羊羹のような時間
羊羹をすぱっと切る。
そのようには時間は切れない。
そんなことを教えてくれたのが、rachelmirror さんの次の note.
こうお書きだ。
もちろん、時代が平成ではなくなったとしても、時間は相変わらず続いていく。羊羹を切り分けたり、切り離された電車の車両を車庫に戻して出発したりするわけではないのだから。
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この羊羹の喩えを目にして、オングの書『声の文化と文字の文化』(下)を思い出した。口承文化に属する人びとは日の切れ目を真夜中で切るようなことはしないと。そのような切り方は文字文化に属するのだと。
日と時代の違いはあれ、似たような感性だ。つまりは、我々は文字文化に属しているようでいて、実は根っこのところは口承文化に属しているのではないか。少なくとも時間の感覚においては。
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口承文化においては、時間は切れ目なく続く。連綿と続く。
そのことは、例えば、バラッド(西欧中世以来の物語歌)などには濃厚に見られる。
[亀屋清永の星づく夜。夏が待ち遠しい]
※本文とは何の関係もありません(笑)
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