【鑑賞記】パリ・オペラ座バレエ「オネーギン」初日
2025年2月8日19:30。パリ・オペラ座バレエ団エトワールのマチュー・ガニオにとって、同団との最後の全幕主演舞台となる「オネーギン」初日の幕が開きました。
19時くらいにガルニエ前に着くと、正面入り口前では土曜日のパリ名物?というデモが行われ、拡声器から耳を覆うような大音量でスピーチが行われていました。観客がセキュリティを通ってガルニエ内部に入るいつもの入り口はどれも閉ざされており、中を覗こうとする人、戸惑ったように周囲の人に状況を聞く人や、電話で連絡を始める人の姿も。
私も同様に戸惑いつつ、ガルニエ前の階段を降りて左手に回ると、見学の際の通用口に続くと見える長蛇の列がありました。とりあえず列に並びつつ、隣の男性に、これは今夜の公演のの入場列ですか?と聞いてみます。多分?という答え。周囲の様子から察するに、並んでいる誰もが理由は定かでなさそう。とにかくしばらく並び、地下のセキュリティを経てようやくガルニエに入るという珍しい体験になりました。それによって開演時間は30分ほど?遅れたでしょうか。
初日のメインキャストは
オネーギン マチュー・ガニオ(エトワール)
タチアナ リュドミラ・パリエロ(エトワール)
レンスキー マルク・モロー(エトワール)
オリガ レオノール・ボラック(エトワール)
グレーミン公爵 マチュー・コンタ(スジェ)
3月1日にこの演目でアデューを予定するマチューと、4月17日にマッツ・エックの「アパルトマン」でアデューを予定するリュドミラを主演に、脇もエトワール陣が固めます。
個人的には、マチュー演じるオネーギンを初めて観たのは2018年のシュツットガルト・バレエ団日本公演への客演で、相手役はエリサ・バデネス。次いで2020年のパリ・オペラ座バレエ団来日公演でこの時の相手役はアマンディーヌ・アルビッソンでした。
その時は、マチュー本来の優しい人柄が隠しきれないオネーギンを新鮮に感じたのですが、年月を経て、いつのまにかオネーギンの距離のある冷淡さ、いわば「オネーギンらしさ」をマチューから感じるようになったのが、まず、今回の発見でした。
オリガとレンスキーの心温まる抒情的な舟唄の場、そしてその2人を筆頭に、コールドが舞台をグランジュテの連続でディアゴナルにかけ抜けるエネルギー溢れるシーンを経て、タチアナと2人きりになる場面。タチアナが持つ本のタイトルをあらためて、フッ、と鼻で笑う表情に、オネーギンの誇り高い、というか高慢という言葉が当てはまりそうな心のありようが浮かび上がります。
その後のオネーギンのソロは、天を仰ぐ視線と目の表情に、彼の心が周りの日常と同じ次元にないことがありありと見て取れるものでした。オネーギンを象徴する、額に手の甲を当てるような仕草、オネーギンの4番など、マチューは持ちまえのエレガントな美しさを見せながら、タチアナの周りにある地に足がついた日常とはかけ離れたオネーギンのパーソナリティを浮かび上がらせていきます。
その彼に、どうしようもなく惹かれていくタチアナの心の動きが、オネーギンに近づきたくても近づけない軌跡を辿る細やかで美しいパドブレに具象化されて見えるようでした。
鏡のパドドゥは、2人の正確無比なパートナーシップによって、まさに夢の中のように流麗に紡がれました。リュドミラの繊細で美しい足先と、多用されるアクロバティックなリフトでの空中姿勢の、勢いがある中でもコントロールされた伸びやかな美しさ。マチューの確かなサポートと高く美しいジャンプ。全てがタチアナという少女の夢らしく、甘く魅惑的に描かれます。
夢から覚め、初恋の喜びに酔うタチアナの表情を見つめるうちに、第1幕の幕が引かれました。
第2幕はタチアナの名の日の祝宴の場面から、オネーギンとレンスキーの決闘へ。物語が暗転します。
無遠慮に観察してくる年配の人々に辟易し、タチアナのナイーブさにも苛立つオネーギン。自分の中の苛立ちと衝動を抑えない、抑える必要を感じていない傲岸さを見せる姿に、オネーギンの人物像がここでも浮かび上がります。
対するタチアナは、破られた手紙を手に捧げるように、カードテーブルに向けて歩み去るオネーギンの背中を、哀願にも見える悲痛な表情で見つめます。手からこぼれ、床に落ちた引き裂かれた手紙を見て泣き顔に歪む表情。リュドミラのタチアナは表情から見える感情が強く、非常にエモーショナルでした。
続くタチアナのヴァリエーションでは、なぜ、どうして、と強く言葉で問いたいのに問えない、という激しい心の動きが見えるよう。そのタチアナの感情に呼応し、カードを弄びながら表情に苛立ちを表すオネーギン。マチューとリュドミラという卓越した表現者同士の間の確かなつながりによって、タチアナとオネーギンの水面下での感情のせめぎ合いと緊迫したドラマが伝わってきます。
苛立ちが頂点に達したオネーギンが、腹いせのようにオリガと楽しもうとするところから、レンスキーの死へとつながる悲劇が始まってしまいます。
決闘でレンスキーを倒し、悲しみに泣き崩れる姉妹の前に傲然と顔を上げて戻ってきたオネーギン。しかし、立ち上がり、ゆっくりとオネーギンを見据えるタチアナの強い視線の前に、初めて激しい動揺を表し、目に強い感情を宿しながら、くずおれるかのように両手で顔を覆いました。
続く第3幕はサンクト・ペテルブルクのグレーミン公爵邸。
洗練された紳士淑女の宴に、年齢を重ねたオネーギンが公爵に伴われて現れます。その昔、彼も過ごした社交界の思い出に襲われるオネーギン。美しい女性たちの幻影と踊りながら、過去に思いを馳せるオネーギンの目の表情の表現の深さが、彼がレンスキーとの決闘の後に辿ってきた年月と心の変遷を感じさせます。
そしてタチアナとの再会。「優しい叱責」の旋律に乗せて夫・グレーミン公爵と愛情に満ちた表情でたおやかに、優雅に踊るタチアナに、過去の幻影から覚めるようにして気づいたオネーギンの動揺は、観ていて心が痛んできます。この短いパドドゥの間に、続く手紙のパドドゥで彼女に激しく愛を告げるまでになるオネーギンの気持ちの変化を余さず語る、ということを、マチューの演技は見事なまでに見せてくれました。
クランコの転換を使った作劇がまた天才としか言いようがなく。オネーギンの中でフラッシュバックする過去を手紙のパドドゥの前に挟むことで、観客はこの比較的短い作品の中にギュッと詰まったオネーギンとタチアナの感情の旅についていける。そんなふうに感じます。
手紙のパドドゥは、2人の卓越したアーティストの対話であり、タチアナとオネーギンの感情のせめぎ合い。振り付けがそのまま2人の対話としてありありと目に見え、聞こえてきて、その中で、タチアナとオネーギンが本気で、お互いを賭けて闘っていました。
オネーギンの懇願。ためらうタチアナの前に回り込み、床に身を投げて手を差し伸べます。それに屈して手を取るまでのタチアナの溜め=ためらいと葛藤。
自分と行こう、というふうに彼方を指して連れ去ろうとするオネーギンと、行けはしないタチアナ。
揉み合ううちに、鏡のパドドゥでそうしたようにオネーギンに身を投げかけ、高らかなリフトを見せつつも、最後の最後で拒みきり、オネーギンの懇願を振り切ってひとり慟哭するタチアナ=リュドミラの表情が。
すべてを物語っていました。
そのリュドミラに向け、幕が降り切らないうちに湧き上がる喝采。
そして幕が開き、息を切らしながらただ身を寄せ合うタチアナとオネーギン、リュドミラとマチューに、喝采の声がさらに高まります。
オネーギンの極致を観た、と思いました。
前半の、自分自身、おそらくは彼自身の「誇り」の中に閉じこもった冷淡さから、レンスキーとの決闘を経ての変化、前半と対比する後半の回想の場面で見せた目の表情の表現の深さと切なさ、タチアナと再会した動揺、そして手紙のパドドゥ…。
オネーギンという役はなかなか共感しにくい複雑な人物像ですが、この夜は、一緒に旅できた、と思える、これ以上が想像できないオネーギンでした。
オリガとレンスキーのこと
話があちこちしてしまうのであえてスルーしてきたオリガとレンスキーについて、この2人も物語上、そして踊りとしても、重要なシーンがたくさんあります。
レンスキーの出の場面。笑い皺を目の下に刻みながら現れるマルク・モローの甘い表情がとてもチャーミング。オリガを好きでたまらない、そんな表情を見せます。第1幕ソロでの伸びやかな跳躍と美しいポーズ、オリガとのパドドゥでのサポートも盤石で、初役ながら見事なレンスキーでした。
オネーギンの誘いに乗るオリガに怒りを募らせるタチアナの日の場面。苛立ちから屈辱、怒りへと膨れ上がっていく感情の表現が自然で、オネーギンとの対峙は激しい勢いと緊迫感に溢れます。
それに続く決闘前のソロはレンスキーの見せ場。ロマンティックで理想家なレンスキーの人柄と、その彼の怒りと嘆きを感じさせる、踊りと演技が一体になった咽び泣くようなソロでした。
止めにくる姉妹を退けるジャンプの躍動感など、随所に踊りの強さを見せつけつつ、演技でレンスキーの人柄を浮き彫りにしたマルク。
オネーギンを踊る日も遠くなさそうですが、その彼のレンスキーを観られるという幸せもこのキャストにはあります。
対するレオノールは、華やかで可愛らしく、タチアナに比べると少し思慮に欠けて軽々しい、そんなオリガの性格を余さず表現し、オリガが好きで堪らないレンスキーを決闘に追い込んでいく、そんな関係性の成り行きが自然に感じられる造形。踊りも、以前にはジェルマン・ルーヴェと組んで踊っていたところから、堂に入っています。
豪華なキャストの期待を裏切らない、見応えのある舞台の一角を担いました。
配信について
パリ・オペラ座バレエの有料配信サイトPOPで予定されていた21日の配信は、どうやら中止となったようで、残念でなりません。
映像として残すことでバレエ界の色褪せない財産になる、そう確信するこの日のオネーギン。ぜひ何かしらで残る形での映像化を検討いただき、より多くの人が観られることを望んで止みません。
駆け足の鑑賞記、ご覧いただきありがとうございました。