「コサメって子どものサメ?」:名も知らぬ少年からの一撃
先日、家の近くをぶらぶらと散歩していた時のこと。
雲行きが怪しくなってきたので足を速めて家路を急いでいると、
前方から、親子連れが手をつないで歩いてきた。
4,5歳くらいの少年と、お父さんである。
その親子連れが前方10メートルくらいまで近づいてきたとき、
雨がぽつぽつと落ち始めた。
少年:「パパ―、雨降ってきたね。」
パパ:「そうだね。でもまだ小雨だね。」
そんなことを話しながら親子連れが近づいてくる。
そしてすれ違いざまに聞こえた少年の言葉が奇跡だった。
少年:「コサメ?コサメって、子どものサメのこと?」
この時、マスク時代であることに私は心から感謝した。
そして、こうも思った。
(この子は天才かもしれない。)
大人になってしまった私にはその感性は持ち合わせていなかった。
たぶん、それは彼のお父さんも私と同じだと思う。
パパ:「え?ふ、ふふっ。違うよ、コサメっていうのはねぇ…」
と、ちょっと楽しそうに続けていた。
私はそのお父さんが息子にどんな説明をするのかとても気になったのだが、
お父さんがその説明をするときにはもうその親子連れは私の後方に行っていて、
会話を聞き取ることができなかった。
なので、家路を急ぎながらも私は考えてみた。
小さい子に「コサメって、子どものサメ?」
と聞かれたら、何て説明すれば良いのだろう。
「弱い雨のことだよ」
と説明したとして、「なんでコサメっていう言い方するの?」
と言われたらどうしよう。
しかも相手が漢字もまだわからないくらい小さい子だったらどうしよう。
「言いやすく工夫したんだよ」
⇒コマメもコサメも言いやすさは変わらない。
「かっこよく言いたいんだよ」
⇒どっちがカッコイイのかよくわからん。
「そういうもんだよ」
⇒これだと投げやりに聞こえる。
でも結論は出なかった。
そもそも小雨の読み方の謎について私は何も知らなかった。
だから帰ってから調べてみた。
日本語では、複合語を作る際に、母音が続くのを嫌い、
子音を挿入することが多いそうだ。
つまり、
小(ko)+雨(ame)という複合語において、
母音が続くのを嫌ってkoとameの間に子音sが挿入されている、
というのが有力な説のようである。
私は「なんでs?」と思いながらも、ほぉ~と納得した。
しかし!
これでは全く子どもには説明できない。
結局何て説明しよう。
「なんでだろね。日本語って面白いね。大きくなったら勉強頑張ってね。」
とでも言おうか…。
そう結論づけたときに我に返った。
私には子どももいなけりゃ作る予定もない。
そして、友人や親せきの子どもたちとは会って数年に1回だ。
ええい、こんなこと心配する必要なんてなかったのだ。
でもふと思った。
あの少年のおかげで今まで当たり前と思っていて、
考えもしなかったことを考えたり、調べたりすることができた。
彼は天才少年であり、天才教師だったかもしれない。