私の書く文章は、芸術なのだと悟りました
私は、思考に枠をはめてものを考えるのが得意ではありません。
例えば、読者に受ける文章を書こうとか、市場の需要のある文章を書こうとか考えながら文章を書くのが苦手で、できないのです。
それとは逆に、何の制限も設けず、自由に文章を書こうと思ったらいくらでも文章を書くことができます。それは駄文と呼ばれるものかもしれません。しかし、私には、そのようにして文章を書くことしかできないのです。
自由な発想の炸裂。これが、私の文章です。だから、私の書く文章は、芸術なのです。
私は、文章を書きます。読者は、私の文章を読みます。そして、読者は、何らかの感想を持ちます。それだけです。
私の書く文章は、高く評価されるかもしれませんし、低く評価されるかもしれません。あるいは、全く注目されないかもしれません。
しかし、他人からの評価は、私にとってあまり大切ではないのです。私は、私の書きたいことを書きたいのです。わがままでもいい。自分勝手でもいい。好きなようにすれば良いのです。
私は、自分を表現したいのです。私は、聴覚を主に使って情報処理するタイプの人間です。だから、言葉を扱うことが好きです。文章を書いているのも、言葉を扱う分野だからです。
私は、言葉で自分を表現したいのです。そして、私は、自由に自分を表現したいのです。だから、私は、枠にはめられるのが好きではありません。枠にはめて思考するのも苦手です。
私は、平和を愛しています。日々、平和に暮らせて、最高に幸せです。様々な自由を満喫できるのも、平和だからです。私は、この平和を、いつまでも護り続けていきます。
私は、世界恒久平和実現事業を立ち上げようと考えています。事業内容はまだ固まっていません。なぜ、私が、世界恒久平和実現事業を立ち上げようとしているのかと言うと、世界平和を望む人が、世界平和の実現に役立つ仕事をして生計を立てられるようにしたいと考えているからです。そのような人が、世界恒久平和実現事業に就職して、世界平和の実現に役立つ仕事をする世界を築きたいのです。
誰にでもできる、世界恒久平和実現に役立つことがあります。それは、日々、平和に暮らすことです。1人でも多くの人が、平和に暮らすことが、世界平和の実現に寄与します。そして、全世界の全ての人が、平和に暮らすようになったら、世界平和の実現です。そして、その世界平和をいつまでも続くようにすることが、世界恒久平和実現事業です。
ところが、この世界は競争社会です。人々は、日々、他人と競争しながら暮らしています。競争は争いですから、競争している限り、平和には暮らせません。競争社会の中で、平和に暮らすためには、どうすれば良いのでしょうか?平和に暮らすことは、誰にでもできることと書きましたが、正確には誰にでもできそうでできないことでしたね。
この世界から、競争をなくすことはできません。なぜかと言うと、同業者間の競争をやめたとしても、他業種の企業の商品との競争にさらされるからです。本当に競争をなくそうと考えたら、世界に唯一の商品種類しかない、とても不便な世界になってしまうでしょう。しかも、その商品が何かは、誰にも分からないのです!そして、決してそんな世界は実現しないでしょう。
だから、人は、競争しつつも、平和に暮らすことを実現しなくてはなりません。つまり、平和とは、争わないことではないのです。争いはあっても良い、その争いが平和的であれば良い、ということなのです。そのためには、争いにルールが必要です。そのルールは、法律などの形で与えられています。他人の権利を侵害せず、社会正義に適する形で競争する分には、平和的と言えるでしょう。
つまり、競争社会における平和的暮らしとは、法律などのルールを守り、他人の権利を侵害せず、社会正義に適する形で競争する暮らしということになります。
あなたも、平和的暮らしをしてください。それが、世界恒久平和の実現に寄与します。