Typing 26|May 16th,2022
2022年5月16日(月) 6:53 am 天気:曇り
今日は 満月
7:00amは街が起きてるな
静かじゃないな
やはり静かな時間の執筆がいい
うん
あの静けさが好きだ
あの静けさがない街に住むのもまた大変だな
街が寝てないのも
何かを感じられない気がするよ
その分何かを感じるのかもしれないけれど
このテキストエディットは適当だよ
真剣さは戦争を生む
真剣は戦争である
ともいえちゃったりするのかもね
だから
ニャンポコよ
そうじゃないと戦争が起きるから
宗教もまじめすぎることで
他の宗教を許容できなかったり
厳格すぎるが故に人に対して厳しすぎたり
何か勘違いして殺しちゃったりもあるわけじゃん
そういうアクトを起こしてしまったら
悲しみ
恐怖
なんかを産んじゃうわけじゃん
そしたら
そういう記憶が
それぞれの人のなかにある他の人
他の現実がどんどん生まれて
苦しみが生まれて
そうすると
それがこちら側の身体を伴った現実にも反映されるのよね
今日も潜るというか
そのまま手に任せて書いている
なんでもいいんだよ
俺
わたし
僕
おまえ
きみ
あなた
あなたって文章で書くと
ちょっと上から目線に感じるときもあるが
歌にすると受け取る雰囲気がかわる
あなたもおまえも
お前が近いように感じる時もあれば乱暴に感じる時もある
ことばでどういう風に世界を立ち上げるのか
っていうのをやっている
速さ的に
手の速さで考えてくと面白い気がしてね
頭で考えていくともう違くて
どうよ
今はなにがいる
目の前になぜかあなたがいるのです
笑ういつもの顔が
今も手のひらに浮かんでる
今もきみのかなしい声がなぜか喜んで
声がなぜか鳥のように
声が今とどきました
↑
坂口恭平の 声 って
曲の歌詞
好きだ
これは現実の真実を表してる
そうなんだよね
みんなもよくよく考えたら
あるでしょ?
記憶
ってやつで言ってあげるとわかるかな
お母さんとの思い出
お父さんとの思い出
他にも色々あると思うけど
思い出せるものがあるでしょ
それは生きていて
今もその現実は生きている
存在しているんだよね
過去でも未来でも現在でもない
そういう概念は理性の世界
だけどそれは今も同時に存在しているから
びっくりしなくていいよ
それが日常なんだよね
むしろそっちが日常なんよ
今いる
身体を伴った現実のほうがまやかしといってもいいかもしれないよね
ここらへんで狂ってくるんだろうけど
そのバランスをとらないといけない
ここは境界線なんだとおもう
シュルレアリスムの時代の人たちは
ここらへんである意味狂っちゃった
病んじゃったといえばいいのかな
そういう人も多かったとおもう
闇の部分のほうにひっぱられたような
そんな目に感じる
感じるとしかいえないんだけどね
でもそれがまちがっているとかでもない
実際
ミシェルレリスはそうとう病んでる顔に見えるが
実際
ミシェルレリス日記を読むと
とても面白い
というか
ミシェルレリスもおれである
おれのひとつなんだよ
こういうこというと
多分狂ってると思われるから
ここで話すだけにしておくけど
伝え方がうまくないと面倒になるよね
本の中だったらいいけど
本というのはフィクションになりやすい
皆が 共通認識をなぜかもっているから
あとは切り取って飛んできにくいよね
一手間があるからめんどくさいんだろうね
でも
twitterとかはスピード感がある意味早いから
飛んできやすい
そういう意味では無意識の世界の速さみたいに
早いのはtwitterよね
流れていくしねどんどんどん
タイムラインというだけある
タイムラインね
言葉について考える
俺は
よくわからんけど
そういう風に今書いている
適当に開きながら読む
「ミシェルレリス日記」
ここに書いてたのに今自分が思うことが書いてた
p351
1942年10月11日
これまでずっと考えてきたのとはまったく違って、書くためにインスピレーションの訪れを待つのは、
純粋な耽美主義(たんびしゅぎ)の態度であることに気づく。
この場合、インスピレーションは一個の手段にすぎのものであり、書かれたものこそが目的なのである。
必要なのは、その逆に、インスピレーションを得るために書くことである、
もし書く行為が「霊感をあたえる」に到らず、「霊感」という語の手助けを得つつ漠然と人が思い描くあの特別な状態をもたらさないとするならば、
それにまたこの書くという行為は、わたしがこれまでつねに侮辱的に「文学」として扱ってきたものでないとすれば、いったいどのようなものでありうるのか。
ただひたすら作るための請負仕事、十分な「霊感」があったかどうかの違いによって、成功の度合いが区別されるべき仕事ということになるのか。