Typing 11| April 29th,2022
2022年4月29日(金) 6:03am 天気:曇り
おはよう
今日もここに戻ってきた
twitterワールド
とか書けばいいのかtwitter
twitterの中の言葉のキャラ
みたいなのを作ってるよね
twitterやってる人
それはあなたの人格
あなたの中の
中か外かわからないけど
あなたという生き物の多様性の一つ
あなた自身に多様性があって
わたし自身に多様性がある
なんだか
よくヨガの本とかで見そうな書き方に見えるな
この言葉の羅列
もう少し柔らかい雰囲気な印象になるのにはどうしたらいいのだろうね?
その人格というか多様性の一つになりきってみるのだろうか?
どうなんだろう?
わからない今のところはわからない
でもそれが浮かんでいることは確かで
今眠いことも確かで
頭がまだ働いていない
眠い
という気持ち
あなたは障子でもあり
川の水でもある
これは何の意味もない言葉
何の意味もない言葉
言葉に意味はあるのかい?
言葉には定義がある
誰かが決めたものだけど
単語には定義があると言い換えた方がいいか
これもファイル圧縮のように感じないでもない
古い言葉だとわからないことがあるからだ
それを調べることから始まるから
そこで世界の立ち上がりが止まるのだよ
だから、できるだけ相手がわかる言葉を使うんだけど
その言葉の書き方
並べていき方
に関していわゆる普通の書き方をしなければいい
いわゆる普通の書き方とは何か?
テーブルに置いてるヴォルヴィックの500mlサイズのペットボトル
みたいなね
そのままを書き写すみたいなね
でも実際はそのままを書き写しても
それはそのままのように見えるけれどそれですら
読む人に立ち上がってくる世界はそれぞれの人で違うと思うんだ
ただ共通認識はできてるかもね
ヴォルビックという会社の
500mlペットボトルに入った水というのは
リアルにスーパー、コンビニで目にしたことがある人が多いから
もしかしたらヴォルビックとすら入れない方が相手は世界を創り上げやすいのかもしれない
そしたら500mlサイズのペットボトルは多様になって
好きに読み手は世界を立ち上げることができるのだ
分析ちっくになってきたけど
割とそのまま思いついたことを書いています
ここではそのまま手を動かしています
手は乗り物です。
コーヒーが飲みたい
つなぎの言葉を使わないと意味のわからないような文章になるのだね
なるほど
言葉の次に何がくるかで印象が変わるのね
技法とかあるのかもしれないがそんなのは知らないし知らなくていい
言葉をタイピングしていくと自然とわかってくるもの
どこかで聞いたことのある表現とかは
それはもう誰かが書いたもので
それを読んだことにより自分に癖づいちゃってたりして
めんどくさいからその言葉を使ってすませちゃってることがあると思う
わたしもそうだしあなたもきっとそうじゃない?
あなたは誰?
わたしは誰?
あなたはわたしであって
わたしはあなた
なんて
ソーシャルネットワークサービス snsで書くと
ま~、気持ち悪いとかそういう言葉で片付けられそう
自分がそれを気にしない強さがあれば大丈夫だけど
そんなものをいちいち気にしてしまうこと
これいらない別に。
ここで
テキストエディットでいいと思う
SNSをやりたい
誰かに披露したいとかではなく
わたしはただこの世界をタイピングしたいだけなのだ
世間全般には 「ミチ」と思われてる
世間全般に「ミチ」のイメージが出来上がってる
それぞれの「ミチ」像が立ち上がるのだよ
そもそも虚構なのだよ
基本的には相手が自分の見たいように世界を立ち上げるのだよ
起きていることは今ここそこでしか起きていないのだよ
目で見えること
言葉は目で見えることのように見えて
そこから入るんだけど
目に見えない世界を常に立ち上げているんだよ
ライブビデオのカメラで
VJとかによってエフェクトがリアルタイムでかけない限りでは
物体としてそこで何が起きていたかを記録できてしまう
あくまでも わたしたちが 目で見える 物体として何が起きていたか
だけを記録できるのがビデオカメラ
ビデオカメラとは
わたしたち人間の目で見える、物体として何がそこで起きているか、あるいはいたかだけを記録できる 機械である
と言えるかもしれない。
その他細かい機能のこととかはここでは触れていかないのであしからず。
障子は色がかわる
白の時もあれば
黄色と白色が混ざった時もある
埃や光
経年劣化によってそれは変わってくるのだ
障子の白はどのような白だろう
画材屋に行ってわかるように
同じ白でも
とても無数の白が売っているのだ
それでもわかるよね
白のパンツ
をだらしなく履いている
ただ 履いてるだけじゃないんだ
だらしなく
右側が垂れ下がった状態でだらしなく白いパンツを履いている
誰の視点で書いているのだろう?
ってことに気づくよね
この風景描写をしている誰かがいるのか
それとも登場人物のわたしからの視点
わたしの物事の捉え方なのかもしれないね
そういうそれぞれのわたしの視点が出来上がってくる
その登場人物の価値観、ものの見方のようなものが出来上がってくるんだね
書き方によっては
自然と
書くことの実験をしてしまっているね
今日は
今は誰になったんだろうか
Rainbow Disco Clubに行きたい
と思っていたりするよね
なかなかいい面子。
Podcastとかやると、やっぱいいよね。
声の情報量ってあるよね。
その言葉をどういうふうに言っているかとか
熱量とか
なんかそういうの
声って言ってもそこには言葉で表現できるような
豊かさが詰まっているのだよ
声は不思議だ
今度はいつの間にか声の話になっている
起きたことを思い出して書こうといましたけど
同時に思い出すことのスピード感の遅さよ
立ち止まる感じは今はいらないと思いながら
これを書いているのだよ
イベントのレビューとかって
書くの面倒だな
とにかく思い出して
その時の感覚を言葉にしようとするなんて
もうとっくにその感覚は消えているけれど
余韻を美化して言葉で書く
そんな感じがしないでもない
余韻を美化する
わたしはinstagramとかnoteとかでそういうふうに書いていたのかもしれない
それじゃない書き方に興味がある
アバター作りにあまり興味がないけど
実際はやるんだと思う
わたしも他の皆と対して変わらない
別にすごい人でも特別な人でもないのだ
そういえば
朝倉みくるのyoutubeを見ていて思ったのは
「影響力を持ちたい」
と言っている若者が非常に多かったということ
「影響力を持ちたい」
から
SNSもフォロワーを増やしたいんでしょう
興味がないけどやらなくちゃいけない
いや
それ誰も命令していないよ
わたしがわたしに命令しているだけど
別にやりたくなきゃやらなければいい
それでいいんじゃないの
義務感なんて
誰も強制してないよ
強制していたのは自分か
Instagramでのミチくんという
アバターを見て人はそれをミチくんだと思う
Instagramのミチくんは
写真と言葉で造ったミチくん
今ここで物体を伴っているミチくんとは別人なのよ
アバター作り遊びに
たくさんの人が情熱を傾けているから
ヴァーチャル・リアリティの世界はより受け入れられるようになるだろう
だって皆それを既にやっているわけだから
そんなに変わらない
そのツールが変わるだけ
メタバースとか
そういうものだよ
本は読まない人でも
twitterをやっていたり
noteを読んだり
という世界だから
言葉をそういうツールでシェアするのは面白いよね
instagramは
「虚構」の
写真をまず載せることが起点になってるもんね
だから
わたしたち人間の目で見える、物体として何がそこで起きているか、あるいはいたかだけを記録できる 機械であるビデオが中心のストーリーズが最近は好きな人が多いのか?
虚構の写真については面白いと思う人が少ない
言葉という
どうやってもフィクションになる現実を作り出す
言葉も同じ虚構ではあるのだけれど
写真は好きだけどそういう面白さというよりは
目で見える事実を確認したい
みたいな欲求が強い感じだね
今日はこんなとこに行きました
今日はこれを書いました
わたしはこの化粧品を使っています
今これをしています
とかね
目で見てわかるものを確認したい欲求が多いのがInstagramやね
目で見てわかるものを確認したい欲求の集合体ワールド
それがInstagram
だから最近面白味を感じないのか
ふむふむ
ふむふむ
って身体を伴った現実ではあまり言わないよね
いう人ももちろんいるけど
実際はあまり会ったことがないから
読む
言葉の世界
話す
言葉の世界
実際はちょっと違うよね
書かれたものを声に出して話す
朗読もそうだけど
ちょっと雰囲気が変わるよね
その声の情報量が加わるからだよね
その声の人物の読み方が言葉にプラスされてくるからだよね
これもまた立ち上がる世界が変わるよね
そもそも声にたいしての
好き嫌いとか出てくると思うし
言葉を読んで世界を立ち上げるのとは全然別方向に世界展開されるということも
容易に考えられるのだよ
今日は分析しまくってますな
そういう日なんだね
それはそれでいいよ
今それをタイピングしたいからしている
ただそれだけ
何かすごいことを書いたいからタイピングしているのではないから
そもそも
タイピングをしたい
からこれをやっているだけ
人に評価されたいとかはない
これをやっていると
安心する
安心とはなんだろう
ワクワクする
ワクワクするとは何だろう
生命力が湧いてくる感じ
なんだそれは?
生命力が湧いてくる感じ?
生命力が湧いてくる
ということはあなたはどうやって知ったのだ?
なんで知ったのだ?
生命力が湧いてくるとはどういうことだ?
音楽を探す行為
わたしは眠い
今日はまだ眠い
僕は眠い
私は眠い
サラは眠い
例えばこの書き方はどういう印象?
サラがサラを「サラ」と普段から呼んでいる人物であれば
サラは、「わたしは眠い」と言っているのと同じ意味になるが
サラは眠い
と第三者視点で書いた場合
どうしてサラが眠いとわかるのだろうか
眠そうに見えるが眠くないかもしれない
なんてね
道路を歩く三毛猫
道路を歩く黒猫
片目は閉じたままだ
太ったその黒猫
その黒猫を描写するだけでも
書こうと思ったらたくさん書けるのだと思う
解像度を上げると
全部に対して解像度を上げると
その文章が面白いのか???
それは謎かもしれない
意図的に解像度を下げながらも
あげている
みたいな書き方をしている人もいるだろう
とこれをタイピングしながら
気づくことをそのまま書いていて
それについて深く考えてはいない
でも
タイピングしながら思考しているのかもしれない
思い 考える
思考
タイピングで思考する
なんかそういう本ありそうだ 笑
今一瞬
タイピングで思考する
って言葉について考えたよね
間があった
そんなふうに止まるのだよ
敢えて
圧縮した言葉を使うことで
相手にクエッションを与える
クエッションに対して
後だしで答えるのもいいし
クエッションは
相手を能動的に調べさせる行動に仕向ける技術でもあるし
相手が能動的でなければ ハテナのまま終わるであろう
何も考えていない人であれば
その単語だけを覚える人もいれば
覚えることをしない人もいるだろうね
最初は圧縮された単語だけを散りばめた文章を書いて
後から「~」とは何か
という圧縮を解凍するような文章を書いていくって作戦を使っている人も多い気がしてきた
確かに
それがオンラインのヨガクラスで質問を引き出す
コミュニケーションをとるきっかけを作る手法にはなったね。
7:15am