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奈良美智FM | かもめの歌、多彩な表現

奈良美智FM | かもめの歌、多彩な表現

「奈良美智」展 YUZ MUSEUM開催現場 2022年Photo by 王慶

 「奈良美智」展で一面にレコードジャケットが飾られているあの壁は、やはり印象深い。
この春、あなたも音楽を聴きながら色彩豊かな日々を過ごしているのでしょうか?
ヘッドホンをつけ、レコードをかけて音楽を流すと、世界が一瞬で広くなってどこへも自由自在に行けるような感じはしませんか?
 
「耳から入ってきた音楽が、手からまっすぐに出ていく。そのような感覚で僕は絵を描いています」(奈良美智)
 
奈良美智は昔から音楽好きとして知られています。音楽は心を動かし、深い感情を伝える力を持っています。そして、ビジュアルだけでなく文字も取り入れ、さらにいろいろな感情も込められている奈良美智のアートにも同じような力があります。その力でより多くの人々に感動を与えるため、YUZ MUSEUMはオンラインスペシャルコラム「奈良美智FM」を開設しました。当コラムは、奈良美智のお気に入りのレコードコレクションから代表的な名レコードをピックアップし、みなさんを奈良美智の音楽世界へ案内します。音楽という視角から、新しい感動や発見ができるとうれしいです。


「カモメの歌」
Song to a Seagull
奈良美智 FM Vol.1
©Joni Mitchell

 奈良美智が集めていた数多くのレコードの中でも、「Song to a Seagull」は特別な存在です。『New York Times』のインタビュー「Yoshitomo Nara Paints What He Hears」では、奈良美智はこのアルバム、特にそのジャケットを気に入っていたことが記述されています。ジャケットのイラストはアーティストであるジョニ・ミッチェル自身の絵筆によるもので、サプライズを感じるとともに、アーティストの才能と当時の心境までが伝わってきます。
 
「Song to a Seagull」はアーティストのジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)が1968年に収録しリリースした初のアルバムで、曲はすべてミッチェル自身が作ったものです。詩のような歌詞は不安感を煽り、ソウルフルな歌声にピアノやギター、ベースが交じり合うメロディー、強烈な個性に満ちたアルバムであるため、リリース当初はあまり期待されていなかったようです。『Los Angeles Time』のコメントでは、「ジョニ・ミッチェルの初アルバムは努力は感じられますが、音楽的には好ましくありません。少し気取った感じがして、極めて個人的な歌だというイメージがします」と書かれました。
 
一方、『Rolling stone』誌からは高く評価されました。その「Joni Mitchell」をテーマにした評論の最後に、ミッチェルの個性的なスタイルを肯定したコメントが見られます。「ジョニの曲は驚くべきものです……彼女の音符は自然に流れているのではなく、曲を構築する時に一つ一つそこに配置されたのです。この方法では一貫性が得られないかもしれませんが、何らかの輝きを生み出せます。ジョニの曲には、そういう輝きが常にあり、より高い一貫性が感じられます」


「Song to a Seagull」アルバム情報と一部歌詞抜粋
©Vito Magazine
画像出典:https://vitomag.com/music/hxohv.html

 奈良美智が集めていた60~70年代のレコードの中で、神秘的で詩的なスタイルを持つミッチェルの音楽は独特な存在です。デビューアルバム「Song to a Seagull」のほかにも、奈良美智が気に入っていたジョニの曲が多くあります。例えば、2021年にロサンゼルス・カウンティ美術館で開催された大型回顧展では、インスタレーション「My Drawing Room」の一部として曲が流れていました。ジョニ・ミッチェルの「Both Sides Now」もそのミュージックリストにありました。

My Drawing Room, Los Angeles County Museum of Art, 2020–21
© Museum Associates/LACMA
Joni Mitchell
ごみと花に囲まれても、彼女が導いてくれる

 「幻覚を起こせるような声を持つ金髪ガール、ジョディ・コリンズ、格子縞の織物、革とレース布、プロデューサーのデヴィッド・クロスビー、ロバート・ヘリック、ノース・バトルフォード、ニューヨーク、ロンリーハーツクラブ、シンガーのチャック、かもめ、イルカ、タクシー、スノークインのフロート、クラッツマンという名の男、ラヴィン・スプーンフル、雨、太陽、ごみ、黄金海岸、そして彼女自身」



©picture-alliance / Photoshot

 ジョニ・ミッチェルといえば、そういったキーワードが自然と出てきて、人々の頭の中に鮮やかなイメージが浮かびます。世の中の大半の天才と似ていて、ミッチェルの幼少期は決して幸せとは言えません。しかし、ポリオ感染の辛さと孤独を抱えていたからか、彼女は通常よりもずっと強靭な意志を持っていました。

©AZ Quotes
画像出典:https://www.azquotes.com/author/10205-Joni_Mitchell

 「魅力に満ちた誤解(a glamours misunderstanding)」、音楽メディア『Pitchfork』はジョニ・ミッチェルのことをそう評します。1960年代から70年代にかけて、ボブ・ディランのフォークロックの影響を受けたミッチェルの音楽は、苦しさ半分、楽しさ半分で、人々の共感を呼び起こしていました。
 
そういう音楽で心を動かす力は、音楽の才能だけでなく、ミッチェル自身の鋭い感受性から生まれたものです。特に『BLUE』というアルバムの創作は、ミッチェル自らの恋愛感情による作用が大きく、その理由もあって『BLUE』は大ヒットし、ミッチェルの人生の中でも重要な一作になりました。

Blue – Joni Mitchell album

 特に注目したいのは、カメラマンTim Considineが1968年に撮影したこのアルバムのジャケット。当時ではまだ珍しい感度ISO6000のフィルムを使った写真には、マイクの前に立つジョニ・ミッチェルが目を閉じたまま歌っている姿が映っています。アルバム名と呼応するようなインディゴブルーっぽい、強いコントラストの画面に仕上げられ、とても哀愁漂うイメージです。
 
このアルバムジャケットは実は、Tim Considineのところにもう一つのバージョンがあります。そのバージョンでは、画面上のマイクが消され、コントラストもかなり弱くなって、人物は穏やかで落ちついた雰囲気に見えます。実際にジャケットに使われたバージョン、すなわちConsidineが賛同しない「銀板写真のような」後処理で仕上げられたものと比べて、このバージョンのほうがアルバムの哀愁を帯びた音楽に似合うとConsidineは思っているそうです。

Joni-Mitchell, Blue, the original cover
©Sounds of ’71,
画像出典:https://soundsof71.tumblr.com/post/158524933545/

 明暗の差がはっきりする静かな表情であっても、暗くぼんやりした神秘的なシルエットであっても、このアルバムジャケットだけでなく、ジョニ・ミッチェルの人生は常にブルーの色調で覆われています。それはおそらく、ピカソやジャズ演奏家のマイルス・デイビス(Miles Davis)のような「ブルー・ピリオド」を、ミッチェルも経験していたからでしょう。

©Vito Magazine,
画像出典:https://vitomag.com/music/hxohv.html1
最高のサイケデリック・アルバム・ジャケット

 子ども時代の反抗期や思春期、10歳の時にポリオを患った辛さを経験したミッチェルの成長は苦痛に満ちたものでした。しかし、それは彼女にアーティストとしての感覚を目覚めさせるきっかけにもなりました。
そういう感覚は、文学と作曲だけではなく、ビジュアルアート創作の面でも開花していました。「Song to a Seagull」のジャケットはまさにその証明です。ダンスと絵画は、ミッチェルの若い頃の二大趣味でした。彼女はかつて、「わたしは音楽家よりもまず画家です(I’m a painter first, and a musician second)」と言っていました。
 
「Song to a Seagull」のジャケットはペンで線画を描き、水彩で色塗りをしたイラストです。

©Joni Mitchell
https://jonimitchell.com/music/album.cfm?id=2

 イラストの中の色鮮やかな花を見ると、芸術が盛んになった1960年代ならではの自由奔放、ヒッピー的な楽観主義が感じられます。一塊になる多くの花や周りを取り囲む線と大量の曲線は、ビジュアル上、くるくる包むようなイメージがあるし、植物画のような複雑で繊細な葉脈と花脈を連想させます。この彩り豊かなジャケットイラストから、ミッチェルのボタニカルアーティストとしての才能を覗くこともできましょう。
また、このジャケットはその独特なアートスタイルで、「最高のサイケデリック・アルバム・ジャケット(Best Ever Psychedelic Album Covers)」の一つだと言われています。

©Slacker Shack,
https://slackershack.wordpress.com/2012/07/29/best-ever-psychedelic-album-covers-joni-mitchell-song-to-a-seagull/

 「Song to a Seagull」以降も、ミッチェルは自ら多くのアルバムのアートワークを手掛けていました。その中で最も有名なのは、1969年にリリースした「Clouds」です。中にはミッチェルの自画像が入っていて、マスコミの評論によれば、それは「ミッチェルのすべての絵画作品の中で最も知られ、最も素敵な一枚である」と言われています。

Clouds, 1969
画像出典:インターネットより

 ミッチェルが自ら描いた作品の中、「Song to a Seagull」のジャケットは、奈良美智が気に入っていた唯一のものではありません。『美術手帖』(BT)の奈良美智コラムでは、ジョニ・ミッチェルのもう一枚のアルバムジャケットについて言及していました(今回の奈良美智展パンフレットにも収録)。
「……1994年のアルバム『Turbulent Indigo』のジャケットはゴッホの自画像に彼女自身の顔をはめたもので、そのデザインで翌年のグラミー賞ベスト・アルバム・パッケージ賞を受賞しました」
あの亜麻製キャンバスで描いた油絵のジャケットも、奈良美智にとって印象深かったようです。

Turbulent Indigo
画像出典:インターネットより

 このアルバムを創作する際、ミッチェルは自分の音楽は利益重視という商業的環境の中で冷遇されたと感じていました。それに対して、彼女は「だから、ゴッホのように自分の片耳を切り落としました。ただ、物理的ではなく、絵の中で切りつけたのです」と冗談めかして言いました。
 
先ほど例に挙げたもの以外にも、ミッチェルは多様なスタイルで奥深い意味のあるアルバムジャケットを多く描いていました。その中には、次のようなシンプルな自画像があり、

Ladies Of The Canyon, 1970

 強烈な印象をもたらす超現実主義的な絵もあります。

The Hissing of Summer Lawns, 1975

少し抽象的なものもあり、

Court And Spark, 1974

さらに、抽象的な技法と鮮やかな色彩を取り合わせたものもあります。

Mingus, 1979

ミッチェルの芸術への執着は、そのアルバムのジャケットだけにとどまらず、実際、20世紀末になると、ミュージシャンとして成功したミッチェルは突然、音楽から離れて約10年間も新しいアルバムを出しませんでした。絵画の世界に専念していたようです。
 
ジョニ・ミッチェルの絵画の成果も実は多くの人々に認められ、『ガーディアン』誌には「最も成功したアーティストの一人」と評され、その絵画作品を「大変見る価値がある」と評価されました。
 
「間違えて音楽の世界に飛び込んだ画家」と自称するジョニ・ミッチェルはそうして、自ら手掛けたメロディと絵画をもって奈良美智の心の中に入り込んだのでしょう。
 
春は気づかないうちに去っていきます。しかし、芸術と音楽の物語は永遠に続きます。いつもと違うこの初夏、部屋から出られなければ、奈良美智の音楽の世界に入って、長い夜をジョニ・ミッチェルの歌声とともに過ごしましょう。

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