なんでだっけ?
こんなに自分ができないし、わからないなんて・・・と自信をすっかり失ってはいたが、「でも、この仕事最初からできる人なんていないから私を採用したんだろ」と心のどこかでは、仕方ないでしょ、だってやったことないものと居直る自分もいた。
落下傘おじさんたちの会社では、毎年の評価はいつも良い評価をもらっていた。調子にのっていたのか、世間知らずなのか、いや、両方だった私は、同僚に「XXさん、私今回の評価SA(SAからDの5段階評価の最高峰)だったんですよーXXさんもあのプロジェクトやればSAもらえたのにーやればよかったのに」と無邪気に話し、彼に静かに激怒されしばらく無視されたことを書いていて思い出しました。
評価は落下傘おじさんがその人に感じている印象(あいつ何やってるかイマイチわからん)、存在感(居るかいないかわからない)なんだかそんな感じでつけていたんじゃないかと思うのです、あの当時は。
私が結構いい評価をつけてもらえてたのは、自己分析をすると
1. 大きなプロジェクトで同僚がビビって「俺はちょっと・・・(大変そうだし、リスク怖いし)」という案件も「私、全然いけますよ、やります」と漢っぷりを発揮した。(私、失敗しないんでとなぜか思えたのは、こうすればいいというイメージがすぐ浮かび、出来るわ、それと思えたから)
2. 「おい、お前どう思うんだよ」と落下傘から突然質問された時でも、自分の意見を怯まず説明することができていた。
3. 「はい、やります」といってから「できました」が割と早かった。
4. お客様のためにこういうことをした方がいいんじゃないか、というような改善案や、提案をたまにもっていった。(落下傘も落下傘同士で競争があるので、落下傘の戦いで有利になるためのネタ提供)
希望して配属された部署ではなかったけれど、この仕事って自分に合ってるのかも、嫌いじゃないと思っていたのは、同僚や先輩にも恵まれていたことも大きいと思う。
じゃあ、なんで転職したんだろう?評価もされていたし、落下傘たちがどんどん親会社から来ても、自分も部長になりたいからちゃんと出世させて!などの出世欲なんてまったくなかったのに。
私は留学をしたこともあり、親の脛をかじる時間が長かった。結果、父の脛をガリガリにしてしまった、が、しかし、ガリガリの脛を見て父が、私に対して投資した甲斐があったと、間違っていなかったと思ってもらいたかったのと、父親に「あの会社に転職したのか、すごいな」と言ってもらいたかったんじゃないかなと思うのです。
最初の転職の動機は両親に褒めてもらいたかった、だったのかもしれないと振り返って整理するとそういうことが原動力だったような気がしました。
もう一つは、落下傘おじさん会社は居心地がよくて、「このままでは私はダメになるんじゃないか」という不安を覚え、もっと自分を鍛えてもらえる環境にいかねばと、スポーツ強豪校に飛び込む感じだったのではないかと思うのです。これから何十年も働くのに、ここでぬくぬくとしていてはいけないんじゃないかと。
勇んでスポーツ強豪校に行ったはいいけど、しんどかった・・・という話を次は書きたいと思います。