信じる者は救われる
とてもシンプル。
それ以上でも、それ以下でもない。
穴に落ちてしまった人に
「この縄に掴まれば助けられるよ」と言ってるのくらいにシンプル。
だけれど怒り出す人もいる
「なんだってー!縄に掴まらないと助けないとでも言うのか!」
「、、はい」
諺に「馬を水辺に連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない」
というのがあると最近知った。
なんとわかりやすい。
良く言う話しはイエスさまはジェントルマンという事。
決して無理強いしない。人間が全て選択で決める。
この自由意思が神さまが人間に与えたものの中で最も優れたものだと聞いた事がある。
あるメッセージの中で「従順をプログラムされた人間ではなく、沢山の選択肢の中から神さまの愛を選ぶ人間を神は喜ばれる」
でも決して高みの見物なのではなく、内側からも外側からも耳を澄ませば聞こえてくるはず。神さまからの促す声が。「そっちでいいの?こっちがふさわしいと思うけど」
そして、その声に従うかは私次第。
水を飲むのも、一歩踏み出すのも、縄をしっかりと掴むのも。
私は神さまを喜ばせたい。
(出来れば100人隊長みたいに驚かせたい!)
それが「信じる」という「信仰」になっていく。
だって、神さまは愛する子どもに良いものを与える良いお父さんだから。