Typing 21|May 9th,2022
2022年5月9日(月) 6:23am 天気:雨 継続21日目
心に石が乗っかってる
重い
ここに戻ってくると安心するけど
泣いている
背中が痛くなるんだな
気持ちが重いと背中が痛くなる
背中の疲れが取れない
寝てなくても背中の疲れが取れないけど
今日はアップドッグのポーズに入っていくときに
手を床に押しながら肘を伸ばしていく際に
体が重くてなかなか肘が伸ばせないという
身体が重い、または自分の筋力が落ちている夢を見た
「言葉はどこまでいってもフィクションになる」
っていうのを朝に執筆をしてて気づくようになった。
これはもうここに何度も書いていると思うけど発見だと思う
人生は行動の積み重ねが結果人生になるよね
だから動画作りに時間をかけていて
そのスピード感でやってたら遅いんだよな~
動画媒体はいづれまた変わっていく
最新のテクノロジーを使っているから
生き残りが短い
でも「書く」という行為、
「言葉」の歴史を見てみなよ
はるかに長い時間を生き抜いてきている
2000年以上前から余裕で使われてきてるわけでしょ
2000年前にyoutubeがあったかい??
って話なんだよね
動画媒体であれば余計強く言い切る感じだよね
嘘嘘嘘嘘
ってか全部フェイクにしかなりえない
てかフェイクじゃないんだよね
もはやフェイクがリアル
そもそもフェイクってなに?
嘘
本当
そんなの全部その人だから
そもそもフェイクでもないわけだよね
その人自体に多面性があって
誰だって基本的に 多重人格 な訳
一人じゃないのよ
そもそもその 個人 と思われている生命体は
個人ではないのよ
そう
またこの手が動いていて
これを書いていて
この手というのは違う生き物なんだということをここにくると思い出す
手も
口も
どちらも言葉を使える
だけど
違う生き物だと思う
口を使って言葉を使うときは声が伴うかもしれない
声に出せないけど、口を動かすことで言葉を伝えようとするかもしれない
ある意味
言葉=世界
でもあるから
言葉を使えない場合
どうやってその人が相手に 世界を創造させるように働きかけるのか
それできないときとても辛いような気がする
言葉
言語もそうよ
やはり
相手の言語
例えばスペイン語 ポルトガル語 フランス語 英語 などなど
そういった感じでその言語が世界を立ち上げる
相手に世界を立ち上げることができると
コミュニケーションが取れる
コミュニケーションは
言語でなくてもできるが
身体を動かして
例えば
ボディランゲージ
といったりするように
身体全身を使って表現することもできる
だから
身体が不自由だったら
本当に苦しいことが多いんじゃないかと思う
どうやってそれを表現するのだろう
それ苦しいと思う
想像しただけで苦しいと思うんだよね
こうやって文字をタイピングできていること自体
特権である人によっては暴力になるのかもしれない
幸せとは誰かの幸せを奪うことなのか??
それきついな~
何か方法はないのか?
問います
コーヒーを飲みたい
とにかく1語でもいいんだよ
ここに沢山書かなくてはいけないという義務はないんだよ
とにかく思うがまま書いて
その後推敲
って感じで
どのブログも書いてけばいいんじゃないかい
わたしはそう思っている
僕はそう思っている
「ことば瞑想」
「ことば散歩」
そういうブログは書けそうな気がしないでもない
苦しい
苦しい 苦しい
死にたい 死にたい 死にたい
言葉にできてない言葉があるから
死にたい
苦しい
で片付けてしようとしてしまう
そういってる坂口恭平の意見わかるわ
体感として今はもっとわかるな
もちろん本でその言葉を読んでいたけど
あなたを読めない
あなたを読める
といったりする
僕は君を歌う
僕は君を叫ぼう
わたしは君に帰る
わたしは君へ飛ぼう
そう 訳のわからない言葉を作っていくのだ
ここは自由
もともとそうなんだよ
自分でストップをかけてる
部屋のドアの鍵は空いているのに
自ら出ていかない状態を自分であなたは作っているんだよ
そう
今それがわかる
わたしにはわかる
あなたも本当はわかってる
あなたもわかってる
あなたは今そこにいて
一人に感じているかもしれない
でも目を閉じて
その暗闇で
よくその周りを見てみて
どう?
今どんな景色が見える?
真っ暗かもしれないし
はっきり景色が見えているかもしれない
さっきまで見えていたものは
もう見えなくなっていて
次のことが見えているかもわからない
次がない世界にいるかもしれない
そもそも
次ってなに?
前って何?
そういう風に思っているかもしれないね
わからないけど
そういう風にいう人間も
いるんだよ
手を動かしてきて
そういう言葉を書く
何かそういう人格を持った生き物も
俺
俺は一人じゃないんだよね
もともと
あなたも一人ではない
実は
それはおそらくだけど
誰もがそうなんだよ
それを責めなくてもいい
ただそうなんだと
みておけばいい
消そうとすればするほど
「雑念を消そうとする誰か」
をあなたがまた作り上げる
その
「雑念を消そうとする誰か」
自体 数も増えてく
それを自分が作ってんね
それがプラクリティよ
サーンキャ哲学で言うとこの
「原質・自性(プラクリティ)よ」
それやってんのがね
あくまでもこれ
サーンキャ哲学の話よ
別にそれがあってるとか間違ってるとかじゃない
ま
簡単に言うと
1意見みたいな感じくらいに捉えておくといいかもね
結局のところ
俺は使い捨てされる人間なんだよ
と思っているのも
誰かねん
そもそも自分が誰かなんてわからないねん
そんなに自分て信用できる生き物でないねん
っていう前提で生きた方がいい
生き続けるには
それをやり続けられる環境づくりをしなくては
ま
肉体は滅びるわな
肉体世界は今の所
金というものが必要らしい
紙切れだったけど
もはやその紙切れすらも無くなって
実際には目に見えない
デジタル通貨なるものにもはや大半なってると思うけど
それに人生苦しめられてるという
謎の状態やねん
何もそこで起きてないのにも関わらず
自分がその苦しみを作る
自分を重くするねん
かなり重いな
そりゃ出た方がいいよね
質量重いわ
軽くした方いいと思うけどね
でも それをやらんね
「現実」の定義ってなんや?
wikipedia
↓
現実(げんじつ、英: Reality, Actuality)は、いま目の前に事実として現れているもののこと。あるいは現実とは、個々の主体によって体験される出来事を、外部から基本的に制約し規定するもの、もしくはそうした出来事の基底となる一次的な場のことである。現実と区別されるのは、嘘や真実を組み合わせてできたものである。
リアリティのダンス
ね
ホドロフスキー
の本や映画の名前
いい名前
現実のダンス
現実の踊り
だよ
現実が人間が行う動詞で語られているわけだ
面白いよね
そういう規定から抜けていく
言葉の規定から抜けていくこと
ことばは枠を作っていくからね
逆説的にその枠を利用する感じ
人が持っているその言葉のイメージ
規定して根付いてしまっているイメージを逆に使うんのだよ
?????
浮かぶこと自体がまず大事
???
ってことは
そこで亀裂を
その人が自分で作っている壁
先が見えなくなっているところに
少しだけ亀裂入れる
まだ亀裂と呼べないくらい小さいかもしれない
ほんのちょっとだけその壁に傷をつけたくらいかもしれない
しかしMACの変換おバカ
相変わらず
ま、ある意味 面白いんだけど
そのまんま、優秀なA.Iみたいに出されても発見がないしな
特定の個人とか団体とか国とか
それぞれ違う現実があるねん
だから責めるとそれ戦争と同じねん
みな自分の国守ろうとするのと一緒ねん
生命の危機を感じる
だから相手も攻撃的になるねん
そのループ
ねん
てなんやお前
えせ関西人のお前誰ねん
~ねん
のループ
ループって言葉好きやな
英語やけど
繰り返すこと
日本語で書けばな
言葉を繰り返し
ことばの繰り返し
わかるか?
今これを読んでるお前がそれを作ってるんだよ
言葉は枠組みになるが
それを作り上げているのはお前なんだよ
常にそう
目を閉じて
創造させる
目を開けているとき
目を閉じているとき
今日はあまり書いてないと思っていたら
意外とかいてた
さっき3977字だから
多分もう4000字近い
原稿用紙10枚くらいはタイピングしてる訳だよね
原稿用紙に鉛筆で書いたら
もっと時間かかるし
多分
首と右手が疲れてる
タイピングは左手も生きるからいいねんな
実際は右の方が動かしている幅が多いけど
これほんとある意味すごい技術な
タイピングは早い
気持ち?
心?
ま
安易に
心
とここではいっておくけど
心
無意識の世界
と繋がりがもちやすい
そのスピード感が合わせやすい
声も録音すれば意外といけるかもしれないが
声はまたちょっと違う気がする
自分の身体的な声
ってのである意味 定義づけされる
その定義づけからの解放はしたいよな
ことばの一人歩き
というが
ことばは歩いているのだろうか?
ことばが歩いているのを目で見たことはない
なのに
ことばは歩くという
そんな「ことば」が実はたくさんあると思う
ことばの散歩
散歩は気ままだよね
ゴールを決めないで歩く
特にルールもないのが散歩
わたしはことばの散歩をしてる
いつも毎朝
ここには散歩風景を書いてくよ
notę
やりやすくなった
散歩
自動変換
よくなったね
さっきより
キーボードの変な
変換がなくなった
良かった
よかった
よかった
そうそうそう
直したよ
今
よりよくなった
変な
変換機能だったからね
mac
1212
そういい感じや
手が踊るんだ
手は話すし踊る
食べることはないかもしれないが
手が踊っている
確かにそう見えていた
わたしには
そう見えていた
ギターを弾くというが
手は踊っている
タイピングしているときは
世界を建設しているのだよ
まだこのスピード感になれてないな
キーボードをちょっと変えたからね
自動変換が結構おばかだったので
それを自分で変換できるようにある程度変えたらいい感じ
これ
ことば散歩
手が踊る
ギターを弾くときの手は踊っている
弾くというより踊っている
いや
踊るだけじゃないかもしれない
悲しんだりするときもあるかも
笑ったりするかもしれない
楽器を使っている手は踊っているだけじゃないかもしれない
もしかしたら
怒りを表現しているかもしれない
わからないけど
その感情とその音があっているかはわからないけれど
その手自体の動きは感情だ
手は感情である
とも言えるかもしれないね
そういう
ことばの散歩です
ことばが歩いています
ことばはどこへ行くのかわかりません
行き先も決めません
散歩なのでいつやめてもいいし
ゴールもありません
だからこの文章も唐突に終わることもあると思うし
特に
ルールを設けません