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1017/1096【質問回答】仕事場での評価が気になる…それを力に変えるには?

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1017日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

1017日目。にわかに忙しくなったため、ちょっと死ぬ気になりたいと思っている。わたしにはあまり器用なオプションがなく、サボるか死ぬ気かのどちらかに振り切ってしまいがちだ。

以前のわたしは、100の力を出し切るどころか過集中を起こして1000の力を使ってなにかをやって、その後何日もぶっ倒れたままになるということを繰り返してしまっていた。

サボろうと思えばどこまでも怠けられてしまい、そうなるともう一歩も歩かない、一文字も書かない、となってしまう。0か100か病という先天性の病気なのだと思う。そう思うと気が楽だ。

ブログを毎日書くことで、だいぶエネルギーを一日一日に無理なく配分して使えるようになった。ありがたい変化だった。けれども、それでもわたしは一般的な仕事時間を大幅に超えて仕事をしてしまう。そして謎に疲れない。DNAに欠陥がある気がする。

気がつけば夜が来ていて、横たわる幸せの中で一度でも目を閉じると朝になっている。わたしは、自分がどうして眠くなるのかが不思議だ。少しも疲れてなどいないのに、なぜ眠れるのだろう。

ああわたしはこんなにも、自分のことを知らない。
間抜けなほどに、自分のことを知らないのだ。

生きるのはこうして、大変で切なくて悲しくて思い通りにならなくて、哀れで愚かしくすらあるのに、こんなにも幸福だ。幸福だけは、減りも増えもせず、侵されも進みもせず、ただどこにも存在しないのと同じように、どこまでも境界なく果てなく満ち満ちている。

わたしは幸福の理由を知らなくていいと思う。なぜ眠れるのか、なぜ幸せなのかを、知らなくていい。ただそれが、わたしが自分を知り得ないということを思い出させるアラームとして、働いてくれたらと思う。

それはいつだってわたしに、誰かほかの人たちのことも、知り得ないと気づかせ続けてくれる。これをとても、豊かなことだと思うからだ。

今日もこれを書けてよかった。
不可思議な、幸福の化身のあなたよ。読んでくれてありがとう。

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わたしは、本当の意味で「評価を気にする」ということは、「評価を得ようと努力する」ことを言うのだと思います。なので、もしもわたしが本当に自分の取り組みについて「評価を気にして」いるのだとすると、当然その取り組みについてよりよくなって評価を得ようと考えます。

単純化して喩えてみると、リレーの選手として認められたいというときには、タイムが早くなればそのぶん評価されますよね。その評価を気にするのであれば、早くなろうと努力するのが自然だということです。そこで、「評価など気にしたくない」「早くなろうとするのは苦しい」と感じるのだとしたら、それはリレーの選手として認められようとすることそのものが嫌だということになってしまうのではないでしょうか。

もしも評価を気にしたくないのであれば、評価されることが前提となっている場からは離れるしかないと思うのです。評価されるとわかっているところに自ら出向いていって、そこで役に立つことで対価を得る。こういう場にいて「評価を気にしたくない」ということは、「低く評価される働きをしていても認めて欲しい」ということになってしまいます。

わたしはこれを、筋違いだと思うのです。

もしもあなたが本当の意味で評価を気にしているのであれば、それを力に変える視点をわざわざ得る必要などなく、その「評価を気にしていること」自体が、今よりも少しでも仕事ができるようになりたいと思う純粋な動機そのものとなるはずなのです。

ですから、わたしには逆にあなたが本当に良い意味では「評価を気にできていない」のだと思います。気にしたくないという前に、気にできていない。

あなたが気にしているのは、「評価される環境を楽しめずにいる」こと。「その環境が積極性につながっていない」こと。そこから身動きがとれずにいることに困っているのです。このようなとき、評価からただ逃げても解決にはなりません。次の職場でもまた、同じような状況に出会います。

あなたが真に気にすべきことは、あなたが今の仕事を楽しんでいないということ。ポイントはたったこれだけなのです。

あなたの仕事についての記述を箇条書きにしてみましょう。

◯責任を持って取り組んでいると思っている
◯なにか足りないのだろうと思う
◯まずは頑張ろうと思う
◯評価を気にするのは苦しい
◯評価を力にする視点を獲得したい

これらのことからは仕事への意欲が感じられず、あなたが仕事を積極的に楽しんでいるとは感じられません。理由は後述しますが、あなたに必要なのは評価を気にしないことではなく、その仕事に喜びや楽しみを見出すことなのです。

評価を気にしてしまうことは、そのままでOKです。それは構わずに、まずは現在の仕事に喜びを見出そうとしてみてください。そのお仕事から、楽しみを得ようとしてみてください。これがなによりも大切なことです。

なぜなら、わたしたちは自分の取り組みが楽しくなってくると、本当の意味で評価が欲しくなるからです。それはまるで、子どもが純粋に楽しんで一生懸命に作った砂のお城ができたときに、「見て!見て!」と言ってみんなに見て評価して欲しがるのと似ています。わたしたちは自分が楽しいことをしていると、自然なこととして評価を欲したり、評価自体を楽しんだり、競争を面白がってしまうものなのですね。そしてこれは、その取り組みにおけるスキルや実力をなによりも上達させてくれる状態のひとつなのです。

仕事が楽しくなる→評価が純粋に楽しみになる→自然と実力がつく→良い評価を得る、という順番になっているということです。

あなたにとって、そもそもこうした評価されることを前提とした環境が楽しめないものだとわかったときには、もちろん転職を考慮に入れるのもよいことと思います。けれどもその前にまず一度、仕事を楽しもうとしてみてください。そしてまた、矛盾するようですが、それを目的として仕事をするときのわたしたちは、いい意味で評価されることを忘れてもいます。

「評価を忘れていたら、逆に良い評価を得た」というのはこういうときに起こることです。評価されたいという動機からスタートして頑張るうちに、役立つ喜びを味わい、それが楽しくなってしまって評価自体を忘れていた。すると良い結果が出て、良い評価をされた。というわけですね。

現在のお仕事を楽しもうとしてみましょう。ゲームのように、今より一秒でも早くやることにチャレンジできる業務を見つけてタイムラップを測ってみてもいいかも知れません。あるいは、なにかひとつの業務だけは誰にも負けないくらい丁寧にやって、その業務の「丁寧さ部門」で密かにトップになって喜びにほくそ笑むのも良いかも知れません。

質問者さまのお仕事の内容がわからないため、上の例はあまり参考とはならないと思いますが、「どうすればこの仕事が楽しくなるのか」と考え始めるだけでも、それはそれは大きな変化だと思います。仕事というものは、自分が役に立つ喜びを謳歌することのできる場だとも言えます。その自分の喜びが、あなたにとってなによりも大切なことだと考えてみましょう!

あなたはそれによって、あなたの現実を移動します。これまでの世界を去って、それに見合ったところにシフトします。あなたが喜ばしい現実に出会うためには、あなたが喜ぶことがすべてです。

すると、気づけば芋づる式に問題が解決していることと思いますよ。

というわけで今日は、「評価を気にしてしまう」「でも評価が力にならない」というときに役立つ、評価というものへの視点の切り替えと、最も大事なアプローチについてのシェアでございました。いつやるの?今でしょう!

それではまた、明日ね。

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菅 美智恵 (壇珠-たんじゅ-)
毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)