vol.2 一次産業に新たな風を吹かせた ファーストペンギン〜みやじ豚:宮治兄弟のはじめの一歩〜
ミチナル新規事業研究所、特派員の若林です。
組織に潜む「ファーストペンギン」が一人でも多く動き出して欲しい!という想いで知恵と勇気を与える記事を定期的にお届けしていきます。
第二号の記事では「みやじ豚」という新たなブランドをつくり、兄弟で一次産業を変える挑戦をし続けている兄/宮治勇輔氏・弟/宮治大輔氏のはじめの一歩を紹介します。
「こんなうまい豚肉を親父の代で終わらせてはいけない」
宮治兄弟の実家は神奈川県で長く続く養豚農家であった。
兄の宮治勇輔氏は大学時代、友人と父親の育てた豚肉でバーベキューをしていた。その時に友人から「また食べたい!どこで買えるの?」と聞かれて答える事が出来なかった。実家の豚肉がどこで販売されているかわからなかった彼は父親に聞いた。すると「流通の過程でどの農家の肉も一緒にされ、店頭では誰が育てた肉かなんてわからない。」という説明があったという。
その時彼は、実家の豚肉がこんなに美味しかったという驚きと流通に関する違和感を感じたという。
そんな原体験を内に秘めながらも、家業に特に興味を持つこともなく、大学を卒業した彼は大手人材派遣会社に就職をした。父親は養豚を継いでも継がなくてもどちらでも良いと考えていたが、起業を志して勉強をしているうちに、農業の魅力と可能性に気がつき実家に戻る決断をしたという。
大学時代に感じた現状に対する違和感、起業を志し勉強を重ねる中で知った農家を取り巻く過酷な実情を変えるためには農業の仕組み自体を変える必要がある。
そう考えた、彼は『きつい、汚い、かっこ悪い』3K産業と言われている一次産業を「かっこよくて、感動があって、稼げる3K産業に。」というビジョンを掲げ、株式会社みやじ豚を弟と共に設立した。
「金なし・コネなし・ノウハウなし」からのスタート
実家に戻り、養豚を継いだ彼らは「金なし・コネなし・ノウハウなし」からのスタートだったという。しかし、小さくできることから始めようと考え、友人や元同僚850人にこのようなメールを送った。
「会社を辞めて実家の養豚業を継ぎました。かっこよくて、感動があって、稼げる3K産業にしてみせます。応援してください。つきましては、バーベキューを開催するので是非食べにきてください」
このメールは思わぬ反響を呼び、一次産業を変えたいという思いに賛同した人たちがバーベキューに詰めかけてきたという。
「生産からお客さんの口に届けるまで一貫してプロデュースをする。顔が見える相手に直販で売れば『みやじさんの豚美味しい〜』って声も聞けて、感動が生まれる。うまくて安全な豚肉を食べてもらえれば、お客さんもつき、稼げるようになる。」というストーリーを考えていた宮治昌義氏。
丹精を込めて作った豚肉を「おいしい、おいしい」と言って喜んでくれる人を目の前で見たときに、思い描いていたストーリーは間違ってないと確信したという。
以来、毎月開催するようになったバーベキューは口コミで参加者が増えていき、メディアの取材も来るようになった。それに伴い、評判を聞きつけたレストランや銀座松屋と取引も始まった。その後もNPO法人「農家のこせがれネットワーク」の代表としての活動や大学での講演など活動の幅を広げながら、ビジョンの実現に向けて挑戦をし続けている。
コロナの影響で4月には売り上げが8割も減った。その中、売り上げのメインであった飲食店への販売から、個人向けのオンライン販売へシフトした。その甲斐あってオンラインショップの売り上げは5倍増しになり、冷凍送料無料特典付きで様々な部位が入った10,000円台のセットは完売するほどの売れ行きとなっている。
心の中にある小さな違和感が生み出した新規事業
宮治昌義氏が事業を生み出したきっかけにあるものは、「流通の過程でどの農家の肉も一緒にされ、店頭では誰が育てた肉かわからない」という現状に対する違和感だ。
その違和感を掘り下げると、一次産業そのものの問題点が表出し、新規事業開拓のチャンスを発見することが出来た。
また、ビジョンを実現するためにまず小さくても早く行動をしてみることが重要だと改めて学ぶことが出来る。メールを送ってを知り合いを呼び、バーベキューを実施したことが、この事業の大きな転機となっている。
今までの経験の中にある小さな違和感に新規事業につながるアイデアが隠れているかもしれない。そのアイデアを見つけることが出来たら、自分の今できる範囲で小さく行動に移してみる。そうすることで、多くの人を笑顔にする事業が生まれることを示してくれるはじめの一歩であった。
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