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脱肉1周年の健康体な自分

子供の頃からの記憶を辿ってみたところで、子供の頃に『肉』を食べた記憶はカツ丼くらいしかなく、『♪ここは吉野家 味の吉野家 牛丼一筋80年♪一郎お土産よ!やったねパパ、明日はホームランだ!』というテレビコマーシャルとともに中学生の時に知った牛丼ですら上京してから初めて体験、新聞休刊日にひとりで行った初めての外食でのことでした。

「えっ?こんな味なの?」という期待と想像があまりにも大きくなり過ぎていたがためなのか、その食感、味も美味くなかったことで逆に驚いた記憶が鮮明に残っています。それからしばらく食べずにいましたが、のちに汁だく、ネギだくと注文するようになっていました。昨年反肉陣営になって(笑)からは食さなくなった寂しさもなく、それまで牛丼は「甘いつゆ味」を求めて食べていたことに気がつくことができました。松屋、すき家のようなしっかりくず肉屋さんでは多量なマヨネーズやニンニクの芽、カレーの載ったものが好みであり、吉野家の脂身くず肉は「牛肉」を求めてではなかったと冷静に判断しています(笑)。

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でもいつからこんなにまで人々は肉を食べるようになってしまったのでしょうか?! これもやはり小麦と同じで米国商品を売るがためのGHQのマッカーサーの政策の成功例?!だったのでしょか(苦)。私自身戦後21年、昭和中盤よりは後半に生まれ、平成を経て令和に起きている身として、そんなに肉中心ではなくこれまで暮らしてきました。そしてせいぜい月一くらいの肉であったことは人生の中で特殊ではなく、何かスペシャルがないと肉を食べる機会はありませんでした。「ご飯奢るよ!」で肉、「誕生日だから」で肉、「クリスマスだから」で肉、「給料日だから」で肉くらいではなかったでしょうか? それがいつしか自分で仕事をして稼げるようになって、マーケティングに騙されるように自分で肉を食べること、「何食べたい?」「肉」に酔いしれる生活、奢ってもらう、奢ってもらうなら焼肉という刷り込みからくる一つ覚えになってしまっているのではないでしょうか。昼はマクドナルド、夜はペッパーランチという生活していることに満足してしまってはいませんか?!

「何故そんなにあなたは体壊して寿命を縮めてまで肉が食べたいのでしょうか?」

調べれば調べるほど出てくる肉に対しての柄の悪い裏事情、そして肉の健康被害。肉を食べないでいることがまったく苦にならないで1年過ごしてみて、そんな生活を送る身が発する『肉を食べないということ』はまったく説得力ないかもしれません。しかし肉を食べないが故の健康に気がついたひとだけが得するというこれからのスタンダードを引き続きおこなっていきたいと思っています。

合言葉は「肉は百害あって一利なし」。

ガン予防には肉を食べないこと!

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石島 道康 / Michi ISHIJIMA
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