vol.12 「世界の知見をつなぎ」イノベーションを誘発するファーストペンギン 〜ビザスク端羽英子氏さんのはじめの一歩〜
ミチナル新規事業研究所、特派員の若林です。 組織に潜む「ファーストペンギン」が一人でも多く動き出して欲しい!という想いで知恵と勇気を与える記事を定期的にお届けしていきます。 第12号の記事では株式会社ビザスクを立ち上げ、「世界中の知見をつなぎ」イノベーションを誘発し続けているの端羽英子さんのはじめの一歩を紹介します。
学生結婚をきっかけに将来のビジョンが変化する
熊本県出身で父親が地方銀行勤務、母親は専業主婦だったという端羽英子氏は3姉妹の末っ子で一番上の姉とは10歳違いだという。そのため、大人が近くにいる環境で活発な幼少期を過ごした。
父親は彼女に仕事の話をよくしていたこともあり、幼いながらに働くって良いな。と思っていたという。「なぜ銀行が経済に役立つのか」といったお金の流れの仕組みも教わり、そこで得た知識を元に、父親相手に”貸金業”を営んでいたこともあった。現在の仕事に対する取り組み方も父親の影響を強く受けていると語る。
高校での成績も良く、勉強が好きだったという端羽氏は東京大学の経済学部に進学。歴史好きで”歴史に名を残したい”と考えていた彼女は「歴史に名を残すためにはイチビジネスマンでは難しいな」と考え、経産省を希望するようになった。しかし、大学三年の時に結婚することになる男性と出会い、勉強するよりも恋のほうが楽しくなってしまったと語る。留学できるくらい稼げば良いという考えになり、民間企業への就職に切り替えた。就職活動をしている中で、ゴールドマンサックスのインターンに参加。部門ごとに採用するスタイルがプロフェッショナルだと感じて受けたところ、見事採用された。
その後、就職する直前の3月に当時付き合っていた同級生と学生結婚。周囲から結婚が早過ぎると言われたこともあったそうだが、やらなくて後悔するよりは、やってみて後悔する方がいいと思っていたという。就職、結婚という人生の節目を迎えた当時は、起業するとは思っていなかった。
入社後に体験した挫折をバネに努力を続けた
入社をしてみたら、あまりの忙しさに驚いたという。その後、入社1年目で妊娠。子供がいなくても大変なのに、子供ができてこの忙しい環境で働くのは無理だと思い、退社を決意した。
初めはすっきりした気持ちだったが、だんだんと仕事を途中で辞めてしまった挫折感が強くなっていった。
「人生の大きな挫折でした。同期がどんどん活躍していく中、自分は出産。もともと辞めたときに、子どもがいても強みを持って働きたいと考えていたので、得意だった英語力と会計の分野を生かせて、日本の公認会計士の試験よりも短い期間で合格ができるアメリカの公認会計士の試験を受けることにしました。同期を見ながらだんだん強くなる挫折感をバネに、そりゃもう必死で勉強しました」と当時を振り返り語る。
子育てとの両立を目指して留学をする
無事に合格をし、資格を取得した端羽氏であったが、小さな子供がいることもありすぐに就職は決まらなかったという。しかし、何社か受けた中で化粧品会社のロレアルに合格。妊婦でオシャレができない期間に初めてお化粧が面白いと思った、という気持ちが通じた。
「人事の人に、1年間しか働いていないし、子どももいるし、なぜ書類で落とさなかったのか聞いたんです。そうしたら1年間しっかり勉強していたみたいだから会ってみようと思った、と言われました。英語×公認会計士で資格を取得したことが役立ちました」
挫折感をバネに子育てをしながら勉強した努力が実を結んだのだ。
共働きを始めるに当たり、子供を夜の11時まで預けられる保育園が敷地内にあるマンションに引っ越し、万全の体制で望んだものの、子育てと仕事の両立は大変だったようだ。
「子どもがだんだん大きくなり、夜11時に1人で残りさみしそうな顔をしている子どもを迎えにいくのが切なくなってきて。これは無理かもしれないと思いました。そこで、夫に相談したら『今が留学をするタイミングかもしれない』と言われ、家族で渡米することにしました」
起業を決断する人生の転機が訪れる
マサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業し、日本に戻った彼女はユニゾン・キャピタルというファンドに入社し、5年間ほど、企業投資を経験した。ワインや回転寿司など、いわゆる「成熟産業」と呼ばれるところに投資をして、再成長を手助けをしていた。その時に感じていたことはお金はともかく、人や情報が流れていないのではないか、という課題意識だった。やがて、そういったサービスを作りたいと考えるようになった。
転機が訪れたのは子供が小学校2〜3年生の頃だった。
「娘からは『なぜ自分は毎日学童に行かないといけないの』と言われるようになり、勉強も見てあげなければならない。仕事上も『リーダーシップがない』と言われて悔しかった。」
色々なことが重なり、年に1回の評価面談のときに『そんなに言うなら自分のリーダーシップがあることを信じたいから起業する』と伝えました。
これをきっかけに起業を決意した。
自身の体験を元に生まれた『ビザスク』のサービス
起業を考えたのは34歳のときであった。最後のチャンスだと思い、何のビジネスをやろうかアイデアを練り始めた。
そして、アイデアを考えている中で“英語×会計”“Young Japanese Working Mother”など、自分の経験をかけ算することで、人と差別化していくことができることに気がついた。そして、その自分だけが持っている視点で考えることでしか思いつかない事業アイデアや、課題解決の切り口があると。
それくらい“経験”には価値がある。それならそのニーズに出会えるプラットフォームを作ろうと考えた。
それから、国内外の色々なサービスを調べ、最終的にはアメリカのサービスを参考にキュレーション型のECを立ち上げよう。と考えた。
しかし、事業計画書を書いて当時の同僚に見せたところ「うまくいく気がししない、何かが足りない」と言われ立ち止まった。
「投資ファンドでは企業のビジネスに投資する際に、コンサルティング会社や会計士、弁護士などいろいろなプロの人にお願いをして、会社を調べます。けれど、当然ながら起業するにあたりそんなお金はない。たまたま同僚が『金融業界からインターネットサービスを立ち上げた友人がいるから、話を聞きに行ったほうがいい』と言ってくれて会いに行きました」
会いにいった人に、EC立ち上げの経験者を紹介してもらったそう。
「つてをたどって会えるまでに2カ月間かかりましたが、会ってみたら1時間、本当に厳しくダメ出しをされて。失敗確率2000%だと言われました。話している最後のほうには、『私この1時間にお金払います、とても勉強になりました』って言って。それが『ビザスク』になりました」
創業から改善を重ねることでユーザーに寄り添ったサービスを展開
自身の経験をもとに、1時間からピンポイトに相談できるスポットコンサルという知見活用の新しい仕組みを立ち上げ、2012年12月にビザスクβ版の運用を開始したが、何も起こらなかったという。
スポットコンサルの概念が日本では浸透しておらず、名もなきスタートアップが、新たな形態のサービスの魅力を伝え続ける難しさに突き当たる。突破の一手は、アドバイザーへのリーチ方法を見つめ直したことだった。
「当時は社会的な信用の側面から、Facebook連携での登録のみ可能としていました。しかし、アドバイザーとなりうる人たちは、必ずしもSNSを使いこなす層だけではないはず。
そこでメールアドレスでの登録も可能にすると、少しずつ登録者数が増えていったんです。ユーザーに寄り添ってプロダクトを作る大切さを痛感させられましたね」と語る。
その後も、データ分析をもとに日本人の転職経験の少なさや、シャイな性格ゆえに自分の能力を過小評価する傾向を見つけ出し、一人一人が自分の経験を適切に表現できるような設計を心がけた。
仮説を立て検証を繰り返していくうちにユーザーに寄り添ったサービスになってきたこと、シェアリングエコノミーの浸透や、働き方改革による副業の解禁などが追い風となり、アドバイザーの数は増加。
2016年時点では国内の登録者数は1万人前後だったが、その後の4年で10万人を超えるまでになった。
アドバイザーの獲得に苦戦した時代を経て、ビザスクは2018年2月期に初の黒字化を達成したという。
『ビザスク』が作り出す誰もが知見を手に入れられる社会へ向けて
「私たちのビジョンは、「世界中の知見をつなぐ」こと。今はまだアドバイザーの登録者数が10万人ですが、50万人、100万人と、働いている人ならば、みんながビザスクに登録している状態を作り出していきたいですね。
ビジネスへの向上心がある人ならば誰でも登録できて、必要な人とつながり、知見を手に入れられる世界。そのために、社会的な信頼を得られる上場は、とても大きな一歩だと思います」
と語る端羽氏は海外にも目を向け、日本を軸にしながら世界で通用するプラットフォームを構築していきたいという。
conectandoインタビュー記事より
世界中の人たちに活用してもらうために、「プロダクトの使いやすさ」も追求していくという。多くの案件がマッチングするようになれば、さらなるデータの蓄積も望めるからだ。エンジニアだけでなくデザイナーの採用も強化し、エンジニアとタッグを組みながら使いやすいプロダクト作りに取り組んでいる。
世界中の知見をつなぎイノベーションを誘発し続けているビザスクは、これからの変化が求められる時代においてより大きな価値を持つ。これからも人々を勇気付け、ビジネスシーンを引っ張り続けてくれるだろう。
編集後記:自分のポテンシャルを自分が信じ抜くことの大切さ
「世界中の知見をつなぎ」イノベーションを誘発し続けているの端羽英子さんのはじめの一歩を紹介しました。
今回の記事を書いていて感じたことは、自分のポテンシャルを自分で信じ抜くことの大切さです。端羽さんは起業をするために退社をするタイミングで、周囲の人に「そんなに高いプレッシャーの状況で本当に頑張れるのか?」と言われたそうです。その時に「だって自分のポテンシャルは自分が信じてあげないといけませんよね」と伝えたという。
このエピソードが物語るように、端羽さんは他の人が難しいと思う状況でも自分のポテンシャルを信じて挑戦し続けることができる。挑戦が多いから壁に多くぶつかる、だからこそまた壁にぶつかったとしても、今までの経験を糧に自分を信じて最後までやりきることが出来るのだと思います。
自分を信じて疑わないことは新しいことに挑戦する力になり、挑戦が増えることは自信につながる。そんな大切なことに気づかせてくれる端羽英子さんのはじめの一歩でした。