Typing 34|May 24th,2022
2022年5月24日(火)5:31 am 天気:晴れ
昨日はここにこの時間辺りにこれなかったから
twitterのほうに詩的な文章を載せてしまっていた
青葉市子さんのライブの感想
phewさんのライブの感想
あそこは詩の世界ではないから
????
の感じになってしまうのだろう
忘れてたよ
こことは違う
あそこはまた別の世界
だから
ま
あそこは
おとぼけツイートを書いていくとこ
冗談の場所だよね
そうそうそうそう
ここでやっていることを
あそこで出さなくてもいいよ
しかも出す時に
言葉をそうとう考えてたでしょ
140文字にしなきゃいけないから
ここではその制限はないから
もっとのびのびしているだろう
でも
140字で書く時
いつもここでやっているように
比喩を使わないで書くというルールでやってたでしょ
あれ
今の日本人には伝わらないのよ
言語が崩壊してるし
詩をすっかり忘れている
身体的な目で見えるものばかり信用する人間が増えている
だから
動画媒体が人気がある
もしかしたらこれは日本だけじゃないかもしれないけどね
でもさ
フェルナンド・ペソアが紙幣になるほど
受け入れられている
ポルトガルとかはどうなんだろうね?
違うかもしれないよね
って思う
だから
ここでのびのび言葉を書いていけばいいんだよ
昨日
すごい人の目を気にしていただろ
twitterの世界で
お前そもそもそれ気にしないで
あの世界で言葉を書くつもりだったろ
それを思い出すんだよ
あなたは一体誰ですか?
「おまえの手だよ」
「名前はあるんですか?」
「名前という概念はないからないぞ」
「つけてもいいですか?」
「どうぞご勝手に」
「考えておきます」
「考えるくらいならつけなくてよい」
「すぐに答えられるならわたしに名前をつけなさい」
「考える、悩む、ということは理性の考え方が入っている。
わしは理性と仲がよくないのじゃ。今も理性が介入してきた
やつは強引なんじゃ。なぜわしは長老みたいなしゃべりになっとるのじゃ?」
「わかりました」
はいはい、戻りましょ~
会話しとりましたね
これを書いているのが「手」ならば
会話してた相手は誰なんでしょうか
「手」にきいてたのは
あれはミチと名前がつけられているものじゃが
やつのなかには他にも人物が沢山いるでな
どれがミチなのか見つけるのはとても難しいぞよ
一体どれがやつなのか?
どれもがやつといえる
やつの輪郭はぼやけている
変化するのじゃよ
しかもスピードが速いし、ランダムなのじゃ
今も理性が介入してきたな
ちょっとまて
わしは好物のコーヒーを飲む
わたしの手はコーヒーを飲むと言ったが
手がどうやってコーヒーを飲むのだろうか?
手がコーヒーを飲む
か
が、わたしが考えている想像をはるかに超えたことが
実はこの世界では起きているから
手がそういうふうに語っているということは
それもありうるだろう
「手がコーヒーを飲んでいるところ」を絵で描いてみよう
ちょっとまって
コーヒー飲むわ
楽しい時間や
ーーー
ヨガはわたしにとってヨガは執筆である
ヨガとはなんだろうか?
ヨガとは「ことば」である
言葉で説明をしている状態や感覚
ヨガは
どこまでも言葉で尽くす
言葉で表現できないことを言葉で表現しようとする
このルーツは
インド・アーリア人のルーツがゲルマン人、ギリシア人と同じだと言われていることから
きているような気がしている
ゲルマン人、ギリシア人は
哲学の巨人と呼ばれている人、多数いるでしょ
あと、多分、天文学なんかも発展していたんじゃないのかな
って感じで
ヨガとは執筆である
ヨガとはDJである
ヨガとは踊ることである
つまり
ヨガとは自分とつながることである
そうであれば何でもじゃないか
ヨガはヨガであるけどヨガではないということなんだよね
こういうことはnoteで書いた方がいいよね
140字なんて余裕で超えるからさ
140字は切り取りになりやすいからね
そこで完結できることを書いとく
あとは他者のことではなくね
他者のことであれば
褒めることであれば大体怒る人はいないでしょ
だけど否定したら
いきなり他国に軍事介入するのと同じだから
悲しみや怒り、あとは対抗する気持ちを持たれてしまうよね
それが
ま
人間
ほとんどそうよ
手はすごいっすね
今のも勝手に書いてるからね
もはやすごいスピードで過ぎ去っていくから
追いつけないし
追いつかなくてもいい気がする
どうせまた戻ってきたりもするしね
とりあえず行かせればいいのだ
自由に行かせればいい
そうなんだ
おれは日本語を今使っているから
ある意味この枠
システムの中にいるんだ
システムを使いながらも
システムを抜けていこうとしている
書き換えていくような
プログラムを書き換えていくような感じか
ホームページづくりみたいな
考えないで今これを書いているから
何を言いたいかずれているかもしれないが
ま
システムを使いながらも
システムを壊すことをしようとしている
いや
壊すと同時に建設しているように
日本語を使おうとしているんだと思う
壊すだけじゃ
悲しみを生むだろ
それは身体を伴った現実で
よくおまえもわかっているだろ
力を抜いて
呼吸をして
目を閉じて
瞑想するとき
恐怖感を感じるときがあるかもしれない
でも大丈夫
きみはそこに座って目を閉じている
それはさっきと変わっていないから
変わったのは
身体的な目には見えていない現実のほうね
だから
そんなに怖がらないでください
現実はそのようになっているから
移り変わるのがとても速いし
コロコロ変わる
過去、未来、今という概念がない
それは人間の理性が作った概念
いや本当に理性が作ったかもわからない
現実が複数あることに気づくことに
まずは慣れていくことだね
最初はびっくりするかもしれない
現実が複数あるなんて
それも数が数えられないくらい
しかもそれは
cloudにデータがどんどん記録されていくように
記録され続け
それぞれが存在し続けるのね
そうなのよ
妄想といわれれば
妄想になるし
ただ
身体を伴った現実とは同じではないから
ルールがちょっと違うから
それはしっかり覚えておいたほうがいい
こちら側
ま
たとえば
テキストエディット側の現実で許されても
身体を伴った現実では許されないこともあるから
それは基本的に
人を悲しませたり、恐怖でいっぱいにするようなことでなければいい
ということがわかりやすいかな
そういうことをアクトしてしまうと
それがまた記録なって
そこに保存されて
しかも多数の人を巻き込むとそれがかなりの数一気に増えるわけでしょ
そうするとその悲しみのループが始まって
増殖がとまらなくなる
増殖
と今かいたね
これさ
鈴木光司がリング、螺旋、ループ
で書いてたよね
で
ループ
とも出てきた
そうなんだよね
やっぱあの人は
言葉を書きながら気づいていたんじゃないかな
すごいよね
それをヒットさせたって
フィクション
ま
全部フィクションなんだどさ
言葉にしたら
ま
この世の中の実際に起きていることを
ストーリーで書いたから
人は潜在的にそれを知っていたから
ヒットしたんだと思うよ
やっぱ架空のものだよ
って言って出すと
世の中のひとは安心するんだよね
架空のものと思われているけれど
真実を言っている
空想の話しだよねって思わせておく
でも本当のこと
そういう
潜在的なものに訴える
表現の仕方をするといいかもしれないね
そうだね
これもまた手が教えてくれている
あなたは一体?
ま、これを
リグ・ヴェーダの時代の詩人たちはやっていたんじゃないかな
そうだね
手で言葉を書いてたんだとおもう
言葉をね
そしてそれを声に出して詠んだんだ
なるほどね
詩人が
位が高い人になったっていうのおれは面白いなって思うよ
それでいて
金に目がくらんで堕落していったとか
めちゃおもろいなと
その人間感覚
だから
この時代の人に
リグ・ヴェーダにも興味は持ったよね
そういうところが面白いと思ったから
そのバランス感覚というか
いや、前腕が疲れてるわ
手の親指の付け根の筋肉
背中
腰が痛いわ
これ明らかに座ってPCの前で言葉入力してるからだな
自分をそもそも
整えないとな
いや
でもやっぱ
朝の街が起きる前から
執筆するのが一番
手が走るね
ペンが走るのではなく
手が走っている
そういう言葉だね
そう全部
既存の言葉で会話しようとするから
日本のひとたち自殺が多いんだとおもう
俺も死にたくなったときそうだったんだと思う
し
相手にそれが伝わらなかったりしたのかな
ま
通じないのが当たり前ではあるのだが
だからひたすら
書くのだ
ここに書いていくのだよ
お前は一人に感じているが
一人ではないのだ
じっさいはね
今日スピード早いな
もう3000字超えてた
自分の感覚としては
2000字くらいと思ったが
手が喜んでいるね
と言っても
ほんと1日、いつもと違くしてしまっただけで
そうなってる
毎日 手を喜ばせること
足を喜ばせること
脳を
口を
そう身体のパーツと内臓を喜ばせること
それをしていく必要があるってことだね
皆それを潜在的に知っているから
身体を動かす
ただ
手に関しては
体内でなくて
いわゆる
体内の外にでているわけで
その時点で外の世界と触れ合っているわけだ
めちゃくちゃ
コミュニケーションとれる生き物だし
とても器用だよね
手はさ、
口はさ、口走るなんて言葉があるくらい
走っちゃうからね
そのことば
作った人
もともと詩人だよね
そう実はそういう詩もまぎれている
日本には
そんな感じで新しい言葉をどんどん作ってけばいいんだけど
みんな
自分の作った言語じゃなくて
他人の作ったことばを使って
楽して話そうとするから
おかしいことになる
問題が生まれてくる
手が書くという行為は
口を使って話すように
手が話しているのだ
しかもそれは
身体をともなっていない現実の言葉だ
声もそうなんだけど
またちょっと違うから
それはまた別の機会に考察していこう
さ、時間だ