972/1096【質問回答】占いが大殺界で気が引ける/パートナーはどうやって選ぶ/怒りをスピリチュアル的になんとかしたい
吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で972日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です
972日目。午前中から数時間楽しく仕事のミーティングをして終えたら寝落ちてしまって、ド派手に時間がない。外は大雨で、今この家はバラバラと叩きつける雨音にさらされており、さらには気温も低い。娘が隣の部屋でぎゃあぎゃあと友達とオンラインで会話していて静寂もない。書くのに難しい条件がいろいろと揃っている。
こんな日はどうするのかというと、音楽を聴きながら書くか、もしくは外界への集中をたたっ斬ってしまう。水の呼吸・拾壱ノ型『凪』を使うということだ。
いやいや!!わたしがオタクだからではないぞ?!これは誰にでもできること。もちろん、冨岡義勇のようにはできないとしても、地球人というのは全集中の呼吸を使いこなせる生物である。
さすらばこの投稿をあと1時間で書くことができるだろう。
さあ、全集中の呼吸で執筆だ!
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本日はご質問にお答えいたします。
なぜ始めたいことを始めないでいられるのでしょうか。その始めたいことによって、あなたはなにを得たいのでしょうか。
大殺界に新しいことを始めてしまうと、最悪で「失敗する」ということでしょうか。もっといくと、死ぬのでしょうか。
純粋にやりたいことというのは、失敗してもやりたいことです。やりたいことというのは、そのプロセス自体が味わいたくてやるのです。
結果のためではありません。
占いに従って生きても、大富豪になるわけでも大成功者となるわけでも歴史に名を残すわけでもありませんよね。実際、多くの人が占いに従って生きていますが、そのような結果を得ているわけではありません。
逆に言えば、占いに従わなくても、大貧民になるわけでも大失敗で歴史に名を残すわけでもないのです。占いに従わなくても、死にませんよ。実際、占いの反対をやって破滅しようとしてみてください。これがなかなか、できないのです。破滅で遊ぼうとした人は、それで潰れることができないのです。
宇宙は「占いに従わない人間に良いことをもたらさない」と解釈できるような場所ではありません。
長者番付で日本一を取り続けた斎藤一人さんは、高名な占い師が手相を見て「あなたはお金に縁がない。一生貧しい」と言ったときに、「わたしにはこの手相で充分です」と答えたのだとか。彼いわく、占いでどう出ようとも、自分が成功するのには最低の運命さえあれば充分だと思ったのだそうです。
占いに従ってやりたいことをやらずにいてまで「物事をうまく運びたい」と考えるような『得ばかりしたい精神』のままでは、たとえ占いに従ってものごとに当たっても、結果に差などないのです。
反対に、やりたいことを楽しめるのなら『損したって構わない』と思えているのならば、その結果もプロセスもあなたを喜ばせるものになります。
結果より、生きたあなたの「やってみたい!」というチカラを大切にするべし。そうでなければあなたは、一体なんのためにそれを始めるのでしょうか。あなたは楽しみたいのですから。一体、なにをそれ以上に重んじるというのでしょう。
もしも「いや、でも失敗が怖いと考えたらやりたくないな」と思うのであれば、ほんとうにやりたいことなどではないのです。もしもそうなのであれば、占い師が「今始めればうまくいく」と言ったタイミングで、もうそれをやってみたいと思っていないときに始めてみると良いですよ。星のめぐりなどのチカラだけでうまくいくものなのか。それらのチカラが、あなた本人の好奇心から湧くパワーを上回るかどうかを見てみてください。
ものごとを始めてみて、自然と次のチャレンジを形にする決断をしたいときや、小さく始めてなんとなく静かに続けていたい時期など、自分の感覚に波があるのがわかるはず。それに従っていくことを大事にしてね。
よい占いというのは、あなたがやってみたいことをやって楽しむための、サポートになるものです。占いは決して、脅しになってはいけないのです。
わたしは、今の夫と「この人だな」とわかったから結婚したのではありません。そんなふうに、選ぶ相手に「この人だ」とか「この人ではない」というような正解不正解があると思っていません。
逆に言えば「正解だと思うからそれを理由に結婚しよう」と思うような人とは結婚しなくていい。「不正解だとしてもいいから結婚したい」と思える人でないのなら、結婚しなくていいのだと思います。
わたしは、あなたが「好かれて悲しい」と言っているのがおかしいと思うのです。悲しいのは、あなたが好きだからではないのですか。
相手があなたを好きなことと、あなたが相手を好きなことは、互いに責任をかぶせ合えないことですよね。あなたが彼を好きなのは、あなたのことです。それなのに、自分の好きだという気持ちやそれによる悲しみについて、相手のせいにして相手を責めている言い方だと思うのですよ。
「尊敬もしていたし双子のようだと思っていたのに、恋愛感情を持たれて悲しい」というのはずるい。尊敬していて双子のようだと思っている相手を、あなただって好きになっているじゃないか、と思うのです。
好かれて悲しかったのではなくて、既婚者に恋愛感情を向けた自分のゆるさのせいで悲しいのです。これの一切を自分のせいだと考えて、きっぱりと彼のせいにしないことが、あなたの次なる第一歩になるのだと思います。
悲しい思いからスタートできる人なのかどうかということを、恋愛感情を向ける相手の条件にしてしまわないでね。
あなたの彼への思いは自己憐憫とくっついてしまっていると思うので、今はそっとしておきましょう。それはそのままでいいので、自分が心地よく安心できる人と過ごすようにしてみてください。
そうして心地よくいたら、いつの間にかその人と恋愛になっていた、というときがまさに、「この人だ」とわかったのとおなじように、その人こそが迷わず苦楽をともにしようと思える相手になっているのだと思いますよ。
現実的な問題を「自分の手には負えないからスピリチュアル的に解決しよう」というのは、そもそもその姿勢が間違っています。
もしもあなたの今の状態を引き寄せの法則的に説明するのなら、『「手に負えない」と思っているから手に負えない現実を経験している』、ということなのですよ。現実的な問題というのは、現実的に対処しましょう。
あなたは自分の怒りに気がついていて、それを溜めたのも自分だと気がついている。そして「問題を起こしたくない」「喧嘩をするのが怖い」「自分の気持ちを知られるのが怖い」「自分のせいになるのが嫌だ」、だからスピリチュアル的な魔法のような力で、見えないところで相手を思い通りに変えて、自分の怒りが収まるようにしよう。としています。
これは恐ろしい考えです。もしも誰かがあなたのことを嫌ったときに、なにかの力を使ってあなたのことを”その人の気にいるように”変えられるのだとしたらどうですか。たまったものではありませんよね。
スピリチュアルな学びというのは、物事を自分の思ったとおりに変えてしまうためのものだと考えずに、本質的な自分を知るためのものだと考えてみると良いと思います。その探求はとても楽しいものですよ。
お義母さまのことは、質問者さまがお義母さまをとおして元々持っていた怒りをあぶり出したに過ぎないのですよね。あなたはいつかどこかで誰かに、あなたの存在を尊重してほしかったのだと思うのです。
しかしそれはまさに、あなたがあなたに感じていることそのものなのです。あなたがあなた自身に、『「問題を起こしたくない」「喧嘩をするのが怖い」「自分の気持ちを知られるのが怖い」「自分のせいになるのが嫌」なのだとしても、それでもわたしの心を尊重してよ』と言っているのだと考えてみて。あなたがあなたに、「自分の得ばかり考えないで、たとえ損することがあったとしてもわたしの心を大切にしてよ」と言っているのです。
怒りというのは、なにも怒ってぶつけなくても良いのです。
例えばですが、「これまで勝手に我慢してきてしまいましたが、聴いてもらえますか。これこれを苦しく思っていたのですが、こんなふうに変えるのはどうでしょう」と、相手を変えるためではなくて、あなたの心のスッキリとした浄化のために伝えてみる。
こんなふうに、周囲の人へのリスペクトを忘れずに、あなたのために動きながら、もっと他者と本当の心で関わってみることを覚悟するのです(場合によっては相手からきっぱりと別れ離れることも含まれます)。
これが、現実的に対処するということです。
その「わたしはわたしを引き受けてみよう。自分の心地よさを自分で連れてこよう」という姿勢こそが、スピリチュアル的に(?)言えば、現実世界にも自分の心地よさを見つけるための観点そのものです。
言い換えれば、「現実の問題には現実的に対処していこう」と力みも逃避もなく柔軟にかまえて、緊張感とリラックスとを心地よくバランスさせていられるとき、わたしたちは自然と「自分の現実には『自分が対処できる現実』しかないのだ」と気がつくことができます。それを、”引き寄せ”と呼ぶかどうかは別として。
この、『現実の問題には現実的に対処しよう』という認識にくつろいでいられる感覚そのものが、まさにスピリチュアルな在りかただということができます。だから、目の前の問題を使って、いっちょ自分のために腕まくりをして自分を大事に、他者を信じて動くことをしてみてください。
そのプロセスを見て、ああ宇宙はこうなっているんだな!!と理解を深めていくこと。それこそを、スピリチュアルな学びだと考えてみると良いと思います。どうぞそのプロセスを、深刻にならずに真剣に遊ぶように、人生のイベントとして楽しんでみてくださいね。まさにこれぞ、ザ・スピリチュアルな立ちかただと思います。
さて、今日はここまで。
それではまた、明日ね。