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ゾーンに入った時のこと
「しばらくやってるとな、ゾーンに入んねんな」
数週間前に僕の暮らしているシェアハウスに越してきた横浜出身の女性の方が述べた。横浜育ちだが父親は関西、母親はフィリピン出身であることから一人称や話し方がちょこちょこ変わってとても個性的、好感がもてる。3割くらいの出現率の関西弁で、彼女は農作業中にゾーンに入ると果物をピッキングするスピードが尋常じゃないほど速くなると話してくれた。
僕も現在木に生えたラズベリーをひたすら取ってゆく仕事をしているが、生憎それによってゾーンに入ったことは一度もない。好きな音楽を聴きながら、急かされることもなく作業ができるノンストレスフルな仕事のため自分としてはやりやすいものの、果物を取っていくという作業自体は別に好きじゃない。「生涯この仕事をやれ」と言われたら悶え、足掻き苦しむだろう。好き嫌いがはっきりしている僕は、本気で好きなものじゃないと集中できんのだ。つまりそんなに好きでない作業で「ゾーンに入る」なんてことは今後もないように思う。
どっからどこまでが、「ゾーンに入る」と言っていいのかは不明だし別にその定義は現在ちょっと眠たい僕の知的好奇心を刺激するものではないので詳しく調べようとも思わんが、「あ、もしかして、これがゾーンってやつか」という体験なら一度だけある。気のせいと言われたらそれまでだけどね。
大学四年生の頃である。
所属して4年目となる落語研究部。毎年6月には大きなホールを借りて行われる定期公演があり、落語を披露する予定の部員は日々練習を重ねていた。
実際の公演の一ヶ月ほど前には、部員の前でのネタ見せをする機会がある。やるネタを決めて頭の中にインプットしてからは毎日のように稽古を重ね、ネタ見せ当日には十分見せれるレベルになった、「よし、バッチリだ」、と勝手に思いながら自信たっぷり部員の前でネタを披露するが、
ウケなかった。
演じた噺は、『お化け長屋』と呼ばれるもの。20分以上ある噺のうち、前半部分の反応はそこそこ良かったものの、前半のフリを回収する後半部分で全然笑いがこない。このタイプの噺で後半部分でウケないというのは完全に失敗である。
数週間後、卒業した先輩が大学外で個人的に行っている寄席にも出演させていただき、そのネタをやってみたが、これまたお客さんの反応がない。
やべぇこれ、本番でも、スベるぞ。
ひたすらに練習しても、ウケない。それは、そもそものやり方が間違っているということ。
ただ練習するだけじゃ、ダメだ。
プロの噺家が演じている間や音、仕草を狂いなくやればスベるわけがない、以前はそう思っていた。が、場合によってはそれが当てはまらない場合もある。その師匠の声色、個性があって初めて笑いに転じるというパターンもある。今回の件でそれを知ることができた。ウケなかった部分を根本から見直す。他にどんなやり方、演出があるのか、あらゆる『お化け長屋』を鑑賞し、多角的に考えてみる。それに加えて、練習に次ぐ練習。完璧主義者だった自分は、妥協を許さず稽古を重ねる。すると各パートでどういった言い方、演出をすれば面白いかというものが徐々に見えてきた、ような気がした。本番前に出来上がったものも「よし、これだ!」ではなく、「これ、じゃないかな?」といったもので、ウケる確証はなかった。だからこそ、舞台上でも「まあスベるわなぁ」といった心情で吹っ切れて演じることができたのが、良いものが出せた一つの理由かもしれない。
迎えた本番。本題に入る前のマクラをちょっと喋り、数分後噺に入る。フリの部分の前半でも所々笑いが起こる部分があるのだが、舞台上以外は灯りが照っておらす暗いためお客さんの表情が見えない。そしてデカいホールなので正直笑い声も微妙に聞こえはするものの、はっきりとは耳に入ってこない。
・・・
ウケてんのこれ?
・・・
いいや。無我夢中でやっちまえ。
途中で不安になろうがやめるわけにはいかないので噺を進める。物語中盤から後半に差し掛かった頃だろうか。
ゾーンに入った。
・・・
と、勝手に思ってる。
非常に不思議な感覚だった。普段は頭の中で次のセリフはこうだよな、といったことを少しは考えながら演じるものなのだが、その時は頭の中が空っぽのような感覚。なのにセリフがポンポンポンポン出てくる。立川談志の言う「登場人物が勝手に意思をもって喋り出す」という感じではない。人物が勝手に喋るというよりは、人物だとか描写だとかそっちのけて練習で繰り返し続けた言葉そのものが自分の意志ではなくむしろ風が吹くように自然に出力されていく感覚。ランニングハイならぬ、ラクゴニングハイである。これは気のせいかもしれないが、確か斜め後ろくらいのアングルだっただろうか。「あれ、俺落語やってんじゃん(笑)」と俯瞰で自分を見ている自分がいた。稽古を繰り返し続けたが故に至った感覚だと思う。
これが、ゾーンってやつ?
なのかは分からないが、とても楽しいひと時だったのは覚えている。出来不出来はその時は分からなかったが、来ていただいたお客さんの感想を実際に聞いたりアンケートで見たりしていると、自分の中でも最高傑作だったのかなぁと思う。よかったよかった。
今後もできればこういう体験をしたい。落語に限らず、表現に熱を持って必死にやればまた体験できるのかもね。