第三話
夫との出会いと結婚
◉夫との出会いエピソード
なぜだかわかりませんが
先に父がその証券会社の課長と友達だったのです。
その父がまた余計なことをやらかしたのです。
あの高校時代の長い長い巻き手紙を
思い出させる出来事。
「うちのみちこに、誰かいい人いないか」
私のいないところでそんな勝手な行動に出た父
そんなこととはつゆしらず、
テレタイプに勤しむ私のもとに
「わしの部下にいいのがいるよ」
と紹介されたのが6歳年上の今の夫だったのです。
最初は何のことだかわからなかったのですが、
のちに聞いて啞然とする私。
高校時代を彷彿したのも束の間。
たまにはいい仕事をしてくれたものです。
顔は知っていた私たち。
私にとっての彼の印象は
「大人だし、何でもハイハイと
言ってくれそうな優しい人」
そんなイメージだった私。
そこからお付き合いが始まります。
◉結婚生活
3年経った頃、私たちは結婚しました。
私が24歳、夫30歳だったのです。
そして26歳の時に男の子を授かりました。
順風満帆なようにみえた私たちの結婚生活。
「何でもハイハイ」を期待したのに、
実際の夫は日々麻雀に明け暮れるファンキーな夫だったのです。
出産当日は本当に大変でした。
忘れられもしないあの雪の日。
陣痛が始まるも夫は行方不明。
今みたいに携帯も無い時代ですので
連絡はつくはずもなく。
私は実家の母につきそってもらい、病院へ。
出産の時もひとり・・・・
命がけで産んだ息子。
ひとりで産んだ息子
その時夫は・・・・
なんと雀荘で「リーチ!ロン!」
夫は麻雀の最中だったことが後で発覚したのです。
母子ともに健康で何事もなかったからいいものの
腹が立つやらあきれるやら。
「生まれましたよ、あなたの子が」
翌日出社した夫は母からの電話で
息子の誕生を知ったのでした。
出産同様、子育てもまるでシングルマザーの私。
辛うじて日曜日には家に居て
子供の相手をしてくれましたけど
ふだんは子供が起きた時にはもう家を出ていて
帰ってくるのは子供が寝入ったあと。
「お父さんまた来てね」
と日曜日の夜、夫に言い放つ息子。
たまに来てくれるのがお父さん
ぐらいに思っていたのかもしれません。
当時は企業戦士が多かったから
同じような思いをした人が
いっぱいおられるのではないでしょうか?
「リーチ!ロン!」の後はゴルフでした。
夜だけでなく日曜日の昼間すら
家に居ないことが増えていった夫。
その頃は本当にシングルマザー状態でした。
週休二日制が導入されてからでしょうか、
夫は少し時間に余裕が出きたようで
これまでの罪滅ぼし?
時々家族旅行に連れていってくれる
いい夫に進化していったのです。
「リーチ!ロン!」からゴルフへ。
また来てねと言われるしまつの夫から、
気がつけば家族全員で阪神タイガースの熱烈ファン
そう夫は昔から阪神タイガースの
熱烈なファンだったのです。
それに感化された私も息子も
いつのまにやらすっかり虎キチ。
80代を超えても毎年甲子園へせっせと足を運ぶ
ファンキーなBBAと成長した私。
親が親なら、息子も息子でした。
ある日息子のことで学校に呼び出された私。
先生からの注意は
「試験中に阪神タイガースの試合などに
行くのは言語道断である!」
という話だったのです。
試験中でも阪神タイガースの試合が
優先だったのです。
クレイジーかしら、我が家??
その時ももちろん親公認でした。
不幸にもそのタイミングで息子は
テレビ出演してしまったのです。
応援バットを手に声援を送る姿が
どアップで画面に映ってしまったのです。
先生からの注意に私は
「そうですね。ごもっとも…」
と反省しきりだったのを覚えています。
そんな息子も成長し無事大学を出て
外資系の製薬会社に就職。
母親業もひと段落しました。
私の人生はまた大きく転機を迎えるのです。
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☆〈プロローグ〉 ◉私とは ◉太平洋戦争勃発
◉日本への引き上げ ◉引き上げ船 ◉祖父の死と父の帰還
☆〈第四話〉 幸せな家庭が一転
◉夫の独立とバブルの崩壊 ◉阪神淡路大震災
☆〈第五話〉 副業に挫折で83歳の私の稼ぎ方とは
◉ネットワークビジネスに挫折した私
◉ネットワークビジネスの問題点