結果は努力の先にあるけれど、努力の先に結果があるとは限らない
Netflixで話題の『サンクチュアリ -聖域-』を観ました。その後、同じ監督の作品『ガチ星』という映画をこれまたNetflixで観ました。これらを観て感じたのは、努力の意味。
『サンクチュアリ -聖域-』 (Netflix / 2023)
大相撲を舞台とした不良の成り上がりストーリー。主人公の成長だけでなく、角界の裏話的要素も入っていて話題の作品。
ストーリーはある程度予想がつくものの、描き方というか演出というか、制作への強いこだわりが作品をより面白くしている感じがします。特にスーパースローの使い方が印象的。
もう少し詳しいレビュー(ネタバレはナシ)はインスタに書いたので、ご興味あればどうぞ。
『ガチ星』 (2017)
競輪を舞台にしたダメ男の再起をかけたストーリー。『サンクチュアリ』の江口カン監督の映画監督デビュー作。デビュー作といっても、2016年にドラマ化したものを再編集した作品。
基本的な要素やストーリー構成は『サンクチュアリ』とほぼ同じ。ダメ男がとことんダメ男で、年齢も年齢なので全体的に悲壮感というか仄暗いイメージ。
競輪ってギャンブルをやらない人には縁遠い世界だけれど、おそらく競馬やボートレースも同じように厳しい世界なのだろうなというのが見ていてわかります。
こちらももう少し詳しいレビューはインスタに。
努力の先にあるもの
どちらの作品にも共通して描かれるのが孤立や挫折、そして奮起。奮起して努力して次のステージへ…というのがセオリーというか、まぁそうしないとストーリーが成り立たないわけですが、現実には努力の先に何があるのかはわかりません。何もないかもしれません。
もちろん「何もない」といっても自分の中に残るものはあるし、努力をしたという事実は消えません。しかし、努力をしたからといって必ずわかりやすい成果につながるという保証はありません。悲しいけれど。
努力って一種のギャンブルみたいなものです。成功するとは限らない、けれどやってみなければ成功の可能性すらない。何かがあるかないかはやってみないとわからない。
退化から逃れるために現状を変えようとする行動こそが努力
尊敬する上司がよく言っていた言葉に「現状維持は退化しているのと同じ」というものがあります。似たような名言は福沢諭吉や松下幸之助など多くの偉人たちが残しているようです。おそらく上司もその名言を座右の銘にしていたのだと思います。
努力の先に大きな成果がなかったとしても、たとえそれが成果と呼べるようなものや前進とはいえないものであったとしても、少なくとも何かしらの変化は起きているはず。変化があるということは、現状からはプラスであれマイナスであれ何かしら動いているということ。
映画のように「努力すれば必ず何かが大きく変わる」ということは現実には起こりにくいけれど、退化から逃れるために、現実を今より少し違ったものにするために、そのために行動することが努力なのではないかと思います。
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