[英詩]'John Wesley Harding' (2)[追記あり]
※ 旧「英詩が読めるようになるマガジン」(2016年3月1日—2022年11月30日)の記事の避難先マガジンです。リンク先は順次修正してゆきます。
「英詩のマガジン」の主配信の1月の1回目です(英詩の基礎知識の回)。
[追記 20200117]テクストはリクス版に修正します (修正箇所は字下げなど)。
本マガジンは英詩の実践的な読みのコツを考えるものですが、毎月3回の主配信のうち、第1回は英詩の基礎知識を取上げています。
これまで、英詩の基礎知識として、伝統歌の基礎知識、Bob Dylanの基礎知識、バラッドの基礎知識、ブルーズの基礎知識、詩形の基礎知識などを扱ってきました(リンク集は こちら をご覧ください)。
また、詩の文法を実践的に考える例として、「ディランの文法」と題して、連続してやりました。(リンク集は こちら をご覧ください)
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最近は、「ディランを見る目」と題して、taste の問題を扱っています。taste は「趣味」「好み」「嗜好」「審美眼」「美的感覚」「眼識」などと訳されます。芸術において、美を見分ける判断力のことです。
taste は下記の Theodore Gracyk の美学的ディラン論に現れる言葉です。その議論の元になったカントの『判断力批判』の第一部第一章「美しいものの分析論」に出てくる「趣味 Geschmack」の英訳に相当する語です。そこでのカントの「趣味」の定義は〈美しいものを判定する能力〉というものです (熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』講談社、2017)。
ディランが詩的天才をうまくコントロールしてバランスをとっている例を見つけるためにはどうすればよいのか、が本マガジンでの実践的課題です。これは、英詩でのバランスのとれた例を見分けるためにも役立つでしょう。
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芸術的天才であるからといって、すべての作品が鑑賞に堪える素晴らしい作品であるとは限りません。得てして、独創的才能はあふれだして、こぼれ、過剰になるのです。そこに抑制をきかせ、審美眼とのバランスをとることができれば、素晴らしい作品が生まれます。
そうした作品を見分けるにはどうすればよいのでしょう。それを考えるために、グレーシク (Theodore Gracyk) の美学的ディラン論 ('Bob Dylan and Philosophy', 下、に所収) の具体例として、'Slow Train' と 'Gotta Serve Somebody' とを、繰返しに着目して比較しました。
さらに、その美学的ディラン論を続け、ことばと歌の関係に着目し、具体例として 'Knockin' on Heaven's Door' と 'Tryin' to Get to Heaven' とを比較して考えました。
また、Gracyk のディラン論を総括し、ディラン詩や英詩への視座の参考になるような詩論の展望を考えました。具体的には、'Desolation Row' や 'Visions of Johanna' が 'Masters of War' や 'Positively 4th Street' より優れていると Gracyk が考える理由、およびディランが天才と審美眼とを調和させた最初のアルバムとして 'John Wesley Harding' を Gracyk が挙げる理由を考えました。
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前回は、そのアルバム 'John Wesley Harding' (1967、下) について考察を始めました。本マガジンで、個々の詩歌でなく、アルバムを本格的に取上げるのは初の試みです。
まず、本アルバムの概要(1967年10月-11月にナッシュヴィルで録音されたこと、事前に歌を書いて録音に臨んだこと、当時のディランが読んでいたのは主に聖書と Hank Williams Songbook だったこと、過剰な飾りのない、削ぎ落とされたようなサウンドが荒涼とした歌の内容に合っていることなど) を見ました。
グレーシクは本アルバムの新しい抑制的言語 (economy of language) が、聞き手の我々にすべての詩句を熟考させると主張しています。また、過剰に走りがちな言語的想像力の手綱を締めるのにディランが用いたのは強力な伝統音楽とグレーシクはいいます。
本アルバム当時のディランの詩学は、あまり多くの言葉を使わないこと、余計な部分を削ぎ落とし、隙のない詩行を指向することでした。詩人のギンズバーグは、当時のディランは、押韻優先の方向を封印し、意味の詰まった詩行で歌を前に進めていたと語り、例として ‘I Shall Be Released’ や、‘The Ballad of Frankie Lee and Judas Priest’ のような強靭で簡潔なバラッドを挙げました。
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今回から、本アルバムの歌を具体的に取上げます。‘The Ballad of Frankie Lee and Judas Priest’ をまず取上げます。
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すでに本マガジンで取上げた 'John Wesley Harding' の歌は次の通りです。
■ 参考文献 (刊行年順、今回言及・参照した主なタイトルは太字)
・Anthony Scaduto, 'Bob Dylan: An Intimate Biography' (Grosset & Dunlap, 1972)
・John Herdman, 'Voice without Restraint: A Study of Bob Dylan's Lyrics and Their Background' (Paul Harris, 1982)
・Michael Gray & John Bauldie, eds., 'All across the Telegraph: A Bob Dylan Handbook' (Sidgwick & Jackson, 1987)
・Elizabeth Thomson & David Gutman, eds., 'The Dylan Companion' (Macmillan, 1990)
・Paul Williams, 'Bob Dylan: Performing Artist, Vol. 2: The Middle Years' (Omnibus P, 1992)
・片桐ユズル・中山容訳『ボブ・ディラン全詩302篇』(晶文社、1993)
・Andy Gill, 'Bob Dylan: My Back Pages' (Carlton, 1998; rpt. 2011 ['Bob Dylan: The Stories behind the Songs 1962-1969'])
・Michael Gray, 'Song and Dance Man III: The Art of Bob Dylan' (Cassell, 2000)
・Patrick Crotty, 'Bob Dylan's Last Words' in 'Do You, Mr Jones?' ed. Neil Corcoran (Pimlico, 2003)
・Christopher Ricks, 'Dylan's Visions of Sin' (Viking, 2003)
・Michael J. Gilmour, 'Tangled Up in the Bible' (Continuum, 2004)
・Paul Williams, 'Bob Dylan: Performing Artist, Vol. 3: Mind Out of Time' (Omnibus P, 2004)
・Greil Marcus, 'Like a Rolling Stone: Bob Dylan at the Crossroads' (Public Affairs, 2005)
・Mike Marqusee, 'Wicked Messenger: Bob Dylan and the 1960s' (2003; Seven Stories P, 2005)_
・Theodore Gracyk, 'When I Paint My Masterpiece: What Sort of Artist is Bob Dylan?' in 'Bob Dylan and Philosophy: It’s Alright, Ma (I’m Only Thinking)', eds. Peter Vernezze and Carl J. Porter, 169–81. (Open Court, 2006)
・中川五郎訳『ボブ・ディラン全詩集 1962-2001』(ソフトバンク クリエイティブ、2005)
・Michael Gray, 'Bob Dylan Encyclopedia' (Continuum, 2006)
・Robert Polito, 'Bob Dylan: Henry Timrod Revisited' (Poetry Foundation, 2006) [URL]
・Nigel Williamson, 'The Rough Guide to Bob Dylan', 2nd ed. (Rough Guides, 2006)
・Suze Rotolo, 'A Freewheelin' Time: A Memoir of Greenwich Village in the Sixties' (Broadway Books, 2008)
・Derek Barker, 'The Songs He Didn't Write: Bob Dylan Under the Influence' (Chrome Dreams, 2009)
・Kevin J. H. Dettmar, ed., 'The Cambridge Companion to Bob Dylan' (Cambridge UP, 2009)
・Clinton Heylin, 'Revolution in the Air: The Songs of Bob Dylan 1957-1973' (Chicago Review P, 2009)
・Seth Rogovoy, 'Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet' (Scribner, 2009)
・Clinton Heylin, 'Still on the Road: The Songs of Bob Dylan 1974-2008' (Constable, 2010)
・Greil Marcus, 'Bob Dylan: Writings 1968-2010' (Public Affairs, 2010)
・Sean Wilentz, 'Bob Dylan in America' (Doubleday, 2010)
・Clinton Heylin, 'Behind the Shades', 20th anniv. ed., (1991; Faber & Faber, 2011)
・Charlotte Pence, ed., 'The Poetics of American Song Lyrics' (UP of Mississippi, 2011)
・Robert Shelton, 'No Direction Home', revised ed., (Omnibus P, 2011)
・Howard Sounes, 'Down the Highway: The Life of Bob Dylan', revised and updated ed. (Grove, 2011)
・'Bob Dylan: The Playboy Interviews' (Playboy, 2012)
・堀内 正規、「カオスの中で場を持つこと -1960年代半ばのBob Dylan-」(早稲田大学大学院文学研究科紀要、58巻、5-18頁、2013 [URL])
・Bob Dylan, 'The Lyrics', eds., Christopher Ricks, Lisa Nemrow, and Julie Nemrow (Simon & Schuster UK, 2014)
・Philippe Margotin and Jean-Michel Guesdon, 'Bob Dylan: The Story behind Every Track' (Black Dog and Leventhal, 2015)
・Editors of Life, 'Life Bob Dylan' (Life, 2016)
・Harold Lepidus, 'Friends and Other Strangers: Bob Dylan Examined' (Oakamoor, 2016)
・Bob Dylan, 'The Lyrics 1961-2012' (Simon and Schuster, 2016)
・Jonathan Cott, 'Bob Dylan: The Essential Interviews' (Simon & Schuster, 2017)
・Richard F. Thomas, 'Why Dylan Matters' (William Collins, 2017)
・鈴木カツ『ボブ・ディランのルーツ・ミュージック』(リットーミュージック、2017)
・Jeff Burger, 'Dylan on Dylan' (Chicago Review P, 2018)
・Timothy Hampton, 'Bob Dylan's Poetics: How the Songs Work' (Zone Books, 2019)
・Jim Curtis, 'Decoding Dylan: Making Sense of the Songs That Changed Modern Culture' (McFarland, 2019)
・Andrew Muir, 'Bob Dylan & William Shakespeare: The True Performing of It' (Red Planet Books, 2019)
・Michael Karwowski, 'Bob Dylan: What the Songs Mean' (Matador, 2019)
・Robert W. Kvalvaag and Geir Winje, eds., 'A God of Time and Space: New Perspectives on Bob Dylan and Religion' (Cappelen Damm Akademisk, 2019) [URL]
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※「英詩が読めるようになるマガジン」の本配信です。コメント等がありましたら、「[英詩]コメント用ノート(202001)」へどうぞ。
このマガジンは月額課金(定期購読)のマガジンです。月に本配信を3回お届けします。
英詩の実践的な読みのコツを考えるマガジンです。
【発行周期】月3回配信予定(他に1〜2回、サブ・テーマの記事を配信することがあります)
【内容】〈英詩の基礎知識〉〈歌われる英詩1〉〈歌われる英詩2〉の三つで構成します。
【取上げる詩】2018年3月からボブ・ディランを集中的に取上げています。英語で書く詩人として最新のノーベル文学賞詩人です。
【ひとこと】忙しい現代人ほど詩的エッセンスの吸収法を知っていることがプラスになります! 毎回、英詩の実践的な読みのコツを紹介し、考えます。▶︎英詩について、日本語訳・構文・韻律・解釈・考察などの多角的な切り口で迫ります。
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The Ballad of Frankie Lee and Judas Priest
今回から本アルバムの歌を具体的に取上げることになり、今までに取り上げていない中でも最重要の歌と思われるのが、ギンズバーグが挙げていた ‘The Ballad of Frankie Lee and Judas Priest’. ただ、この歌については、ディランに関する該博な知識を有するヘイリン (Clinton Heylin) でさえ、周りの事情は縷々かくのに、歌そのものについては殆ど触れない。リクス (Christopher Ricks) に至っては、本歌に全く触れない。グレイ (John Grey) も 'midnight creep' (9連) へのブルーズのイディオムの指摘などはあるが、歌そのものは論じていない。
管見のかぎりでは、本歌について比較的くわしく論じたものにスカドゥート (Anthony Scaduto) のものがあるが、ディラン本人へのインタビューと、スカドゥート自身の見解との、境界が曖昧なこともあり、そのまま受止めるのがむずかしい。
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こうした批評的状況の中で、2019年になり本の形で発表されたカーウォウスキ (Michael Karwowski) の研究が、ディランの重要な歌を1行づつ分析しており、検討に値する。その中に本歌がふくまれる。本マガジンは原則として連ごとに分析しているが、行ごとというのは大変な作業である。ただ、カーウォウスキは韻律は分析をしておらず、あくまで詩行の意味を読み解いている。今回は、その研究を紹介する。
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カーウォウスキの研究書 'Bob Dylan: What the Songs Mean' (下)は電子版が2019年11月に、冊子体が同年12月に出たばかりで、まだ本格的な反応はもちろん、簡単な言及でさえ皆無である。本には誰の推薦文も付いていない。
私が読む限りでは、これまでのディラン研究を塗り替えるのではないかというくらいのインパクトがある。カーウォウスキのディラン歌の研究の方法論は、ディランに流れ込んだ二大影響として、アメリカ・ポピュラー音楽と聖書とを考え、さらにディラン自身の他の作品との関係を重視するという、きわめてオーソドックスなメソッドである。影響源としては、ほかにケルアックやシェークスピアも考慮に入れている。
この本に反応がない理由は、新しい研究書であること以外に、これまでにない、ある主張をしていることが関係しているのかもしれない。その主張はディランとユダヤ教・キリスト教との関わりについてのもので、それだけなら珍しくないが、これまでにない要素をふくんでいる。それはローマ・カトリックだ。知る限りでは、その主張をしている研究はこれまでない。
カーウォウスキによれば、ディランは7枚めのアルバム 'Blonde on Blonde' (1966) から8枚めのアルバム 'John Wesley Harding' (1967) にかけて、カトリックへの接近を検討していたという。しかし、結局はカトリックに入信することはなかった。そのあたりが窺えるのが、カーウォウスキによれば特に本歌の1連と7連だという(後述)。
このカーウォウスキの説がまったく荒唐無稽な話かというと、そうは思えない。ボブ・ディランがローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の前で演奏した時の二人の写真をじっくり見ていると、考えさせられる (下、Bologna, 1997 (AP))。
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これ以外に、ディランと神秘主義との関わりについてもカーウォウスキは指摘している。これらの宗教的側面についての研究は大きなテーマで、それじたい興味深いが、ここではアルバム 'John Wesley Harding' の歌についての議論にしぼることにする。ただし、その研究の核心部分に宗教との関わりが出てくるのは避けられない。
宗教との関わりが避けられない最大の理由はこのアルバムは欽定訳聖書の言語が鳴り響いているからである。そのことを否定する研究者はいない。本アルバムの歌のどこにどのような聖書の詩句が引用されているかが大きな問題である。
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本アルバムに関して、ディランの製作メモの性格をもつ「ノートブック」の存在が知られているが、それが、おそらく将来のこの方面の研究の基礎となるだろう。ディランが聖書のどの箇所を歌で言及するかを詳細にメモしているものといわれる。だが、まだ公表されていないので、その点については今後を俟ちたい。
ヘイリンがその「ノートブック」に言及しているインタビューはたいへん興味深いもので、一読の価値がある (そのインタビューではヘイリンは 'In the John Wesley Harding notebook, there are all these Bible chapters and verses, literally things he's referencing in the songs.' ['John Wesley Harding' ノートブックには、これらの聖書の章と節がすべて載っている。文字通り、ディランがこのアルバムの歌の中で言及している詩句だ]と語っている)。
カーウォウスキによれば、全体で40分足らずのこのアルバムに、60以上の聖書への言及があるという。
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今回は、本歌について、ごく簡単にみる。本歌は基本的には「物語歌」(narrative song) の性格をもっている。韻律については立入らず、主に、カーウォウスキの研究を紹介しつつ、意味のみを考える。聖書の引用は英訳は欽定訳、和訳は新共同訳による。
[追記 20200117]テクストはリクス版による。
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動画リンク []Bob Dylan, 'The Ballad of Frankie Lee and Judas Priest' (Official Audio)
1連
Well, Frankie Lee and Judas Priest
They were the best of friends
So when Frankie Lee needed money one day
Judas quickly pulled out a roll of tens
And placed them on a footstool 5
Just above the plotted plain
Saying, “Take your pick, Frankie Boy
My loss will be your gain”
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