14年経って、私の心で輝きだした宝。
様々なイベントが目白押しだったらしいこの週末。
その中から《岡本芳一追善企画》映画上映会+αへ
お越しくださいました方々へ、心より御礼申し上げます。
このようなイベントを設けられるのは
渡邊世紀監督が師 岡本芳一の映画を撮っていて下さったことに尽きます。
世紀監督にも感謝です。特に今年は身に沁みて感じています。
師 岡本芳一 魂の遺作映画と言われている『VEIN-静脈-』。
追善企画にご参加いただいた方なら覚えておられる方も多いかと思いますが、私は「何度見てもよく分からない」と言ってきたと思います。昨年までそうでした。今年から急に何かが変わりました。「あっ!」と思ったのです。58分の映画を正直これまで長く感じていましたが(すみません、、)今年からそう思わなくなるほど集中して見ました。それも両日とも2回。2日目は奥に控えて自分の演舞の繕い物をしていようと思っていましたが、どうにもこうにも「もう一度見たい!」と思い、皆さんの中に入ってまた夢中になって観ていました。
私はこれまでエンターテイメントとして『VEIN』を観てきたので、自分好みのエンタメとしての足りない部分ばかりが気になっていました。これまでとの作風ともガラリと違うので、何故この作品を岡本さんが映画にするというほど肩入れしているのかも全く分からなかった。いろんな何故が「あぁ、、そういうことだったのか。」と初めて分かったような気がしました。肩入れに関しては、きっと自分の心と作品の一致が他の作品より群を抜いて凄かったのかもしれませんね。
岡本さんは好き勝手やって来たけれど、ああいう芸風でも、いつも観客を想定して作品を作っていたと思います。多くの方がそうだったように、私もそれに惹かれてやって来た一人です。だけどVEINは観客ではなく自分のために作ったものなんだという気がしました。そう思ったのは最初から最後まで丁寧に丁寧に人形を扱っているということからでした。不思議と昨年までそれを丁寧とは思わずに、思わせぶりで退屈と感じていました。今年の私にはその丁寧さに大きな意味を感じました。
何度見ても絶望のどん底から描いた作品と感じるのは変わらないけれど、今回は、そこに心を寄せて下さる方がいるということが岡本さんが欲しかった光だったのでは、と思いました。
人形と共にあった人生。人形との暮らし。
それは人としての孤独であり、誰にも侵されない聖域であり、自分の分身や合わせ鏡でもある人形が女なのも岡本さんの中にある陰陽だとするとそうなるだろうと思うし、あどけない自分に救いを求めるようなか弱い女でも、鬼子母神のような恐ろしさを持ち合わせ、居直り、変わり身の早さなどなど、あんなふうに生きれたらと女に憧れ、畏怖の念を抱いて、、いたのだろうか。
自分の傍でうずくまる人形を、大事に抱き寄せる。
まるで傷ついた自分(プライド)をいたわるように。
だけど、それすらも手放して、放棄してしまいたかったのですね。
絶望は白銀の美しい世界の中で終焉を迎える。
人形の痛々しい裸体が露わになる。
「何故わざわざ脱がせるんだろう?」というのがずっと謎だったけれど、痛々しい裸体を剥き出しにして晒すという行為が
岡本芳一なのかもしれないと納得。理由はあるのかもしれないけど、だからどうしたという理屈ではないのかもしれない。
「人に言えない秘密を持っているか?秘密がないのは自慢にはならないぜ」という岡本さんの言葉を思いだす。なんとなく教育で秘密が無い方が良いことだと思ってきた私は、だから私は凡庸だとつくづく思い、落胆している。今も。
「これがどんどろ流人形師の末路なのか?」と思うと複雑な気持ちになったような、ならなかったようなだけど、『VEIN』という作品が私の中でやっと大事な作品になったと思えて、とても嬉しかった。
この岡本さんの晩年の複雑な心象風景を
ここまで迫って映像表現された
渡邊世紀監督に改めて敬服の念を抱きます。
そういうわけで今年は終演時間を大幅にオーバーして
皆様をお引き止めしてしまったことお詫び申し上げますとともに
最高に楽しい岡本芳一を偲ぶひと時をご一緒していただきましたこと、胸に刻んでおきたいと思います。
来年は7月6日の命日の頃に開催できるよう
努めて参りたいと思います。
彼岸にも此岸にも
ありがとうござます。
イベント内容↓
https://x.com/yumehina_net/status/1843128396949438971?s=61
https://x.com/yumehina_net/status/1847290647742734467?s=61