見出し画像

918/1096【質問回答】母に本音を言えない/自己否定をやめられない、他

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で918日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

918日目。ここ3日ほどで急に春めいて、ヴェネツィアにも色が戻ってきはじめた。冬の間は霧と寒さが街の色を奪って、景色がモノトーンになってしまうのだ。きっと暖かさを感じているときにしか、見えない色があるのだろう。春の暖かさにほだされて、色彩感覚が戻ってきた。

こういうふうに、周囲がふわふわしてきた時はちょっと要注意だ。冬の間に気づかぬうちに、淡々とした暮らしが地味で静かな冬のせいという気がしてしまう。春になれば変わるような気がしてしまう。だからこの日々の大変さは冬の間の期間限定なのだと、知らぬ間に思うようになってしまう。

そして、待っていた春が来て確認するのだ。気温が上がっても自分の暮らしはなにも変わらないのだと。ポカポカした陽気の中でひとり、何事もなかったかのようにそれを確認する。その無音のショックは、よくわからないダメージになりうる。春への希望。春への期待。春ならではの静かな、誰にも言えない失望。すると、春の色めきは他の人のためのものに思えるのだ。他のたちは、春が来てもっとウキウキしてるのだろうと思える。

春は意外と残酷だ。ほら、こんなにキラキラしてるんだよ、こんなに暖かいんだよ、外に出ようよ、友達と歩こうよ、いい季節だもん、楽しまなきゃ。変わるときだよ!という春の圧。五月病の前に、そんな圧になんとなく元気がなくなる四月病がある気がする。「季節は季節。暮らしは暮らし。俺は俺。それらは別のことだし、誰しもそうだし、それでいい」と意識的に思ってみて。つながって見えるものを切り離すだけで、ふっと浮上するものがある。

この毎日投稿も、同じ。春が来ても書くのです。外は暖かい陽気のもとでふわふわとパステルカラーに染まり始めているけれども、だからといってわたしは、陽の下で毎日遊んで暮らしたりはしないのです。やることをやる。同じルーティンを楽しむ。ああ、いい季節だな。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

画像1

質問者さまがお母さまに伝えたいのは、お母さまがショックを受けそうだと思えることなんですね。それはあなたの本音ではないのだと思います。

小さな頃に言われたことで、自分が悲しい思いをしたということを、お母さんに”伝えたい”のはなぜでしょうか。本当はもっと愛してほしかったからですよね。もっと可愛がってほしかった。

あなたが今も怒っているのか、はたまた悲しんでいるのか、お母さんに反省してほしいとか後悔してほしいとか謝ってほしいと思っているのかはわかりませんが、本音は子どもの頃に受けた愛情が足りなかったと思う、それが今でも許せない。ということではないかと思います。それは、今もお母さんを愛しているからこそ思うことなのだと思いますよ。

それを話すのが怖いのは、あなた自身がそれを拒絶されるのを恐れているのではないですか。そうする勇気がないのは、お母さんを傷つけることよりも、自分が傷つくことが怖いのだと思います。

でも、それを話してどういう結果となろうとも、本音を勇気を出して伝えてみたことによる結果であるならば、良いではないですか。本音を隠すことで保っている関係になど、すがる必要はありません。実際あなたは、すでにそれに不満を感じて改善してみたいと考えているのですからね。

わたし自身にも、親に言われて嫌だったこと、悲しかったこと、辛かったこと、悔しかったこと、悪影響としか思えない日々などをたくさん覚えています。親に文句を言うことは子どもにだってできますが、大人のわたしたちには、育つ過程でのさまざまな葛藤を覚えているから、親を愛していると認めるのは難しいことですよね。

わたしも葛藤だらけでしたよ。以前は母のクセである昔の恨みつらみの話に付き合って「自分だって子どもにこんなにひどいことを言ったことがあるじゃないか」などと伝えたこともありますが、だからといって気分は良くなったりしません。わたしは過去の話を蒸し返すことはあまり好きではないので、今はもう母が過去の話しをしてもろくに相手にしません。遠慮なく「いつまで恨んでいても仕方がないよ」と言います。

「まあ子ども(わたしと妹です)がこんなに自立して幸せに生きられるようになったんだからよかったじゃん」「年老いたら子どもを頼るものだよ」などと今のことやこれからのことを伝えています。あとは、好きな食べ物を買ってきたり毎日映画を観せるなどして、大したことはできませんが、日々できるかぎり愛情を伝えられるように努力しています。

徐々に核心に近づくように、少しずつ本音を伝えるなどしてみてもいいですね。どこかで始める勇気を出してみてはいかがですか。心からの本音って、すごい力を持っています。きっと乗り越えてよかったと思えるはずですよ。

画像2

興味がなくなったのなら、まったくもってそれで良いのだと思います。
人って興味を失ったものに興味を持たせようとしても、どうにもなりませんよね。脅そうが殴ろうが、自分の意志でもどうにもなりません。

性的なことへの興味って、なにかを目的にして持とうとするものではないのですよね。目的などなく自然と湧いてくるものです。だから、これは無理に湧かせることはできません。それに、興味のないことに興味がない、ということには人は苦しまないものです。わたしは競馬をやることに興味がありませんが、そのことで苦しんでいません。しかし、競馬をやっていないと女性としての魅力が落ちると考えると苦しむことでしょう。

ですから質問者さまは、筋肉に興味を失ったことそのものが辛いのではなく、性的なことから離れてしまったらもう女性として終わりだ、というようなイメージをお持ちで、そこに苦しんでいるのではないでしょうか。

もちろん、筋肉でなくとも、性的なことを楽しむ糸口はあると思うんです。官能小説だったり、ロマンス映画だったり、韓流アイドルの男の子だったり。筋肉以外にも目を向けてみるのもひとつの手ですよね。しかし、それでもさっぱり性に関係することには興味が湧かないとしても、問題ではないのです。それでも女性として魅力的であり続けることはいくらでもできますぜ!性的なことへの興味は、女性として魅力的であるために必須のことではないからです。なくてもまったく無問題です。女性の魅力って、二の腕に興味がなければ湧かないものというわけではないからです。

なんなら、異性への興味がなくなってから、むしろ男性から見て素敵であろうという枠が取れて、オシャレや振る舞いに媚びがなくなって潔くなったことで魅力の増す人もいます。あるいは、それによって逆にモテるようになってしまい、その刺激でセクシャルな興味が復活してしまったり、性へのイメージが一新してしまったという人もいます。

これからがますます楽しみですね。せっかくなので、この変化を利用して更にパワフルに女性であることを楽しんでみてください。

画像3

マトリョーシカ的に…(笑)わかります、やっちゃいますよね。わたしもさんざんやっていました。本当にさんざん。でも、その自分に理解を示してあげてください。やっちゃうじゃないですか、しゃーないですもん。

こんなことを言ったら身も蓋もないように聴こえてしまうかも知れませんが、実は、その自己否定をやっているかどうかということは、どうでもいいのです。わたしも、自分のことをしょーもないなあと思います。では、わたしと質問者さまとでどこが違うのかと言うと、

自己否定して、それをする自分を「良くない」と自己否定して苦しんでいる
自己否定して、それをする自分を「問題ない」と自己肯定して放置している

この違いです。やっているか、それとも「やってるなあ」と思っていられるか、の違いしかありません。自己否定なんて放っておけばいいのです。

どんな自分も、いろいろ思考が湧いて、それを制御できないことは仕方がないです。他人と同じで、湧いてくることまでは支配できませんからね。ただ、その自分で生きていくしかないのです。

自己否定ごとき、するとかしないとかに構っていなくていいのです。そんなことは放置がベストです。それよりも、好きなことや興味のあること、やってみたいけど怖いこと、気になることに気持ちを向けて、動いて行動して、いいことがあったら喜んで、あなたの楽しみを追うことに気持ちを置いて暮らしてください。

するといつの間にか「ああ、自己否定って、したままで好きなように生きられるもんなのね」「気にしなければ、していないのと同じなんだな」と思えるようになっていますよ。

画像4

お付き合いしたくない理由は、相手がお金を持っていないからではなくて、あなたに相手への恋愛感情がないからではないでしょうか。

”付き合ってほしいと押してくる人”、という表現からして、愛が感じられません。もしも気持ちがあるのなら、好きで大切に思っている人だということを表現するはずです。

あなたに相手の人に対する恋心があるのなら、一生懸命に働きながらあなたにお付き合いを申し込んできた相手を応援したくなるものです。幸せになってほしいと感じるはずです。あなたに会うために、お金をかけてくれる経済的余裕がなければ大切にされていると感じられないのなら、質問者さまは恋というものを知らないのです。

お金のある人と付き合うもよし、愛する相手と付き合うもよし、あなたの幸せを追求すれば良いのです。ただし、自分が大切に思わない人のことは、大切に扱われなくても文句は言えませんがね。

わたしは、恋愛感情のある相手と付き合うのが良いと思います。でなければ、なんのための恋愛なのでしょうか。好きな人と付き合って、相手を大事にし、あなたも大事にされてください。

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)