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【ショートストーリー】柿の木と僕と

 宿題のノートがランドセルに入っていなかったんだ。なんだよ、ママのやつ!

 塾のプリントも居間のテーブルに置いてきちゃって「今度忘れたらもうあげないからね」って先生に怒られた。もー、ママのやつめー。

 バスの定期券がいつものポケットに入ってなかったから、おやつ代で払ったんだよ。まったく、ママのやつーー!

          ◇

 ゆいちゃんに「自分でやったら?なんでもママにやってもらって幼稚園生みたい」っていっつも言われる。

          ◇

 ゆいちゃんが僕の奥さんになって七年になる。息子の颯太は来春幼稚園にあがる。ママがそばにいないと何にもできないところが小さい頃の僕にそっくりだと、ゆいちゃんはいつも困った顔で言う。

 今日会社から帰ってくると、お隣の竹田さんの奥さんがうちの玄関の前に立っていた。僕の顔を見ると開口一番、「お宅の柿の木の葉っぱがうちの庭に落ちて来て困るのよねえ、お掃除がた〜いへん!」とまくしたてた。ったく面倒くさいこと言ってくるなあと内心思ったけど、申し訳なさそうなフリをして、「そうでしたか。ご迷惑をおかけしてすみません。これから掃除に伺います」と答えた。
 なんだって僕の帰りを待ち伏せしてるんだ。ゆいちゃんがいないから僕が行くしかないじゃないか。

 ゆいちゃんは先週から、出産のため実家のお母さんのところに颯太を連れて里帰り中だ。そう言えば、去年も「秋になると竹田さんの奥さんが落ち葉のことで大変なの」とか言ってたなあ。え、なに?落ち葉?竹田さん何が大変なんだって?と不明なまま、生返事ばかりしてたから「もう、こうちゃん、ちゃんと聞いてる?」って怒られたっけ。「あの木、切ってしまいましょうよ」ってゆいちゃんは言ったけど、僕が反対してちょっと揉めたんだった。

          ◇
 
 「柿の若葉の天ぷらは美味いなあ」と父さんが言う。「出たばかりの葉を摘むのは何だか気が引けるけどね」と母さんが答える。毎年、新芽の季節になると二人はいつも同じことを言っている気がする。柿の若葉の天ぷらは酒呑みの父さんの大好物だ。

          ◇

 あの日も母さんは柿の葉の天ぷらを揚げていたらしい。揚げ終わると、父さんに「買い忘れた物があるから、ちょっと行ってくるわ。これでもつまんでて」と言い残して出かけたきり、帰って来なかった。
 僕が塾から帰ったのが8時ごろ。当時5年生だった僕は、お腹を空かせて帰って来たのにまだ夕飯ができていないことに腹を立てた。イライラして、ずっと「母さんのやつ!」を連呼していた。
 
 母さんは行方不明のまま、二十年が経とうとしている。

          ◇

 竹田さんちの庭に落ちた柿の葉をきれいに掃き終わった時、携帯が鳴った。ゆいちゃんからだ。いよいよ陣痛が始まったらしい。がんばって、ゆいちゃん。これから支度してそっちに行くよ。

 そうだ、今年こそ枝を剪定してもらおう。広がり過ぎた枝を切って、お隣に迷惑がかからないように。植木屋に電話して来てもらおう。来年の春、新芽が出たら天ぷらを作って、父さんの仏壇に供えよう。

 僕にだってそれくらいのことはできる。


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