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[書評]古代エジプト人には愛の抒情詩を完璧に練りあげる詩的インスピレーションがあった

ボリス・デ・ラケヴィルツ編、谷口 勇訳『古代エジプト恋愛詩集』(而立書房、1992)

ボリス・デ・ラケヴィルツ編、谷口 勇訳『古代エジプト恋愛詩集』(1992)


エジプト学者デ・ラケヴィルツ(Boris de Rachewiltz)の 'Liriche Amorose degli Antichi Egiziani (1957) の翻訳。古代エジプトの愛の抒情詩(ヒエログリフ原典)のイタリア語訳詩集を、日本語訳し、伊訳テクストと、米詩人エズラ・パウンドがそこから英訳した詩テクストとを添えた本。パウンドの 'Love Poems of Ancient Egypt' (1961/78) とあわせ読むと興味深い。

日本の読者向けの序文で、デ・ラケヴィルツ氏は、この抒情詩集とパウンドとの関りについて次のように述べる(1990年9月20日付)。

私の義父であるアメリカの詩人エズラ・パウンドはブルンネンブルク城でこの私のイタリア語訳の抒情詩を読んだとき(ここでは,午後,家族全員にキャントーズ(Cantos)を読んで聞かせた後,夕方には孫たちに”アンクル リーマス”(Uncle Remus)のいろいろの物語を諳んじて話すことになっていたのです),この抒情詩集に夢中になり,挙句はその中の幾つかを英訳することを欲するほどになったのでした。この作業には,後に,詩人で作家のノエル・シュトック氏も加わりました。(5頁)

『古代エジプト恋愛詩集』(1992)5頁

デ・ラケヴィルツ氏は、パウンドの娘 Mary de Rachewiltz の夫。ブルンネンブルク城はパウンド一家が暮らしていた城で、イタリアの Merano(オーストリアに近い南チロル地方)にある。Uncle Remus は、米作家 Joel Chandler Harris (1848-1908) 編の黒人民話集に登場する人物。

まず、本書は類書がまれであることに気づく。評者の知るかぎりでは、古代エジプトの愛の詩集となると、他に『ヒエログリフで読む 古代エジプト愛の歌』(文芸社、2012)があるくらいだ。

ゆえに、読者がどれくらいいるかも想定しにくい。古代エジプトに関心のあるひとは結構いるだろうが。

しかし、古代エジプトの詩想は豊かなものであった。ということを、デ・ラケヴィルツ氏にもう一度語っていただこう。

実は古代エジプト人には,こういう抒情詩を完璧に練り上げる詩的インスピレーションが備わっていたのです。本書は詩的な暗示が充満していますが,また肥沃なナイル川岸に発生したファラオ文明を何千年も特徴づけてきたあの”生の歓び”(joie de vivre)も横溢しています。

『古代エジプト恋愛詩集』(1992)5頁

本書を読むひとは、上の氏の言葉に納得するだろう。少しだけ、詩の例を引いてみたい。次の詩は「恋愛抒情詩集 余滴」の第4連の冒頭部分。

舟漕ぎの拍子に合わせて
川を下る
肩には葦の束
行き先は
「二国の命」なる メンフィス
大神プターに言わん——
「真理の主よ 今宵は わが美女を授けたまえ」と

イタリア語原文は次のとおり。

Discendo il fiume in barca
al ritmo dei rematori,
sulla spalle ho il mio fascio di giunchi.
Me ne vo a Menfi
《Vita dei Due Paesi》.
E a Ptah dirò, 《Signore di Verità》,
《Donami questa sera la mia bella》.

ちなみに、Noel Stock による英訳は次のとおり。

Down river to the rhythm of rowers
Going to Memphis, my bundle of rushes on my shoulder,
Memphis, known as the "Life of Two Lands."
And to the great god Ptah I will say
"God of Truth, let me lie with my love tonight."

上の詩に出てくる神の名前「プター」(Ptah)[プタハ]については、次のような原注がついている。

プター 第一王朝のときにメンフィスですでに崇拝されていたことが分かっているから,エジプトの神々のうちでおそらく最古のものであろう。”よろずの神々の父”で,自ら生成したとされている。職人たちの守護神であり,ギリシャ人たちによって,ヘファイストスと同一視された。”エジプト”なる名称は,"Ha(t)-ka-Ptah"——エジプト語で「プターのカの住まい」,つまり,この神の聖都メンフィスを指す——のギリシャ語形にほかならない。ミイラの包帯にくるまれた,垂直の人として表されている。(95頁)

最後に個人的なことを記せば、評者はメラーノにあるブルンネンブルク城にエズラ・パウンドのセミナーに参加するために訪れたことがあり、本書の著者 Boris de Rachewiltz にもお会いしたことがある。

その当時は Mary de Rachewiltz のお母さまの Olga Rudge もお元気であった。ヴァイオリニストらしい音楽的な言葉を話される方だった。一家がお住いのブルンネンブルク城は、あのカフカの『城』の城だとの話も聞いたことがあるが、本当かどうかは分らない。

#書評 #古代エジプト #詩集 #パウンド

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