#63 人生のふりかけになるラジオをやることになりました
「もし就職に失敗したら先生(私)の家に居候していいですか?」と院生の彼がいう。私は快諾。ただ、残念なことにその可能性はなくなった。その話です。
さて、「まずやってみよう」、と誰しもがいう。そこまでなかなか踏ん切りがつかない気持ちがある。その気持ちの時間は長く続く。もちろん短いという人もいるにしろ。若い時はお金はないが時間がある。年齢を重ねると時間がないけどお金はある。(両方ない可能性の老後も最近問題になってはいる)。
若いときはその気になれば数週間の旅ができる。仕事をもつと2泊3日がせいぜいで、混雑する列車と渋滞の高速に乗って疲れることになる。盆と正月がそれ。(台風直撃だと悲惨である)。
お金も時間もというのは、なかなか実現しないんだろう。だったら、いっそ、若い時にはお金なくてもやれることはやってみよう、というほうが、よい。
正確に表現するなら、よいように思う。自己反省もふくめて。
なぜか?。時間は取り返せないから、不可逆性をもつから。かなりあたりまえだけど、あたりまえすぎて困る問題である。お金よりも人生の時間のほうが重要なときだってあるし、そういうタイミングがある。ほらタイミングって時間のことなんでしょ。
それはどんな時か。お金ができてから結婚しようとして、いざお金がたまったので、と、気が付くと、人生半分以上すぎてしまっていた、などというやつ。偏差値あがってから受験しようというやつ。時すでに遅し、というやつ。
つまり、この手ににまつわる感情の部分は、計算式で計算できない部分である。若い時になぜあんなことやったのか(できたのか)というのがそういう部類である。これは、単純にばかげた行動でありもするし、お金の計算で動いているわけでもなさそうである。むしろ感情的で内面的で、自分にしかないわだかまりや気がかり、憧憬のようなものが行動を促している。ある意味ではコンプレクスでもある。(これは劣等感という意味とは違うので注意してください)。
そうなると、それはコントロールできない、というよりそれこそが若い時に必要なリスクである。とりすぎは良くないといっておくけど。ただ、明らかに体力はある。
なぜこんなことを書くのかというと、冒頭の、教え子で現役大学院生(国立大学・修士)の奨学金と返済額が、現在数百万になっているということの話からだ。え?返済できるの?という話。
彼は、学部時代から、フランスに留学したりイギリス議会やドイツ議会を見たりしている。この9月にはひと月かけて、パレスチナ・バチカン・フィレンチェにも行く。専門は法律・行政・経済・環境の越境性の高い分野である。(イタリアいくなら、ミラノスカラ座でオペラ鑑賞するべし、と私がおせっかいを言ったのだけど)。普通のサラリーマンの家庭である。
若い時の体験は、自分のアイデンティティを揺るがし長い人生で再構成するヒントになる。夏目漱石がそうだった。悩みすぎて吐血までしてしまったが。それくらい悩ましいものでもある。
話をもどそう。彼がわが家に居候する話。この可能性は残念ながらというか幸いにもなくなった。なぜなら、彼は中央省庁に内定したからだ。そこでいわれたのが、「今のうちに海外行ってください、入るともう時間がありません、第一、入ったとたんに最先端の行政マンとして日々自己研修がまってます。」
そう、自分で使える時間がなくなってしまう。その時間で彼は奨学金を返済する。つまり、奨学金は過去の時間の遺産であり投資ということだ。(もちろん、省庁に内定したという結果論からそう言えるにしろ。)
先のことはわからない。わからないけどなんとなくそういう方向だろうという見通しがあるかもしれない。私はそれほどリスクテイクしてないので、えらそうなことはいえない。ただ、年齢のいった自分としては、その見通しで進もうとする人の旅のお供くらいはしよう、と思う。
そういえば旅の友とか言うふりかけがあったなーー。人生のふりかけ?。
というわけで、この10月から、宮沢君と私で地元FMラジオで隔週の番組をもつことになります。番組名でいい名前あればぜひリアクションください。一応きまってるんですけど、今は秘密。ふりかけラジオ。これはダサい。