2024年 共通テスト:日本史B 大問5

大問5:日本史探求部に所属している高校生の研究発表がテーマ。
小問数:4 ※正誤問題 資料読み取りによる空欄補充(適語補充)
史料①:グラフ 石井孝『幕末貿易史の研究』により作成
史料②:石井研堂『明治事物起原』
解答 問1:4 問2:2 問3:4 問4:2

2つのグラフを読み取る問題に関しては、発表原稿もヒントに解いていく。また、2024年に関しては、新紙幣が発行されることからも紙幣や銀行に関しては授業とは別で勉強をしていた生徒もいると思われる。

問1:空欄補充 ア:函館(箱館) イ:官吏や軍人 となり④が正答

アについて
 1858年、日米修好通商条約の締結。日本はイギリス、フランス、オランダ、ロシア、そしてアメリカに対して条約を締結したため、安政の5カ国条約ともいう。条約調印後の59年には、長崎・横浜・箱館を貿易港として貿易が開始される。なお、当初の予定(条約締結時)では、神奈川が開港地とされていたが、宿場町であったこともあり、混乱が予想され横浜に変更された。
 規定にある港だが、兵庫に関しては神戸に変更され1867年に、翌年には新潟が開港された。締結後に少し時期が空いていることに注意。

イについて
 史料中にある「明治時代になると洋服を着る習慣は、( イ )から次第に広まった」とある。これに入る語句は「官吏や軍人」となる。史料中の「日本人そもそも洋服の着始めは旧幕府仏蘭西式歩兵の制服にあらんや」とある。ここをヒントにして、管理などから民間に広まったと考えられる。なお、教科書状にも記載がある。資料集などには、富岡製糸場の図が掲載されており、和服姿の工女が写っているものがあるが、「官営模範工場の工女」とは適合しないと判断する必要がある。

問2:②
下線部a(日本と欧米諸国の貿易が進展する)に関連する問題。
X:グラフ1とグラフ2からは、艦船や小銃などの武器類の輸入額が増えたことが
 確認でき、幕末期の日本で西洋式軍備の需要が高まっていたことがわかる。
Y:グラフ1からグラフ2へと輸入総額が変化した背景には、欧米諸国の要求によ
 り関税率が引き上げられたことがある。
・Xについて
 グラフ1と2を比較して、増加したことが確認できる。また、「幕末期の日本で西洋式軍備の需要が高まっていた」に関しては、「旧幕府仏蘭西式歩兵」という表現からも正しいと判断ができる。よって、正文。
・Yについて
 「グラフ1からグラフ2」への「輸入総額」については、増加しており輸入総額が増加したことが読み取れるが、直接的な原因が「関税率の引き上げ」とはならない。引き上げであれば、輸入総額は減少するという関税に関する基本的な知識が必要。よって、誤文と判断できる。
★日米修好通商条約などでは、協定関税制が採用されている。これは、関税自主権
 の欠如と同じである。同条約の別冊である貿易章程では、輸入関税は20%で、
 1859年の開港以来輸出超過。1866年に調印された改税約書では輸入関税は一律
 5%とされたため、翌年の67年には輸入超過となる。

問3:④
 史料に関して、「華士族禄制変更のために、金禄公債一億七千余万円を発行せり。この公債証書をもって、国立銀行設立を申請する者夥しく、(中略)多数の乱立をみたり」とされていたため、「金禄公債証書をもとに、国立銀行を設立しようとする華族や士族が多く現れた」ことが正しいと言える。秩禄処分についての基本的な情報を把握していれば、成文と判断できる。

①について
 1872年に国立銀行条例が制定される。大蔵官僚の渋沢栄一によって定められた。この条例によって、民間出資による国立銀行の設立が認められる。また、国立銀行には紙幣発行権が与えられており、発行紙幣の兌換義務もある。
②について
 国立銀行条例の制定には、民間の財力を活用して、兌換紙幣の発行量を確保する意図があったが、銀行券には兌換義務があり、国立銀行の設立は少数(4行)にとどまることとなる。そのため、紙幣の発行量についての成果は上げられていない。
 1876年に国立銀行条例が改正されて、発行紙幣に対する兌換義務がなくなる。
③について
 史料中の「政府の命令同様の〜」において、政府は三井組と小野組が出資して設立した銀行に対抗するため、第一国立銀行を設立した、という文が誤りになる。

問4:②
a:フェノロサは日本の伝統美術を再評価し、その復興に尽力した。 正文
b:洋学者の加藤弘之は、他の洋学者と政教社を組織して、表面的な西洋化を批判した。 誤文
c:ドイツ民法を模範として編纂され、1890年に公布された民法は、日本の伝統を破壊すると批判され、施行延期となった。 誤文
d:明治政府は、旧暦(太陰太陽暦)を廃して太陽暦を採用したが、都市部に比べて農村部では旧暦使用の習慣が長く残った。 正文

bに関して
 「政教社を組織して表面的な西洋化を批判した」とあるが、これは三宅雪嶺らのことになる。1880年代後半、三宅雪嶺らによって雑誌『日本人』が刊行されたが、当時の政府の推進によって欧化主義に反対していた。なお、加藤弘之は1873年に結成された啓蒙思想団体である明六社に参加した人物の一人。

cに関して
 フランスの法学者であるボアソナードは、1873年に明治政府に御雇外国人として招聘される。その後、1880年に刑法・治罪法、民法を競うする。そのため、ドイツ民法を模範、という部分が誤りとなる。1890年に公布された民法に関しては、1893年に施行される予定であったが、ドイツ法学系の権威であった穂積八束の論文で『民法出てて忠孝滅ぶ」を発表し、個人主義的で日本の家族制度に適合しないとなり、施行に反対した。フランス法の研究をしていた梅謙次郎はボアソナード起草した民法案を支持する。そのため、民法典論争が起こる。

小問数は少なく、極端に難しい問題もなかったが、背景知識が曖昧だと判断に迷うような問題だったと感じる。
個人的には、少し細かいところではあるが、受験生としては日本史の勉強もだが、「政治に対する学び」という意味でも明治時代の憲法制定前後のことは学習する必要があるのではないかとも思えたので今回の大問5に関して、将来的な選挙、国政に参加する、そういう観点でも考えることができた内容だったと感じた。
 


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