1042/1096 ”現実は完璧”ってどういうこと?
吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1042日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です
1042日目。あと54日ということは、もう今から質問箱に届いたすべてのご質問への回答をすると、それでゴールまで行ってしまう!いよいよ残りの日数が少なくなってきたので、どう使うのかを考えながらいこう。
ゴールに対する思いは、よく観察してみると、ひとつに定まっていない。ホッとするし、寂しいし、嬉しい。なにかを獲得した感じも、喪失した感じもする。わたしは、こういういろんな感覚をひとつにまとめなくていいと思う。いろいろあるままでいいと思う。人間は多面で、感覚もいろいろ、感情も移ろうものだと考えることで、自分のいろんな感覚を素通りしないで拾うことができるのが好きだ。
自分に対していろいろな面があっていいと思うと、他者にも同様に、いろいろな面があっていいと思える。きっと誰しもが、ひとつのことに対して本当に正直になろうとしたときには、いろんな感覚があるのだろうと思う。
だからまあ、いいのよ。今日はそんな感じでも、その時の気分だったのさ。互いに明日は明日の風が吹くのさ。という余裕も生まれてくる。
自分の感じるポジティブなものだけを良いと考えたり、ネガティブなものを否定したりすると、感覚自体が歪んでしまう。生のものに加工が入ってしまうから。
「自分をどうコントロールするか」という構えではなくて、「自分に何が起こっているのだろう」と観察する、眺める側、観客側のゆとりを持つと、自分の本質的なものを感じられる。
1096日の10日前は何を思うだろう。3日前は、前日は、当日は、終わったあとはどうだろう!映画を観るように、それを観察しよう。
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わたしたちは常にバランスを取っています。身体も心も、現実も。自然界のものはいつも、バランスを取ろうとします。
たとえばわたしたちが平均台の上を歩いていて、右に体重が寄ったら、身体は無意識にぐいっと左に傾いてバランスを取りますよね。考えなくても勝手にバランスを取ります。
そのとき、姿勢は歪みますが、これによって平均台から落ちずに済みます。ですから、その歪みは、そのときのベストなのだと言うことができますね。
左に傾いたのは、それで完璧、それでよかったのです。
同じように、現実のありとあらゆることは、常にバランスを取るために起こっています。ですから、それらのことに良いも悪いもないのだということができます。偏ったから、バランスを取っただけなのですね。それによって落ちずに済んだ。それによって今日も生きられました。
現実というのは常に見事なまでにバランスを取っています。それは、完全無欠です。パーフェクトに、必要なほうに必要なだけ傾いてバランスします。それがその時のベストなのです。そう考えると、その歪みには良いも悪いもなければ、失敗だとか成功だということもなく、平均台で落ちないように身体を傾けたのと変わらないのですね。「真っ直ぐに立っていられたら良かった」といくら考えても無意味なのと同じで、否定しても意味がありません。
誰かと揉めるとか、なにかを失くすとか、長年続いている問題などもおなじです。どこかに偏りがあるために、それでバランスを取っているということですね。だから、それでパーフェクト、なのです。それで落ちずに済み、調和していて、それで宇宙とのハーモニーを奏でており、それですべてとのピタッとしたバランスを実現しています。いわば、その瞬間瞬間が、宇宙に存在する唯一の在り方なのです。偏ったぶん、バランスのために姿勢は歪むけれど、そのおかげでニュートラルを保っている。だから現実というのは、なにが起こっても感謝の対象だといえるのです。
ただ、平均台の上で体重が偏ったために身体を傾けたときって、それでいっぱいいっぱいですよね。たとえばその最中にワインを注ぐとか、笑顔になるとか、折り紙を折るとか、将来を夢見るとか、他の人のことをいたわるなど、自分の心を豊かにするような好きなことができません。
わたしたちも、自分の偏りに合わせて現実が傾いてバランスを取っているときには、他のことが好きなようにできません。そんな余裕がなかなかないのですね。なので、好きなことが思いつかない、楽しくない、というときは、偏りがあってバランスを取るために自分を費やしてしまっていて、余裕がないだけということも多々あります。
この”偏り”とは、なんでしょうか。それは、”思い込み”だということができます。思い込みによる、偏った反応です。
たとえば、「人に会ったらまずは絶対に笑顔で挨拶できなくてはいけないんだ」と思っている人がいるとします。本来わたしたちには、しなくてはならないことなどないのです。スンとした顔で丁寧に挨拶することだってあっていいし、ものすごく辛くて、誰かの顔を見た途端に泣いちゃう日があってもいい。
けれども、その人はそれを「まずは必ず笑顔で挨拶、これが基本。できないと軽蔑される、責められる、悪口を言われる、嫌われる」というほどに強く思い込んでいるとします。その人はその思い込みのために、人に会う前には必ず緊張してしまう。なぜなら、笑顔で挨拶ができなかったら嫌われてしまうと信じているからです。
すると、これとバランスを取るために、例えばこれまで必ず笑顔で挨拶をしてきたにも関わらず、自分を嫌う人が現れます。あるいは、笑顔で挨拶をしないこともしょっちゅうあるくせに、自分よりもずっと人気者になる人が現れます。
なぜでしょうか。それは、笑顔で挨拶ができなかったら嫌われる、という思い込みを、真逆の事例で解除するためです。笑顔で挨拶しても嫌われるよ、笑顔で挨拶しなくても好かれるよ、という好例が目の前に現れるのですね。これでバランスが取れるからです。
本来はこれで、「あっちゃー思い込みだったかー!じゃあ自分も今後はあの考えに縛られるのはやめよう」と思えるはずなのですね。現実世界に気に入らないことが起こってきたら、自分の偏りを戻すチャンスなのです。
けれどもわたしたちは、「なによあの人!こちらはちゃんと挨拶しているんだから嫌われる筋合いがないわ!」だとか、「なによあの人、挨拶もしないくせに人気者っておかしいでしょ!」というふうに考えてしまうのですね。
すると、同じような現実を繰り返したまま、偏りを戻すチャンスを見続けることになります。言い換えれば、現実はすべて、自分に必要な完璧なヒントで構成されていると言えます。すげえ、すげえぜこの宇宙!
思い込みが多いほど、のんきに好きなことをやって楽しむ余裕がないのです。思い込みによる偏りが多いと、それのバランスを取るための現実が展開され、それへの反応にエネルギーを使うからです。これもまた言い換えてみると、偏りを戻すのが先だということ。偏りを戻すと、自然とエネルギーが湧いてきて、自然とやりたいことをやれるようになっていくためです。
これが、本質的な在り方に近づくほど、やりたいことをやって余裕を持って生きられる理由です。
まずは、わたしたちが常に完璧にバランスを取っているのだと知りましょう。そして、それが現実となって現れていると心得ましょう。
現実はすべてヒントに満ちており、いつだって本質の自然な状態に導くサインだらけだということを喜びましょう。どんな事が起こっても、それはわたしたちのための道標なのです。やさしい世界です。
そして、あなたのパーフェクトな現実が、別の人のパーフェクトな現実であり、ひとりひとりの人や、ひとつひとつの物たちもが、それぞれにパーフェクトな現実にあることで、この宇宙はぴったりとピースが埋まって成り立っている。すげえぜ…考えるだにすげえぜ!!宇宙はただひたすらに、愛だ。
というわけで今日は、現実をどう観るのかということについて、わたしの好きな観点のシェアでございました。響き合える人がいるといいなあ!
それではまた、明日ね。