残虐なプレイヤーに罪を問うゲームにおいて、罪なのは制作者も一緒かどうかという話 【moon/Undertale】
※こちらは昔書いた、moonとUndertaleの違いについて考えた文章です。
2021年8月29日に書いたふせったー(https://fusetter.com/tw/2SNnPw0R)の加筆・修正版となります。
※moonとUndertale(Gルート)の重大なネタバレを含みます。未プレイの方はご注意ください。
以下本文。
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はじめに
フォロワーがmoonをクリアしたことにより、似たテーマを持つUndertale(Gルート)との違いについて話していた。
RTの意見も含めてまとめると大体以下のような話。
これらの話の中で特に気になったのが、“後者はプレイヤーだけが悪いように見えてちょっとズルい”という意見。
大いに共感できるのだが、本当にそうなのだろうか。拙いながら、自分なりの考えをまとめてみた。
moonとUndertaleの違い
まずこれらの違いは、世界の描き方にあるのではないかと私は思った。
moonはゲームの世界と現実世界を描き、Undertaleはゲームの中に現実世界を作ったのではないだろうか。
moonの残虐性の指摘
moonは、作中で傍若無人な勇者を描くことで、プレイヤーの残虐な行為を指摘している。しかし、最後にMOONが発売中止になることで、制作者も同罪なのではないか?という結論に至っているように見える。
moonのハッピーエンドがゲームをやめることなのは、ゲームである限り、基盤に記されている以上のことは起こらないからだ。主人公がどれだけmoonの世界で足掻いても、勇者がドラゴンを倒す運命は変えられない。製作側に頼みでもしないと、プレイヤーでどうこうできるものではないのだ。
だから、この作品のハッピーエンドの最適解は、moonの世界の扉を開き、外へ出ることになる。
製作側がいじらない限り、ゲームの中の運命は変えられないという、ゲーム世界の特性に向き合った作品と言える。
Undertaleの残虐性
一方、Undertaleの残虐性を指摘する描写は、プレイヤーがそうしない限りは見ることができない。存在はするし、それがあることをフラウィから(遠回しに)言われるが、プレイヤーか行動しない限りは観測できない。
存在はするが、行動しない限りは観測できないということ。これは、現実世界とよく似ている。
極端な言い方だが、誰かを傷付けず仲良くすることができれば、平和主義者としての人生を歩むことができる。しかし、これまた極端な言い方になるが、現実世界でも残虐な行為をしようと思えばできてしまう。私達がとらえる現実世界は、人間性が試され、行動によって景色が変わる。
これをゲーム内でできるようにしたのが、Undertaleなのではないか。限りなく現実と似た特性の世界を、ゲームの中に作った作品と言えるかもしれない。
制作者は本当にズルいのか
では、Undertaleは本当にプレイヤーだけが悪いと指摘されているようで、ズルいのだろうか。
私の意見だが、やはりズルい部分はあると思う。
Undertaleは現実と似た特性の世界を作っているので、プレイヤーの行動はあくまで自己責任、という感覚にさせられる。
現実世界は、創造神を罪に問うことはできない。
だから、そういうことができてしまう世界を作った制作者の罪は見えづらくなってしまうのだ。
しかし、現実と同じ特性をもっているということは、プレイヤーが罪を背負うかどうかは、プレイヤーの行動次第であるということだ。
上記の公式HPの記述からも、Gルートを観測するかはプレイヤー次第、とも読み取れる。
残虐な世界も確かに存在するが、望まないならその世界を観測する必要は無い。Undertaleはプレイヤーの人間性を問うゲームであり、そこがmoonとの違いの一つだろう。
moonは、プレイヤーをゲームの中で愛を探す旅に誘い、現実世界の愛を探す旅へと導く。Undertaleは、現実に似た世界で、プレイヤーの中にある愛は何かと問いかける。
どちらも、プレイヤー次第で見方が変わるゲームなのは間違いないだろう。