探しものにかかる時間 | 言語の枠組みが思考に影響を与える
マルコムXの言。
探しものにかかる時間の方が、探しものを使う時間より長くなったとき、ひとは老いを感じる
落合恵子さんが「老いてから見えること」の中で引用した(NHK「視点・論点」 20160608)。落合さんの問いは「老いるのは嫌ですか」だ。
「検索」テクノロジーを探求の対象にしてきた身にはピンと来ない。が、一般論なら分かる。
分からないのは落合さんの問いの言葉だ。
そもそも、「好き」とか「嫌い」を他動詞として受入れる前提がここにはあるだろう。
だが、そうでない言語の場合は。
「持つ」を備える言語と欠く言語とに、世界の言語を二分したのはエーリヒ・フロムだ(『愛するということ』)。
ここからが本論。
「好き」とか「嫌い」を表す動詞はアイルランド語にない。もちろん、「持つ」もない。
落合さんの問いをそのままアイルランド語にしたら、「老いはあなたにとってよくないことですか」になるだろう。
Nach maith leat aosú?
[Isn't ageing good with you?]
そうアイルランド語で訊かれたら、アイルランド語話者は即座に否定するだろう。
言語の枠組みは思考に影響を与える。