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風浪、にわかに険
このところ、台風にしょっちゅう見舞われている。
先日は関空が台風で閉鎖され、乗客らがとり残される事態が起こった。関空から発つ予定だった人も待つ羽目に陥った。
その際、数日いや1日でも遅れれば、現代人には大問題である。まして、国際便の復旧までに2週間以上を要した今回の関空の遅延など、考えられないくらい酷いことだった。
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しかし、万葉人の時代には、それは物の数に入らないほど軽微な遅れであったろう。
万葉集の注釈書を読んでいたら、次の記述に出会った。
「風浪、暴(にはか)に険」という事情があって、一行が筑紫を出航したのは翌年の六月二十九日であった。
なんと「翌年」まで遅れたのである。本来の出航の日から1年以上あとになったのである。
万葉集には遣唐使(上)をめぐる歌がある。万葉に詠まれた巻1の62や63に出てくる遣唐使の前の回の遣唐使、つまり第七次遣唐使が命を受けたのが大宝元年(701)正月二十三日で、四月十二日に拝朝している。それからまもなくして、おそらくは五月半ばに、まず筑紫に向けて発った。歌はその頃に詠まれたらしい。ところが、〈「風浪、暴(にはか)に険」という事情があって、一行が筑紫を出航したのは翌年の六月二十九日であった。〉というのである。
勅命を帯びて発船するというのは、大事業であったことが分る。今から1300年ほど前はそれが当たり前であった。
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それから考えると、数日くらい遅れることなど、取るに足りない。——と行きたいところであるが、現代人には中々そこまで割りきれないだろう。
(参考文献:伊藤博『萬葉集釋注』、集英社文庫、2005)