Typing 36|May 26th,2022
2022年5月26日(木) 6:10am 天気:晴れ
おはよ
さ、ここ戻ってきたね
惰性になっているような気がしている
よね
それは慣れてきた証でもある
ここからだね
手が勝手に書いていくところと
理性の合間のところ
そこをしっかり使っているのが
作家の人たちだと思う
そのまま理性なしで書くのも
手法としてありだけどね
どんどん分散していく
ま
それがありのままなんだけど
それがみんななぜか不安になるのだ
基本的に枠
システム内におさまっていたいのだ
ほとんどの人は
不思議だよね
ものごとの真実に向かおうとしているのに
それを否定するようなことをしているってことね
そうなんだよね
それが不思議だよね
ほんとほんと
分散していく
変わっていく
それが続いていく
それの連続やで
それが本来の姿
そうそうそう
でも枠がほしい
そこにおさまりたい欲
分散していくと怖くなるのかな?
ま
そもそも
身体がある時点で
そういう風に生命体としてはできているわけだ
言葉でもはや説明がわからないけど
身体を持った身体が存在している
交流している現実
ま
わたしたちが一般的に現実だとおもっている現実のことね
そこで
手
足
口
目
皮膚
毛
爪
などは外界に触れているのだ
外と中
というのは
「身体の外と中」
つまり
身体というのが起点
媒介になっているという思想のもと生まれている言葉だよね
身体中心の視点からみた言葉で
それによって
「わたし」というものも同義にされている
例えば
「わたしの内側」ということばで
「自分の内側を観察して」
みたいな言葉が生まれてて
俺も使いそうになるし
使っちゃう時もある
癖でね
これまでの
そういう風に捉えている前提があるけど
実際は違うじゃん
外と中っていう概念は実際ないし
それは人間が作った言葉
しかも人類史で言ったら
割と近代といってもいいんじゃないかな
そうじゃなく考えてた時代もあるらしいよ
内臓を中心に考えてたりとか
ま
それでも身体ではあるんだけど
そもそも今の骨格ありきの生命体じゃなかった説もあるしね
昨日
占星術の松村さんの本
ボディアストロジーを開いてみたら
ちょっとそんなことが書いてね
三木成夫がそんなこと言ってたとかなんとか
今は詳しく俺もわからないが
今の「脳」が中心の世界の前は
違かったと
脳が中心 身体中心の世界観ではなかった
みたいなことが書いてたけど
そうそうそう
今これで相槌を打ったね
さて次の話しに行こうとしているよね
しかし早い
心といっているけど
意識といってるけど
実際は何かわからないけど
とにかく動きが早いよね
だんだんこれもいつも書いてると
繰り返しになってくるわけだ
それをどんどん超えていくような
言葉を書いていけるようになるといいけど
ま
とにかく大事なのは
この文字をタイピングする
ということ
書くということが
好きだということをわすれない
上手に書くことが一番の目的になると
多分苦しくなる
多分
いつまでも理想にはならないから
理想
は多分お前の文章ではなく
誰かの文章へのあこがれ=理想
だと思うから
そんなのいらないよ
自分が
書くことを楽しめばいい
誰も求めていない
最初からそこで自分が何かすごいものだとおもわないほうがいい
常に下手だ
でも書き続けるのだ
そうすると
変わってってるでしょ
例えば
紙とペンさえあれば
すぐに作品はつくれる
自分のね
それがうまいかへたなんて
はっきりいってどうだっていい
作っている
そのときがあればいいじゃん
つくっているときが楽しいし
それでなにかがつくりあげられたとき
世界がうまれたとき
がおもしろいんじゃん
そんな感じよ
今、なにについて書いているかは謎
ね、
朝早くかくと
昨日の9:00amにかいたときとは
全然違うものがでてくるでしょ
街は起き始めてるけど
7:00amほどではない
今6:30am
微妙な違い
まだ静けさはある
静けさのなかで書きたい
静かだからこそうるさいとか騒がしいがあるわけ
逆もしかり
だから
静かがなかったらうるさいもないわけね
わかる?
これは言葉の話でもあるけど概念の話でもあるよね
ここで書いてる分には
何も壊れていない
書いているだけ
でも目に見えない現実では
いっぱいのものが壊されてる
それが怒り
それが怒り
現実のほうでそれを何か壊す
でもそれが悲しみを生まないもので
アクトすることで
それに対して働きかけられるのだよ
それをすること
でも他者に対してするわけでもなく
なにか象徴的なものにやることによって
解消されるのか
その人相手にやると
また悲しみ 怒りとか 産んじゃって
そのループ