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『ダブルゼータくん ここにあり』こいでたく作

 ぼくが小学生の頃、心のバイブルとしていた漫画がある。わずか二巻で完結するその漫画は、何にもわかっていなかった子どものぼくに、大事な物事の見方を教えてくれた。

 ガンダム好きにもあんまり知られていない隠れた名作だと思う。
 お兄ちゃんが買っていたその二巻目(なぜか一巻目はなかった)を、繰り返し繰り返し、身体に染み込ませるように読んでいた。

 お話は、『のんびりしていると今の世の中の動きから置いていかれる⁉︎どうしよう‼︎』ってお話から始まって、『何でも売ってくれる行商人』とのお話、『保護鳥ガウの親子』とのお話、『こわい夢「ぐもらごもも」』のお話なんかが続き、最後はダブルゼータくんのやりたいことでおわる。

 ぼくは色んなことがわかってない子どもだった。
 だけど、わかってなかったから素直にダブルゼータくんと同じ目線で、どうしてだろう、どうなるんだろう、って一緒に考えたんだ。

 マラサイさんは言ったんだ、「自分のペースで行けばいい。目的地さえ見えていればね」。だけど、目的地も見えていなかったら、進んじゃいけないのかな?ゆっくりと歩きながら、見えてきたものに向かって自分のペースでいきたいんだけど…それじゃだめ?

 もし、『自分の一番欲しいモノ』を手に入れるために、『自分の一番大切なもの』を交換しなくちゃいけなかったとしたら、『その一番欲しいモノ』には一体どんな価値があるんだろう。それがまた、『自分の一番大切なもの』にでもなるのかな?
 そうやって、『自分の一番欲しいモノ』ってやつを手に入れるために、『自分の一番大切なもの』を交換し続けるのが、生きる、ってこと?
 ぼく、そうゆうの、いやだなぁ。

 誰かが「これは大切にしなければいけないんだ」って言ってたら、それはやっぱり、『大切にしなければいけないもの』、なんだと思う。
 だけど、誰かの言う『大切にしなければいけないもの』だけ、大切にしていれば、それでいい、ってことにはならない…よね?きっと。
 ぼくにはぼくの『大切にしたいもの』ってあるし、誰も何も言わなくっても、『大切なもの』って、きっとある。

 『大切にしなければいけないもの』。そう誰かに言われるから、『大切にしなければいけないもの』なんじゃなくて、そもそもが『大切なもの』。だから『大切にしたい』。そう願うんだ。きっと、たぶん、そう。

 一見、『怖い化け物』のように感じても、『わけわかんないもの』としか思えなくても、それは、きっと、勘違い。

 ちゃんとよく見て!見た目にとらわれないで、ちゃんと聴いて!この存在が一体“何”であるのか、ちゃんと向き合って!お願いだから気づいてよ!

 恐ろしい姿となって現れたのは、自分の気持ち。
 必死に訴える、自分の素直な気持ち。

 自分の本当の願いに気づけたら、初めて自分が何のために何がしたかったのか、見えてくるんだ。自分の向かうべき目的地が、やっと見えるんだ。

 ぼくは、それを教えてもらった。

 『ダブルゼータくん ここにあり』こいでたく作

 やっぱり、名作だ。
 ぼくはそう思うよ。 


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