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【ショートショート】メザニンまでの階段

「当日券1枚下さい。S席、残ってますか?」
「申し訳ございません。本日の公演は全席完売となっておりまして」
「そうかあ、残念だな…」
 形だけの確認をするため、スクリーン上の座席表を見ていた係が言った。「あっ、あれっ?…… お客様、お待ち下さい」係は一瞬怪訝な顔をした後、「メザニンでしたら1席ご用意できますが…」と言って私に座席の見取り図を見せた。
「フロントメザニンが10席ほどございまして、こちらに1席だけ空きがございます。満席でしたがキャンセルが出たようです。いかがいたしましょう?」

 メザニンとは中2階席のこと。そのうち前方がフロントメザニン、後方がリアメザニンだ。フロントメザニンなら上等席じゃないか。私はチケットを買った。

 このコンサートホールに来るのは初めてだ。もとはこの国で最初に作られた本格的なクラシック音楽ホールで、近代建築史上優れた建造物として知られた。1990年に今の新しいホールに建て替えられている。

 私はエレベーターで会場へ向かう。今日の演目のことを考えながら興奮していた。おや、間違ったエレベーターに乗ってしまったのか?ここは出演者の楽屋フロアみたいだぞ。エレベーターホールの地階まで戻った。案内が分かりづらいので、階段で行ってみることにした。それにしても大きなホールだ。赤い絨毯の階段をゆっくり上がる。開演までまだ余裕がある。

 階段はどこまで続くんだろう。気がつくと人けがなくなっていた。なかなかメザニンへのドアのある階に着かない。ずっと同じ床、同じ壁、同じ手摺りの階段を歩いている。あまりにも同じ風景なので、上へ登っている、という気すらしなくなってきた。堂々巡りをしているような感覚に襲われた。天井桟敷に行こうってんじゃないんだ。たかが中2階のメザニンに行くのに、どうして私はこんなに手こずっているんだ。今度は上る階段を間違えたのだろうか。やはり戻って確認した方が良さそうだ。開演まであと5分だ。それにしてもちょっと不親切なホールだなあ……

 下に降りようと振り返ると、私の後ろに階段がなく、そのかわりに底の見えない赤く深い穴がぱっくり口を開けていた。私ははっとして、バランスを失いかけた。慌てて手摺をつかんだ。階段の消失は数段下まで迫ってきている。上を向いて階段を登り続ける以外、私にはすることがないのだと悟った。
 

 

 

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