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2021年『一杯のかけそば』は今の世に成り立つのか?

年末を越えることなど考える余裕すらなく過ぎ去った2020年、世に言うソーシャルディスタンス「密です密です密です」と人と人との関係性を分断し、儲けだけの活動が目にみえるように行われ、実際の距離よりも心の距離を作っていると感じた昨年も気がつけば新たなる年を迎えております。街はすっかり通常に戻ったかのようにマスク以外は普通に満員御礼。政治家の癒着はあいも変わらずで、形だけ心だけの距離意識は益々遠距離になっている気がしています。

年末に外出先でトイレを借りたくなって入った東京・四谷三丁目の大手チェーン喫茶店でした。伴侶は飲みたいものがなかったためにコーヒーを1杯だけ注文すると「おひとりさま1品」が決まり事だという女性従業員さん。そんな杓子定規な話が起きたのが年末であったこともあり、昔流行った『一杯のかけそば』を想定外の注文であった紅茶が予想外にも美味しく、それをひと口もらいながら想い出していました。

大晦日の晩に年越しそばを頂きたいと子供ふたりを連れた女性ひとりが訪れたおそば屋さん。注文したのは一杯のかけそばだけという物語でした。日本のみならず海外でも映画にもなったこの話は今でいう『鬼滅の刃』くらいに日本中で蔓延して知れ渡ってブームを巻き起こしました。

親子連れであろう3人の事情を察した店主は、1人前の注文に1・5人前の蕎麦を茹でて提供したことも話を温かくしてくれました。そしてその一杯のかけそばを3人で分ける姿は翌年も翌々年も繰り返され、いつの日にか大晦日の親子連れは店主夫婦の楽しみにもなっていたそうです。しかしある年を境にパタっと顔をみせなくなってしまう3人の親子連れ。話はそれから10数年経ち、立派な大人になったふたりの息子達は母とともに再び同じお店を訪れ、今度は三杯それぞれ頼んだという物語は涙と共に当時の日本経済を潤しました。

この『一杯のかけそば』ブームは1989年の今から32年前のこと、その年は1月7日をもって64年続いた昭和が終わり、8日からは平成に変わった年でもありました。個人的にはすでにフリーランスとして仕事をしており、南野陽子さんとともに某自動車教習所に通ったことが想い出されます。時代背景としては当時4冠とも5冠とも言われ、何を放送しても高視聴率、飛ぶ鳥を落としていたフジテレビがまだ世間の状況を知れる中心地、新宿区河田町にあった時でもありました。この「一杯のかけそば」ブームを止めたのもそのCX、フジテレビの昼の帯番組『笑っていいとも!』でのタモリさんの一言であったとされています。

このタモリさんのCX高視聴率番組が毎日生放送されていた新宿駅前スタジオ・アルタに今現在入ってみると、そんなことなど微塵も感じられないほど時代は変わってしまっておりますが、この時代を生きてきた者としてそれが記憶であるのか脳内で作られた偽装郷愁であるのか、わからなくなってしまうくらいの現代社会の変わり様です。

おそば屋さんは今も昔も変わらず存在します。そこにあるのは個人経営の味のある店主さんのいるお店や大手チェーン店など様々。この物語に登場するおそば屋さんの店主はこの物語にちょうどいい感じの店主さんでした。この親子連れが客として訪れた1年1年、それを繰り返して常連さんになるのですが、初年の時はだれしもが一見さん、それもそこに登場する人物は決して綺麗とはいえない身なりをした親子連れのお客さんでした。このお客さんに対しての態度は今のご時世だったらどうなのでしょう?!

このお話は一杯の注文に対して1・5人前のおそばを茹でて提供したということから始まります。たぶんトイレだけ借りたいと申し出たとしても貸してくれたであろう店主(夫婦)の臨機応変な対応。トイレを貸したことが売り上げに結びつくとかつかないとか、それ以上にその姿勢はひととしての心持ちなのかもしれません。でもなぜ提供したのが2人前ではなかったのでしょう?!大人1人と子供2人、バスや電車料金で言うと2名分の組み合わせ、子供2人は言わずもがなの育ち盛り。

しかしストーリー的に2人前の蕎麦を出してしまったら涙を誘わなかったのかもしれません。押し付けにも取られてしまうかもしれない量の2人前、そうではないちょうどいい量が1・5人前だったのかもしれません。今は逆にトイレを貸しても、貸した相手が強盗になりえる危ない人々が多く蔓延る世の中であるのも違った意味で悲しさを増幅させます。

やがてこの親子連れの来店は毎年大晦日の年中行事になり、店主夫婦も楽しみにして待つようになります。しかし相変わらず提供するおそばは毎年1・5人前。私が店主だったら2人前の提供や、注文された1人前の蕎麦料金をもらわないという選択も考えられたのですが、1・5人前の提供はこの親子連れが訪れなくなるまで続きました。今になって思うと、そこにはお互いの立ち入れない関係性を維持するためだったのかもしれません。お互いに余計なことはしてはならない暗黙の良好な関係性、無償として量を増やしての提供は0・5人前までがちょうど良かったのかもしれません。あからさまに多い2人前を提供して拒否されたり、気を遣わせて翌年訪店しづらくさせてしまったりすることもなく。遠慮されて「俺の提供する蕎麦が食えねえのか?!怒」ということにもなりかねませんしねぇ〜。

やがて訪れなくなった十数年間のブランクをおき、2人の子供達は成長し、立派な出立ちで母と共に3人で再びこのおそば屋さんに訪れます。これが個人、夫婦経営のお店ではなく、アルバイト従業員を多く使ったお店であったらこの再来店は確認、認識されることもなくスルーされていたかもしれません。

当時この話は実話という触れ込みでした。今の世のSNS全盛期の年末に起こっていたら、タピオカ屋さん以上に列をなした繁盛店に突如として躍り出たであろうこのおそば屋さん。しかし逆にここに記した1・5人前も含め承認欲求を満たしたい者により叩かれる要因になるであろうことも多々あり、拾い上げることもできます。店自体も忙しくなりすぎて夫婦2人では切り盛りしていくのも困難になってしまったり、お客のひとりひとりに対してのこういった感情も持てない程になってしまうのかもしれません。それこそ良い時代の良いお話だったのかもしれません。当時粗を探して全否定してブームを消したのもこの承認欲求を満たしたい方々でした。しかもお化け番組の中でのタモリさん発言がとどめを刺しました。

マーケティングを考えるまでもなく、年越しそばを食べることは日本人として当たり前のことになっておりますが、それによって年間のそばの消費量が増えるということにもつながったであろう1989年でした。私が年間を通して必ず観ると言い切れる番組は後にも先にも毎年1つだけ、クリスマスイブの深夜に放送されるCXの『明石家サンタ』。その年に起こった不幸話を笑いに替えてしまい、一般人、芸能人含めて面白かったひとには豪華景品が当たるというこの番組の初回放送はこの『一杯のかけそば」の翌年の1990年でした。初年初回よりほぼ毎年見続け、時にはレンタルルームにてこの番組を観るためだけに行ったりもしていましたが、昨年の番組の景品はあまりにもしょぼく、日産の車も無くなってしまい、話も1発目は明らかに事務所仕込みの因果関係の若手演歌歌手。残念なことは重なるもので、ここ数年ネタを提供してくれていたマツコさんがCX帰りに寄っていた設定のラーメン屋さんお台場店もこのご時世に無くなってしまってマツコさんも放浪せざるを得ないという設定になってしまっていました。

果たして「一杯のかけそば」を提供してくれていたおそば屋さんは今年の大晦日もお店を維持して経営を続けていけるのでしょうか?! 味のある店主の存在、そこでの店主を巡る振る舞いよりもお店の維持の方がもっとも重要になってしまっている昨今、自らが出向き持ち帰るそれならまだしも見知らぬ一見配達員によるデリバリーで配達される「一杯のかけそば」屋さんに求めるものはなにも期待するものがありません。

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石島 道康 / Michi ISHIJIMA
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