コロナ禍での退職と転職
退職するということを告げると、「自分も転職したいんだけど、どうやったらいいかわからない」という反応が返ってきたことが意外だった。
入社した当初、この組織は10−25年勤めてるという人があたりまえという組織だったので、私、キャッチアップ大丈夫かな・・と若干の不安は感じた。転職組といっても、もうすでにここに10年いますという人たちばかり、あとは下から職位をあげてきて、マネージャーポジションに着いている人たちが20年超えの人たちばかり、きっとみんなこの会社が大好きなんだろうな・・私もこの会社を好きになって、カルチャーフィットできるといいなと心から思った。しかし私はこの組織文化にフィットすることが難しいと感じたのと、残念ながら業務にも魅力を感じることが少なかったので1年弱で転職をすることに決めた。頻繁に業務でやりとりしていた人には個別にビデオチャットで連絡を取ると、え!転職するの?!そう・・・私もね、本当は転職したいんだけど、でもどうやったらいいのかわからない、そう思ってるうちに何年も経ってしまったということを告白してくる人が非常に多く私は驚いた。もっとも私の転職先がGAFAの一つということも「いいなあ・・・」で、彼らの本音を引き出したようだった。
実は私は・・・
コロナ禍に入って毎年転職を繰り返すジョブホッパーである自分を恥じる感覚があった。短く転職を繰り返す人は誠実ではない、組織に馴染めない協調性のない人。自分は決してそうであってはいけない、入社して思っていた感じと違う・・・と思っても、まず1年やってみるんだ、そしたら色々とわかってくるし、なじんでもくるし、仕事も楽しくなってくるはず、そうすれば5年あっという間に過ぎていくはずと思う反面、「(その職場が)嫌で我慢を重ねるようであれば、変わった方がいい、無理に自分が合わせる必要もない、だって人生は短い」という考えもあわせて持っていた。
ここで過去の転職を振りかえってみようと思う。
「親会社からおじさんたちが落下傘のごとくどんどん降りてきて、管理職はすべて親会社からの落下傘おじさん、下から上がってきた人なんてまずいない。女性管理職なんて女性登用しないとまずいから・・という感じで何名かの”すごくおじさんウケの良い女性”が登用されてるだけ」こんなとこに長くいたら、私は悶々とした中年になってしまう、だから脱出ボタンを押し、GAFAMに転職をしたのが最初の転職だった。その会社は「うちの会社ってやばいよねー」と口にはするけれど、給与は同い年の平均よりはやや上、個性的な社員が多く、社員同士が仲がいい会社だった。やばいよねーと言いながらも、お給料だって悪くないし、居心地悪くないし、なんだかんだいっても転職していく人が当時は非常に少ない職場だったのと、転職する人も同業他社に行く人が多かった。
そのポジションは、これに書かれてるJDに全部当てはまる人なんて日本にいるんですか?というような内容で、実際になかなかこれという人がおらず、何ヶ月も埋まらなくて困っていたようだったのは入社してから聞いた話。私はがっちりとJDに当てはまっていたわけではなく、ポテンシャル採用だった。
留学経験はあるが、日本に帰ってきてから英語を使う仕事はしておらず、私の英語は海外旅行にいっても困らないくらい、だったと思う。会議を英語でこなす、英語でリモート会議に参加なんて経験はなかったが、英語大丈夫?とインタビューで聞かれて、はい!!がんばります!と答えたが、本音は「大丈夫かどうかはやってみないとわからない」だったけど。日本人とのインタビューが5名に本社のアメリカ人が1名の6回のインタビューだった、こんなにインタビューするの?!と面食らった覚えがある。
採用された時は心底嬉しかった。が、しかし、入社して最初は英語の契約書をひたすら読み込むことを課せられ、契約書の独特の言い回しなんて全然わからないし、外資系の契約書って50ページもあるし・・・とこんなの頭に入るわけないじゃん!だが、私の(日本人の)上司は頭に入っていた。
前職の落下傘おじさんたちは、親会社では営業をやっていたなどで、まったく経験がない業務の組織で管理職をしている人も多かった。従って現場をやってる私たちの方が俄然詳しいことも往々にしてあるため「ですからーさっきもー説明したとおりでー」と生意気だったな・・というような態度をとることも多かった、と今さら反省。
ものすごく業務を理解している上司には、最初の1年はなんども叱責された。私が???な回答をすると、激昂して机をどんどん!と叩いてキレられたこともあった。果たして私はここで仕事を覚えて、全うできるのだろうか・・・自信のなさと不安とで1年間はあまり楽しい思い出がなかったかもしれない。
憧れのGAFAM、でも、そんなに夢見てた感じでもないな・・というスタートであった。
続く