【ショートショート】電波憑依
定年後は一日中ラジオ講座を聞いて過ごしたいものだわ、とよく母は言っていた。YouTubeもオンラインレッスンもない時代から、熱心にラジオを聞いて語学をマスターした母の言いそうなことだなと思った。
とうとう定年がやって来て、母は家で好きなだけラジオを聞ける日々が訪れたが、ラジオがよく混線すると言っていた。フランス語講座を聞いていたのに、音楽番組が混ざって、そのうち気象通報がかぶさってきたりして困るの、と。
それからまたしばらくして、実家に寄ってみると、母が妙なことを言った。
「ラジオをつけてもいつもの番組はやっていなくて、誰かの会話みたいなのが聞こえてくるのよ」
「やだ!気持ち悪い」
ちょっと聞いてみて、と母がラジオをオンにした。彼女の言ったことは本当だった。はっきりとは聞き取れないのだが、夫婦とおぼしき男女が交通事故に遭った話をしていた。私は思わず「うそでしょう!」と叫んだ。すると、なんとラジオの女性が私に応答するように言った。「私はうそなんかついてない。あれはあいつの過失運転だった」 偶然とは思えず、私はぞっとしてラジオを消した。
次に母のところを訪ねたときには、母は私が来たことにも気づかず、誰かと話していた。最初は電話をしているのだろうと思ったが、そうではなかった。彼女はラジオに向かって喋っていた。ラジオからはあの時の男女の声が聞こえた。
「あれは相手の過失運転で、私たちは即死だったの」と女性。
「お可哀想に」と母があいづちを打つ。
「お宅のご主人はどうしてお亡りになったんですか」と男性。
「やはり交通事故でしたのよ」
父は亡くなっているが、交通事故ではなく病死だ。お母さん!と呼んでも話に夢中なのか、私の声は耳に入らないらしい。私はただならぬ母の様子に驚き、ラジオのスイッチを消した。
「まあ失礼なことしないで」と母は声を荒げ、再びラジオをつけた。そして話し始めた。「うちの夫も交通事故でした。ええ、ええ、相手の過失運転だったんです」
私は「もうやめて!」と叫んだ。するとラジオの男女と母が声を合わせて言った。
「あんた誰?」