「詐欺ですか?」と言われながらも、大学生がカンボジアに行く理由。
「詐欺ですか?」
これは、私が所属している学生国際協力団体Michiiiiのメンバーが初対面の人に、「カンボジアに学校を建てたいんです」と熱意を伝えた時に言われた言葉だ。
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Michiiiiはカンボジアの小・中学校の支援活動をしている団体であるが、大学生がボランティアをしている事に対して厳しい言葉・嘲笑を含んだ言葉が投げかけられることが少なくない。
同級生にボランティアをしている事を話すと、嫌悪感を含んだ雰囲気になることさえある。
ボランティアという言葉は、そのまま直結して〝意識高い〟〝偽善〟という言葉につながってしまうのだろう。
それは、勉強を真面目に頑張っている学生に対して投げかけられる目線と同じ構造をしていると思う。
そんな世の中は変えてしまいたい。
なぜなら、ボランティアを嫌悪した時点で、その先にある苦しい生活をしている途上国の人達のことを知る機会が奪われてしまうから。
なぜ、大学生はボランティアをするのか。
大学生とは「変わりたい」生き物だ。このままでいいのかと常に自分に疑問を持ち、飲んで騒ぎながらも悩み続けている生き物だ。
世の中にたくさんある自分を変えるきっかけとなるものの中で、大学生にとって一番メジャーな存在がボランティアだったのではないか。
その「変わりたい」の中には、可愛い女の子と仲良くなりたい、一緒に騒げる仲間が欲しい、居場所が欲しい、という感情も含まれている。
もちろん、色んな世界を見たい、子ども達の教育環境を整えたいという純粋な思いを持ち、ボランティアの世界に入ってきたという人も多いが。
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そんな大学生が、カンボジアにボランティアをしに行く。
そんな大学生に何が出来るのか、という疑問・批判が起きるのは仕方ない。
でも、向こうに住んでいる人たちはそんなこと知ったこっちゃないのだ。
若い日本人が、会いにきてくれた、ただそれだけで喜んでくれる。もう本当に満面の笑みで迎え入れてくれるのだ。
それだけでカンボジアに行く理由になると私は思っている。
そして、その笑顔に触れると、「また来たい」と思う。
正直、現地を訪れるまでカンボジアの事を全く知らなかったし、ボランティアをすることを周りに伝えることも恥ずかしい、と思っていた。
でも、一度現地に足を運びそこに住んでいる人達と仲良くなってしまえば、それはもう「ボランティア」というより、人間対人間の関係として彼らを救ってやりたいと思うのは当然なのだ。
きっと日本で、お金がない、食べるものがない、学校に行けない友達がいたら自然と手を差し伸べるだろう。
だから、カンボジアの子どもたちが教室が足りなくて困っていたら、仲間と共にどうしたら教室を建てられるのか必死に考え実現させる。
ボランティアへの入り口は人によって違う。
下心満載でボランティアに参加する男の子も、就職のためにと入ってくる女の子もいる。
でもみんな、なぜかカンボジアの虜になってしまう。
「途上国」「ボランティア」という単語に拒絶反応を示さず、世界にはどんな人間がいるのかと、興味を持ち、知っていただくことを願っている。
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