やりたいことよりも重視すべきこと
オーストラリアで生活すること2年と8ヶ月以上が経過した。8月に入り、そろそろまた歳を取る。あと数年もすれば30歳か。体は少しずつ老いていきつつも心は中高生から成長してないので、全く実感が湧かない。まあ誰しもそんなものなのだろう。
2018年11月。当時の職場での過酷な労働に嫌気が刺し、ほとんど勢いで日本を飛び立ちこの国に着いたため、豪州にやってきた来た理由は特にこれだ!というものは正直言って、ない。しかし、生活の中で「自分に合った、将来本当にやりたいことは何なのか探す」という一つの目標を作ることはできた。
が、長いことこの地で暮らしてはいるものの、自分の中での"I want this only"たるものは、絞れてはいない。肩書きというものが少なくなっている現代。個人が複数の収入源を持つことが当たり前となりつつあるためガッツリ何か一つに集中しなくてもいいとは思うのだが、だとしても今の自分の未来へのアプローチはどこか中途半端だ。広がるモヤモヤ。安定しない未来への足場。不安はどうしてもついて回る。
ひょっとしたら、「何をしたいか」ということにフォーカスしすぎていたのかもしれない。
先日最新作のゲームをポツンと一人部屋でプレイしていると、日本にいる知人の方からLINE通話で連絡があった。離れていても数ヶ月に一回ほど近況確認のためこうやってやり取りしてくださるのはありがたい。
元テレビ番組制作会社に勤めていたその人は、現在も芸人兼Youtuberとして活動している知人の動画作成に携わっている。そして最近その活動がキッカケでご縁にご縁が重なり、某有名タレントのYoutubeチャンネルに関わるチャンスを得ることができたそうだ。やってきたことがカチンと繋がったこの人は、間違いなく引き寄せている。
その人に対する羨望もあってだろうか、僕は将来への不安をこぼしてしまった。
「本当にやりたいことが、分かんないですね。モヤモヤしてるっていうか」
そして、僕はこう返された。
「やりたいことで、考えたら、あかんと思うねんな」
何をやりたいかよりも、誰と一緒にいたいかを考えた方が良い
僕の中で「やりたいこと」が優先事項の一番最初に来る、といった固定概念が崩れた瞬間だった。
その人がYoutubeでの活動を続けている理由。過去の経験が生かせることやコンテンツ制作が好きなのはもちろんだが、それ以上にその芸人Youtuberさんと一緒にいたいから。
手助けがしたいといった気持ちが強いから。
「好きな人のため」という気持ちは強いモチベーションになり、充実感をもたらす。それが新しい道を作ってくれることも往々にしてある。
そういえば1年ほど前だろうか。オーストラリアで知り合ったスマブラのプロプレイヤーの動画に日本語字幕をつけたことがあった。日本ではあまり開拓が進んでいない情報が含まれていたので、日本人にも知ってもらうべきでは、と思ったのだ。これによって金銭は、得ていない。だが、感謝の気持ちとしての「ありがとう」をもらうことができた。ちっぽけな自分が承認されたかっただけなのかもしれないが、少なからず人のためにはなったと思う。人の役に立てたような、心地良い感覚があった。
そうか、この感覚か。
僕がこの人のために尽くしたい、と思える人は誰だろうか。スマブラなどの日本のサブカルコンテンツを愛する海外の方、センス抜群の面白い人たち、嘘偽りのない笑顔を振りまく人たち・・・オーストラリアで多くの人とコミュニケーションをすることで、この「誰と一緒にいたいか」はもっと鮮明に見えてくるのだろうと思う。
まあ何にせよ、張り詰め過ぎないことが大事なのだろう。人のために何かするにはまず自分に余裕がある状況を作る。のらりくらりでいいのだろう。決して無理はせず、日々を楽しく過ごす。まあなんとかなるわな。
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