水を打ったような静けさ
……が得られる国、得られぬ国。
ということを小川榮太郎の話を聞いて思った。
彼は1月にニューヨークへ行った。カーネギーホールでブルックナーの1番から9番までを聞くためだ。バレンボイム指揮。
彼に言わせればブルックナーは沈黙の時間が大事だという。オーケストラが完全に鳴りやみ2-3秒静かになる時間がある。これが重要。
ところが、そういうときに限ってニューヨークの聴衆はうるさいという。
だれかが咳をしたり、物が落ちたり。おばさんの話し声が聞こえたり。
人類は大変だなと思ったという。そういう水を打ったような静けさは日本では得られる。静かにしなければならないときに静かにできる。
アイルランドももちろんそうだ。無伴奏歌唱(シャン・ノース)の最高峰を決めるオリアダ杯に毎年のように行っているが、3時間以上にわたって静けさが保たれる。大体、シャン・ノースが歌われるとき、かりにグラスを持っていたとしたらそれを置くことさえ憚られる。その際の静けさはクラシックのコンサート以上だ。
ニューヨークの聴衆はノリがよいという。ただ、それがどんな音楽にも合うとはかぎらない。チャイコフスキーならよいのだがと小川氏は語った。
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小川氏自身のことばで音楽との関わりを語った部分を最後に引こう。
草野球をやる人にとつて野球は愉しみかもしれないがプロの選手にとつてはさうではないやうに、私にとつて音楽を聴くのは自分の最も重要な仕事のフィールドなので、受け身に楽しみに出掛けるのではなく、表現の為、それも人生で最も軸となる表現の為の勝負の瞬間。緊張と集中の日々だつた。