『値段の決まっていないコーヒー』を通して見えるものは…
自分が買うものの値段を、自分で決めたことはありますか?
ぼくがお出しするのはコーヒーですが、「定価」はありません。そこには「相場」もなくて、ただ素直に感じた気持ちを基準に「自由」に値段を決めてもらっています。一応、10円単位で。
でも、そんなシステムに戸惑う人も多いかと思います。
「普通、定価があるのが当たり前。お客様に考えさせるなんて非常識。失礼にも程がある」
…どこからか、そんなお声を頂戴しそう。
あるいは、「困る!」でしょうか?
この言葉は、よく言われます。
でも、だからこそ、ぼくは提供したいと思います。
「値段の決まっていないコーヒー」を。
「自分を味わう」ために。
ぼくはこんな風に感じてきました…「普通」は自分が通ってきたところで、「当たり前」は自分が目の当たりにしてきたもの。そうして、常に認識してきた物事から構築されたのが「常識」。
それが「自分のものさし」。
ぼくらはいつも周りを見回して、相手を図り続けている。
けれども、その図るために大切な、「自分のものさし」を見直したのは、いつだろう?
ぼくが提供しているのは、『コーヒーを通して自分と向き合う時間』。
『値段の決まっていないコーヒー』と向き合い考えようとしているとき、向き合う先にあるのは、本当は「自分のものさし」なんだと思います。
自分は、一体何を基準に物事を判断してきたんだろう?
自分は、何をどう感じてきたんだろう?
だけど、それを「基準」にしても大丈夫だろうか?
…きっと、不安は尽きませんよね。
だけど、だから、大丈夫です。
ぼくは、お兄さんでもお姉さんでもない珈琲屋。
Reiという名をもつ、女性でも男性でもない、ただの人です。
「自由」は「自らに由る」からこその「自由」ということで、素直な自分の感覚に従って、自分なりに表現してみませんか^^?
何に対して、どれくらい支払うのか。
その自分は一体何者なのか、も。
もちろん、〈枠〉に沿ったって構わないし、〈枠〉からはみ出したって構わない。そんなゆるさで、わくわくと、〈枠〉そのものに向き合ってみるのも、また一興。
そうして見えてくるのは…
「自分は自分だ!!」
そう堂々と居られる世界、なんじゃないかなって。
ただ、
ちょっと飛躍し過ぎ、
そう感じるでしょうか?
でも、知り合いのおじいちゃんに、「おれはもう歳だから、ついてけないなあ😂でも、すごいよ本当!」と、素直な感想をもらったこともあるのです。
そのおじいちゃんは、ぼくのジェンダーアイデンティティを知ってくれていて、理解はできないけれど、「そうゆうものなのか」と、そのまま素直に受け取ってくれた人なのです^^
立場も世代もジェンダーアイデンティティも飛び越えて、「なんだかよくわからないけど好いね!」と言い合えるゆるやかさで、ワクワクできたらいいなって思うのです。
そんなわけで、『値段の決まっていないコーヒー』がつないでくれる未来を、ぼくはワクワクとした気持ちで眺めています。