奇跡の別れ
紫陽花の咲く季節に、父の日を待たず
でも、私の帰省を待っていたかのように
父と会い会話をした日の翌朝に
父が旅立ちました。
享年85歳でした。
小さな頃から原因不明の病に苦しめられ
度々やってくる激痛にのたうちまわり、救急搬送されること数えきれず。
それでも原因がわからず、お腹には、手術の痕がたくさんで
全く関係ない胃を切除されたり、胃を切除したことによる後遺症や
術後の癒着にもずっと苦しめられてきました。
それでも、医学の進歩により、原因が判明し、
手術をしたのが40代半ばぐらい。
あと少し手術が遅れたら命はなかったとまで言われたけれど、
無事、復活を果たした父。
その手術痕を勲章のように見せながら
壮絶な人生を語っていた父はもういません。
手術により救われた命、
その後の人生は、人の為に生きる、と
いつも自分のことよりも、人の為にと動いていた人でした。
ここ数年は認知症が進み、耳も遠く、目も片目は
全く見えなくなっていて、意思疎通も難しくなっていましたが、
半年振りに帰省した私の顔を見ると、
しっかり名前を呼んでくれて
私が帰ってきたことを理解していました。
ただ、前回よりも、顔色もだいぶ悪く、
食事はしているというものの、更に痩せて
あまり体調も良くなさそうで、少し話をした後は、
しんどいから横になるとすぐにベッドに。
戻る前、また来るね、今度は一緒にご飯を食べようね
との呼びかけに、大きく頷いていてくれた父でしたが
それが最後の会話になりました。
実家を後にしたその夜は、元気に就寝したそうですが、
翌明け方に容態が悪化。
救急搬送されて、
そこから息を引き取るまではあっという間のことで
亡くなる瞬間には間に合いませんでした。
でも、まるで私が帰るのを待ってくれていたかのように
いつものようにまた来るねと挨拶したその翌朝に旅立った父。
こちらに来てからは、一年に一度しか帰れていなくて
一年以上間が空いてしまったこともあったけれど、
今回に限っては、何かに呼ばれるように、
前回の帰省から半年後に帰ることが出来ました。
これが最後になると知っていたら
もう少し・・・と思うところはもちろんありましたが、
最後に会って顔を見て、話が出来たこと、本当に良かったなと思います。
たくさんの奇跡に、いっぱいの愛情で包んでくれた父に
ありがとうと感謝の気持ちを伝えたい。
戻りの飛行機の中で、CAさんの配慮で、空いている席に移動させてもらい
雲の上に顔を出す富士山の写真も撮ることが出来ました。