943/1096【エッセイ】成功と失敗の境界線を破れ【質問回答】SNSの投稿で緊張してしまう…
吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で943日。
※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。
943日目。楽しい。なにが楽しいって、地味な暮らしがである。わたしは地味に生きている。毎日ブログを書いて、事務仕事をして、文章を書き校正し書き直し画像を作り、返信作業と調べものと勉強とをして、今やっていることを見直し、改善点を挙げて、これから使うべきサービスを検討するなどしながら新しいタスクを自分で作り(自分で事業をしている人には、これをしていればお金がもらえますよ、というタスクが上から降ってきたりはしないので)、寝る。
そのすき間にやっていることは、食べる、家族や子どもと会話をする、風呂、ちょっとした家の世話。ちょっと難しいこともありながらの、日々の平凡な暮らし。(貧しかった頃とあまり変わらない。きっとお金持ちだって、言うほど変わらない。仕事、食べる、寝る、娯楽。しかしていない)
多分これが現在の自分にとって、ちょうどいい難易度なのだと思う。ゲームも、あまりに簡単すぎるとやる気が無くなってしまい、ちょっと難しいと燃えるもんね。
わたしはただただ楽だと伸び切ってしまうから、ちょっと難しいように設定してしまうほうがいい。逆に言えば、そう考えているとなにか難しめのことがあったときに「望むところよ」と思ってしまえる。これが便利だと思う。
三年間毎日書くというのも非常に難しいように思えたが、きっとちょうどよかったのだと思う。自分の生活に、自分にとっての最適な難易度を設定するのって、非常に大切なことだ。その人の幸せに直結することだと思う。
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『成功と失敗の境界線を破れ』
わたしが本格的に発信を始めたのは、2016年の1月だった。ブログを書き始めたのだ。5月までちょこちょこ書いてやめて、1年後の2017年5月に再開し、その年のうちにブログを通してSNSを使って収入を得始めた。
現在このnoteで約2万5千人の方からフォローをいただいており、仕事として成立するようになて数年経つ。ブログを書くようになってから、収入が大きく増えるまでが早かったほうだと思う。なのでよく、「どうすればうまくいくのですか」と訊かれる。
わたしは、感覚的には自分のやっていることは10割がうまくいっているように感じている。けれども、実際は9割はうまくいっておらず、1割だけ嬉しい結果となっているような割合だと思う。しかしわたしはそれでも、1割もうまくいくなら、非常によい率だと思う。
10のうち1は必ず推進力になってしまう。9回は転ぶが1回は筋斗雲に乗れる。9回転んだからといって、失敗は後退ではない。進んでいないように見えるが、転んだことにより、結果についての新たなデータが手に入っているため、実は前進になっている。そのデータが9割溜まると、それを使って1割は行きたいほうに気持ちよく飛んで行ける。こんな具合なのだけれども、それで楽しくやっていける。
1回の失敗にめげている人は、失敗を勘違いしているのだ。聞くがよい旅人よ。傷つくでない。失敗というのはあなたの仕事なのだ。仕事のうち9割の作業はしっかりと失敗を起こすことなのだ。失敗は、結果ではなく単なる作業なのである。失敗が起こったら、それはその作業が成功したことを意味する。それをどんどんやって、筋斗雲に乗る回数を増やしたほうがいい。
ちなみにわたしは、たとえば「このサービス使ってみるとどうだろうか」と考えてちょっとお試しに調べたり使ったりしてみて「あ、ダメみたいね~」と思ったりしたら、これも失敗にカウントする。自分のやることを失敗だと思わないでいようとするのではなくて、むしろ失敗の当たり判定をめちゃくちゃ敏感にしておくのだ。おっこりゃ失敗だ!あっこれも失敗だねえ~と、失敗を見逃さずに、データとして取り込む。基本、自分のやることはほぼほぼすべて失敗。なのであっという間に9割が埋まる。フットワークが軽くなり、データがどんどん溜まる。
失敗を避けてはならない。逆になんでも失敗にカウントする。失敗を財産扱いする。これのメリットは、フットワークの軽さやデータの蓄積にとどまらない。まず失敗に慣れることができ、失敗のダメージ係数が減り、失敗への概念が塗り替わり、失敗への恐れがなくなり、最後には「そもそも失敗とはなんぞや?」というところがわからなくなってしまうところにある。
そしてその最大のメリットは「ではそもそも成功とはなんぞや」というところが、グズグズに崩れるところにあるのだ。失敗と成功を分ける概念が落ちる。消失する。失敗がなくなると、成功もなくなるということ。全部失敗だし全部成功。それはあくまでも主観的な見方によるのであって、本当は絶対的な失敗も成功もないのである。
すると、たとえば「なにかをやってみました、期待した方にいかず違う結果になりました、別のやり方をしてみました、今度は違う結果が出ました、その二度の実験から別の方法を割り出して試してみたところ、始めの期待とは違うが別の期待が見えてきました、それに沿うようにやってみたところ別の作業が出てきました…」云々という仕事の流れのどこかを切り取って、成功と呼ぶとか、失敗と呼ぶとかいうことへの、こだわりが落ちるのだ。いちいちダメージを受けない。目的に向かうプロセスでしかない。
結局は、そのプロセスが楽しいのかつまらないのか、になってくる。
成功しても面白くなきゃ意味がない。失敗しても面白かったらいい。
そうなると、自分の取り組みへの評価は自分次第になってしまう。好きに見られるようになる。ここまで基準が変わると、失敗は日常茶飯事となり、かなり気楽に物事に取り組めるようになる。すると、うまくやることにブレずに向かえるようにもなる。
わたしはこの気分の自由を行使して、自分のやっていることは10割うまくいっていると思っている。実際は失敗していて、ダメなこといっぱいなのだけれども、自分が幸せだったらわたしにとっては成功だもの。
現状を肯定するための都合の良い観点って、持っていたいものだと思う。
さて、今日も質問に回答しますよ。
SNSって人の幸せに関係のないものなので、負担が大きいのなら無理にやらなくてもいいものだと思います。が、ご質問ではSNSを気楽に使えるようになるためのアドバイスをお求めなので、そこに回答してみたいと思います。
これまでもブログやSNSの投稿にも書いてきていますが、わたしは以前、ネットでの発信はまったく気楽にできませんでした。投稿のボタンを押すだけでド緊張しすぎてガタガタ震えるし、投稿したあとなんかもう気が気でなくて、ソワソワしすぎて心臓に悪いと思うほどでした。寿命を縮めてSNSを使っていると本気で思っていましたよ。
どれほどひどかったのかと言うと、わたしはイタリアに住み始める直前に、一度イタリアに旅行に来たのですが、そのときにこちらによくある建物のアーチ型のエントランスの写真を撮ってきました。それをとても素敵だと思うというようなことを短くブログに書いたのですが、その記事をミクシィにシェアする時に、怖くて心臓が飛び出そうだったのです。もちろん、シェアしてからも居ても立ってもいられず、もう那田蜘蛛山での善逸くん状態(鬼滅の刃参照)。震えっぱなしで、投稿を後悔したほどでした。
自分なんぞの撮った写真を、一体誰が見たいものか。それどころかリア充自慢だと思われるのではないか。わたしの意見や感覚についてなど誰も知りたいと思っていないのに、わざわざ投稿して見せる必要なんてどこにあるだろう。誰も反応しないんじゃないだろうか、いや、反応しないどころか、下手くそな写真をディスられやしないだろうか…?!
というようなことを考えてガクブルしていたのを覚えています。今思えばまともな精神状態ではなかったと思えるほどなのですが、恐ろしく自意識過剰だったのですね。でも、これはなにも珍しい話ではないのです。多くの人が、こんな感じなのですよ。
そんなわたしが、今はどうして気楽に発信できるようになったのか。きっとこれはこうした質問に対する最もつまらない回答ですが、数です。数をこなして慣れてしまっただけです。しつこい投稿、この一手です。しかし、この手さえ打っていれば、いつかは気楽投稿に王手をかけられるのです。
逆に言うと、質問者さまやわたしのような、自意識過剰で承認欲求でギチギチなタイプの人って、それ以外の方法でそれが本当になくなるようなことってまずないです。つまりは、数さえこなせばいい。それだけでいいのだから、道は一本です。人間って、繰り返し経験したことに対しての『慣れ』を避けることって、不可能なのです。なんと便利な機能でしょう…!!
SNSも、自分が気分が良くなるためにやることですよね。
食べるのだって寝るのだって仕事をするのだって恋をするのだって、突き詰めたらみんなそうですよ。目的は自分が嬉しく楽しく幸せになるためです。
なので、それをするために自分が喜びから離れたら、本末転倒なのです。でも、最初にちょっと怖かったり大変だったりすることって、この世にいっぱいあります。車の運転もそうですよね。最初はギチギチに緊張していますが、慣れて気楽に使えるようになります。遠出できる便利さや喜びって、最初の緊張を超えてでも手に入れてよかったと思えるものだと思うんです。
SNSもそうです。気楽に発信してやり取りをする面白みって、それを望む人にとっては、はじめの恐れを超えてまで得るのに値すると、わたしは思っています。
最近の精神世界系の情報には、心地の良いことだけをやろう、無理をするのをやめよう、頑張るのをやめよう、努力はしなくていい、というものが多いですが、これをどこにでも当てはめてしまうのは盲目なのと同じです。
(これらは喜びを生まない我慢を無駄に強い続けるのをやめようという意図で言われていることですね)
たとえば、車の運転をしたい人が、車の運転に慣れるまでは難しいし緊張するから、だったらやらないほうがいい、わたしはそれに向いていない証拠、しいたけ占いに書いてあったから間違いない、というか天使からのやめろというサイン、なわけないですよね。アホかいなってね、はい。
あなたが気楽な発信を楽しめるようになるには、数をこなせばいい。それがなんだかんだ言っていちばんの近道ですよ。唯一それ以外のコツをお伝えするとしたら、偽らない自分を発信すること、徐々にでも素の自分や本音を伝えるようにしていくこと。偽った自分を発信していると、その嘘をキープするのが大変すぎて、緊張したままだし、継続が辛くなってしまいます。
でもまずは難しいことを考えないで、数をこなしましょう!たくさんやってみることでしか見えない世界を、見に行ってみてね。
さて、今日はここまで。
それではまた、明日ね!