#29 50年前の中学生の詩が表現したもの
これは昭和45年、中学2年生の同級生の書いた詩。
佐藤栄作・・内閣総理大臣。高度成長・沖縄返還・密約など、戦後政治の清濁を合わせ飲んだ政治家。成長の影。
おそらく戦後の作文・生活綴り方のなごりがあった時代だったのだろう、国語科の女性教師の優れた指導がそこにはあった。いま教師をしていて指導の意味が理解できる。
4クラス生徒全員の詩をガリ版で手書きしたわら半紙に印刷した詩集。いつしかそれは経年変化し、ところどことほつれはじめ、文字も不鮮明になっていた。思いついて、念のためコピー保存したのはかれこれ20年以上前かもしれない。それをいま本棚の奥から引き出した。花鳥風月の詩の多い中で首相に向けての詩は、中学生には衝撃だった。ひかっかる詩。
同級の友人は、当時陸上部で自転車通学していた。同じ地元高校に入学したが、高校時代はクラスも別々で、彼が東京の大学に進み、その後大手スポーツメーカーに就職したことを、なにかの冊子で見た記憶がある程度である。その後のことは知らない。
昭和45年ごろ、大阪万博とベトナム反戦の混在した高度成長の時代。この時代にこれだけの詩を書いたこと自体、いまでも驚く。ほかの生徒の詩で、政治のふれたものはなにもない。卓越した世界を彼はもっていたのかもしれない。
中学生や高校生は大人への長い隘路を迷走する。純粋にすぎて言葉にならない心を持つ。いま、若い世代が政治に無関心だという。本当にそうだろうか。言葉の手掛かりが見つけられないだけではないか。答えがあるとは言えない世界で、問い続けることでまず問いが立ち現れそれを言葉にする。その循環する作業にそそぐ時間は受験情報とネット世界が支配している。言葉がない?いや、当てはまる言葉がない、言葉を紡ぐ作業がいるのだ。
書くこと、表現すること。自分を語ること。それが世界を変え私の世界を作る。その可能性に無意識に彼は気づき、賭けたのかもしれない。この詩がもたらしたものを、現在の彼はなんと答えるだろう。