まり取り上げられている物語のようです。
物語の見方はそれぞれですが、ぼくにとってこの物語が心に響いたのは、「どんな自分も恥じる必要なんてない」というところではなくて(それもそうですけども…)、
たとえ自分は自分を恥じているままだったとしても、自分のできることを精一杯続けていたら、どこか欠けた部分のある自分の行いを、思いがけない素晴らしいことのために活かしてくれる人がいるんだ
というのを感じたからです。
自分のやっていることは、たとえ、自分ではまるで気づかなかったとしても、自分の意図や思惑といった想定していたことなんて軽く飛び越えて、もっとずっとわくわくするような世界をつくる役に立っている・・・のかもしれない。そんな風にぼくは思いました。
『壷』は『水をためておくもの』というのは、誰かがつくった役割のひとつです。それは大切な役割ですが、『壷』の可能性は人の数だけ見出せると思います。
それとも、
『ひびわれている』から『障がい者』ですか?
『腰にくびれがある』から『女性』ですか?
仮に『そう』だとしても、『その壷』の中に入っているのは『何』でしょうか?『その壷』が生き生きと輝けるのは、どんなことでしょうか?
“社会が求めるもの”ではないひび割れている自分だからこそ、自分の足元を見つめ、種をまこう。そうして地道に歩み続けていこう。それで十分。