ピンボケズキ
ピントがなくても気持ちイイ写真は好き。雰囲気ある写真がスキ(∩˃o˂∩)♡
昨年2019年は久しぶりに写真学校にてスポーツ写真講座を受け持ちました。しかしスポーツ写真もポートレイトも風景も、物撮りだってみな同じ「写真」。写真に間違いはなく、撮る人すべて、撮った写真すべて正解!!という私のスタンスに変わりはなく、そこに撮影者の生き様を加えることで完成するものが「写真という表現」だと思っております。
写真は被写体を写しているのではなく、撮影者が被写体をどのように観ているか、感じているか、想っているか。
業界的に伸びてはいない不況カメラ販売の中で現在も唯一、一人勝ちで売れているカメラがあります。南アフリカでテスト撮影したりしながらその開発に携わり完成した私のDNAの入ったカメラ。しかしそのカメラはファインダーを見なくても、構えなくてもオートフォーカスビシッ!露出もカメラ任せでバシッ!っと撮れてしまう。でもそれって、自らが招いた世間に溢れかえるつまらない写真のオンパレードと似非プロ写真家。
『撮った』ではなく『撮れた』写真、唯一ほめどころは「ガリピン写真」。でもそれもいいのかもしれません。ただ個人的には嫌いです。見るに耐えない捨身(下手な写真を見ていると自分の写真も下手になりますので注意・汗)。私自身これまでもずっと心がけてきた「型にハマっていない写真、誰も撮らなかったもの」。自分で撮ってるというより、カメラに撮ってもらっていては面白くはないのです。それでは想いも何も詰められないどうでもいい写真なのです。
本当にイイ写真って、そこに何が写っているのか?!なんて関係なく、興味ない内容だったとしても引き付けられる。面白い写真は観るだけで面白いのです。偉そうなな言い方をすると、写真って本来そんなものなのです。
スマホアプリ、フォトショップ が一般化してすごく面白い仕上がりを魅せてくれる方々も沢山いらっしゃいます。それらも素敵な写真です。でもどちらかというと真を写したものではなく『絵』や『画』。ただ自分にはその後処理のセンスはないので撮影時に出来ることをするだけなのですが・汗。
オールドカメラ、マニュアルカメラ、フィルムカメラが流行っているのは、そこに撮影者の気持ちを込められるから。レンズを選び、露出を考え、カメラを構えてフォーカスリングを廻し・・・って段階ですでに被写体と対峙しています。被写体が何であれ紳士に向き合い対話している。時にはタイミングを謀り、風を引き寄せながら。
撮影者の想いが込められた1枚がつまらない写真であるはずがないのです。ピントが多少ボケていたって、それはそこの空気の凝縮なのです。
愛こそ写真、撮影こそ愛♡
あとはフレーミングの良し悪しかなぁ〜_φ(・_・
やはりというか、当たり前というか、
35周年を目の前にして写真を仕事としてきたこと、撮ってきたこと、
『写真』への想いを語りたくなっておます(/ω\)
しばらくつづります♡