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日本語教師デビュー、そして私のキャリアの育て方


日本語教師になりました

ちょうど、420時間講座を受講したての時に一本記事を書きました。
日本で語学学校に通う外国人に日本語を教えたいわけじゃないから、別に国家資格取らなくてもいいやと思って、420時間講座を受け始めたところだったので。

そして去年の7月に420時間講座を無事に終えまして、修了証を無事にゲットしました。

だからといってすぐにアメリカで日本語教師になれるわけでもなく、とりあえず修了しただけでした。
オンラインで教えてみようかとItalki に登録しようかなと思ったのですが、日本語教師は募集していない…既にたくさん登録されているんですよね(Preply というプラットフォームがあることに気づいたのは日本語教師デビュー後でした←遅い)。

私は将来の自分のために(日本に本帰国したら、小学校等で外国ルーツの子どもたちに日本語を教えたいので)日本語教師の資格を取った(420時間を修了した)ので、アメリカで教えられないならまあ仕方ないか…と思っていたのです。

ところが不思議なご縁というものはあるものです。
今年に入ってから、日米ほにゃらら協会的な組織の日本語講座の日本語教師としてデビューすることができました。

数年前から地元の大学の日本語クラスのボランティア(ネイティブスピーカーと話すことも大事とのことで、テーマに沿った会話をするというボランティア)をしています。

ボランティアを始めたのは子どもの現地校で知り合ったママ友からの紹介で、そのボランティアをしている地元大学の日本語クラスの先生がオススメしてくれた420時間講座を修了し、そこで出会った日米ほにゃらら協会的な組織の日本語講座先生(兼スーパーバイザー)にお声がけいただいたという。ひとつひとつは小さなきっかけではありますが、そのチャンスを逃さなかったのはよかったなとしみじみ思います。

そんなこんなで日本語教師として働くことになりました。

私のキャリアの育て方

今回は日本語教師としてのキャリアをよちよち歩き始めたわけですが、私は自分の経験を積極的にキャリアに取り入れてきたように思います。

新卒で入った会社には2回の産休育休を含め20年ちょっと勤めたのですが、その間に色々と資格を取りました。所属内でパソコン担当だったので(当時社員一人一人に一台ずつパソコンが貸与されるようになった時期で、一番の若手だからと色々勉強させてもらうチャンスがありました)今はなき初級シスアドを取ったり、経理担当になった時は日商簿記三級を取ったりしました。仕事に直結していた社労士は2回受けましたが残念ながら合格できなかったのは未だに心残りです…。長い長い会社員生活の最後のほうでは、消費者検定も受け、1級が取れました。その会社に引き続き勤務していたら、消費生活アドバイザーを受けていたと思います。

会社を辞める前に、独学で保育士の資格を取りました。
子育ての知識も活かせるし、子どもたち2人は保育園にとてもお世話になっていたので、いつか私も子育てをサポートする側になりたいなと思ったからです。
合格前でしたが自治体のファミリーサポートの援助会員の登録をして、会社を退職した後、すぐにファミリーサポートで子育てをサポートする側になりました。

ファミリーサポートの援助会員になってから保育士に合格したので、ファミリーサポート事業を自治体から受託しているNPO法人に報告したところ、子育て広場のパートにならないかと声をかけていただきました。

また、子どもたちが通っていた保育園からも保育士として働かないかとのお話があり、子育て広場と保育園の延長保育の先生として働くことができました。保育士の資格があったからこそ働けたので(どちらの勤務先も有資格者が必要だったので)、保育士の資格を取っておいてよかったなあと実感しました。やはり資格は大事なのです。

しかしそれらの仕事を辞めて夫に帯同して渡米。
子どもたちが現地校でESLで英語をメキメキと上達させていくのを目の当たりにして、専門の教育を受けたプロから毎日第二言語としての英語を教えてもらえること、外国でその国の言葉を覚えることの大変さと大切さを実感しました。

日本にいる外国ルーツの児童生徒は、うちの子どもたちみたいに取り出し授業で日本語を教えてもらえたりしてないよね…(子どもたちは公立小学校に通っていましたが、そんなの見聞きしたことありません)ということに改めて気がつき、そんな子どもたちに日本語を教えて(うちの子どもたちが現地校で受けたESLの)恩返しがしたいと思うようになりました。

それが去年修了した420時間講座の受講につながった私の気持ちでした。

会社員時代に色々と取った資格も自分の経験を資格として残しておきたかったからだし、保育士を取ったのも子育て経験を資格として残しておきたかったし、たくさん保育園にサポートしてもらったから仕事が続けられたので、いつか自分がサポートする側になりたいと思ったからだし、日本語教師になったのも子どもたちが受けた第二言語習得のサポートをいつか日本でやってみたい、そのために資格を取って場数を踏みたいと思ったからなのです。

事務職の会社員から保育士、日本語教師と一見バラバラに見えますが、私の中では自然なことだし、私としては一本筋が通っているというか、その時その時に感じたこと、そこからできること、を考えてやってきたからそんなに唐突じゃあないんですよね。

社労士に合格してたらどうだったかな、あのまま事務職として会社を辞めずにいたらどうだったかな、とか色々考えたりもしますが、これまでの色々な経験や気持ちを活かして今の私があるんだなあと実感できたので、これはこれでいいかなと思います。日本に帰った時にちゃんと活かせるような日本語教師としての経験をこれから積んでいこうと思います。


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