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【STORY】未経験からWEBデザインを学んで一家の大黒柱になった二児の母です。-渡邉みいの自己紹介note-

こんにちは。渡邉みい(@w_michan69 )です。

このnoteでは、わたしのこれまでの人生と今後の目標についてお話したいと思うよ!!

めっちゃ長いから覚悟して読んで(´・ω・`)

はじめに

いま、このnoteを書こうと思った理由

このnoteを書こうと思った理由は、わたしの中で、わたしの人生の第一章が終了したのかも、と感じたから。

学生時代や独身の頃は、"わたしはいまこの瞬間がよければ先のことなんてどうでもいい"と思っていて、幸せになりたいとかはあまり思ったことがなかった。
幸せに過ごす時間があったら、その時間が終わってしまった時に悲しくなるから、正直あまり楽しい思い出とか作りたいとも思わなくて、毎日とりあえず今やっている仕事を毎日やって「褒められたら嬉しいな〜もっともっとがんばっちゃお〜〜〜」と思って生きていた。

だけど、偶然自分の人生について考えるきっかけができて、妊娠・出産・結婚をして、そこから考え方も生き方も180度変わって、今は「もっと幸せになりたい」とも思うし、「毎日幸せだなあ」とも思って暮らしている。

「いつか幸せになりたい」のいつかは来ない。

最近読んだ本に書いてあった言葉なんだけど、
「いつか幸せになりたい」の「いつか」なんて日は来ない。
"幸せ"って瞬間的な感情に過ぎないから、「今幸せだなあ」とか「今日は幸せな日だなあ」と一度思ったら、これを連続して感じられる生活を努力してし続けることが「幸せになる」ということなんだって。

この考え方を知って、気づいたんだけど

 わたし、もうすごく幸せになっていた

家族4人で東京出張🗼へ行った時の写真。

キャバ嬢からフリーランス→経営者になって、キャバ嬢で稼いでいたくらいの金額は今では夜職じゃなくても普通に稼ぐことはできるようになって、一家の大黒柱として家族4人我慢させることなく暮らせるようになったんだけど、わたしは、「もっと稼がなくちゃ幸せになれない」と思ってた。

「毎月100万以上稼いだって、全く人生変わらんし、幸せにはなれない…。」

そう思って、情報商材や高額なコンサルを買い漁っては支払いと借金に追われ(いまも、ずっと返してる😮‍💨)。
幸せとはまあほど遠いし、全然今の自分の生活にも満足できないし、毎月、今月支払うお金を一生懸命稼がなくちゃいけなくて、家族には迷惑かけられないから必要な分稼ぎ切れるのか怖くて、こんなの理想の生活じゃない…と思っていた。

わたしは一旦、幸せ叶えちゃったと思う。

だけど、"幸せになる"ということが「今日幸せだ♡」と感じる瞬間、感じる日々を連続させていくことを言うのであれば、わたしはもうすでにそれを達成していた。

正直、「今、幸せだな」と思わない日はないから。
毎日子どもたちの寝顔を見ると「なんて可愛い生物がいるんだろう。これがわたしの産んだ子なの?幸せ♡」って思うし、日常のなにげない会話だけでも「なんて可愛いのだいすきすぎる。幸せ〜♡」って思うし、「わたしの夫はなんでこんなにもわたしに協力してくれるんだろ、愛されてんのか?幸せだなあ」って思う。
そして、わたしはだいすきなこの家族と一緒に過ごすためのお金を自分で稼いで、ある程度お気に入りの場所に住む家があるし、家族のために融通のきく自由な働き方ができて、休もうと思えばいつでも休みがとれるし、お金が必要だ!となばやろうと思えば収入を自由に増やしやりすることもできる。結婚して母になっても、キャバ嬢で独身の頃と変わらない美容や生活のスタンスを続けて自分が好きなように生きている。

わりと世界はわたし中心にまわっていて、困ってることってあんまりないんだよ。

らぶ🫶🏻

これって控えめに言っても幸せすぎる

なのに、なんで「はやく幸せになりたい」なんて思っていたんだろうって考えてみたんだけど、たぶんわたしはもう幸せになっているのは間違いなくて、それはクリアしちゃったから、さらに先に見えた"新しい幸せ"をつかみに行きたいんだと思う。

ここからが、わたしの物語の第二章のはじまり

もうわたしは今でめちゃくちゃ幸せなんだけど、全然いまの自分にもいまの生活にも満足しているわけではない。
幸せと満足は、まったく次元が違うはなしで、今に満足してしまったらその先絶対に今より幸せになることはないし、少しずつ今より幸せではなくなっていくしかない。
現状維持は衰退。
だれの言葉か知らないけど、本当にこれだと思う。
アップデートしなくちゃ、落ちていくしかない。
だからわたしは、もっと叶えたいことを叶えていけるように、新しい幸せもどんどんつかんでいけるように、これからも欲深くいろんなことに挑戦したい。
そのことを、今年、2025年からはnoteに書いていきたいと思っている。

こんな長い長い自己紹介noteを楽しく読む人なんていないかもしれないけど、自己満で書きます。
たぶん1万文字超えてると思う。読んでもらえたらわたしのことがほぼわかると思う。
リアルの知り合いや昔の知り合いには知られたくないかも…ってことも書くのでしばらくしたら非公開か有料にするかもしれませんので早めに読んでほしいな😔🤍


🤍|渡邉みいについて

1996年6月9日生まれ 大阪の田舎の方で生まれて
今は大阪市内に夫・息子2人の4人暮らし

現在はWEBデザイナーになって4年目。
デザイナーとしての業務とデザインスクールの経営の2軸で
法人を1社経営しているママ経営者で一家の大黒柱。

155cm・36kg リアルで会うと
「画面で見てるより小さい!!!」ってよく言われる。笑

いつまでも変わらない可愛くて綺麗なママでいたくて
美容は大好きで研究中。
今年は美容医療やメイクの研究をもっとしたい♡

趣味っていう趣味があまりないけど、2025年でやりたいことは
読書とか映画とか旅行とか …みんながよく趣味というやつしたい!
今は子どもたちにポケモンのアイシングクッキーを作りたくて習いに行ってます🧸

⋈⌇わたしの家族について

・夫
出会ったきっかけは働いていたキャバクラで。彼はそこでボーイだった。
わたしの妊娠がわかってから彼も夜働くのを辞めて、今は専業主夫として家事や子どもたちのお世話、わたしのサポートもなんでもしてくれる最高の旦那さん♡
ゲームが大好きだから一緒にゲームしたり、ゲーム配信のYouTuberを見たりしてる。
わたしの言うことやることなんでも受け入れてくれてこれ以上の人いない!笑

・長男(2021.11生まれ)
もう毎日可愛すぎる3歳の長男くん👦🏻お顔も声も天使👼🏻
やんちゃだし、けっこう悪ガキになる兆候があるんだけど、本当に優しいところもある…きゅん。
悪くなるのは、わたしと旦那さんの子だからしゃーないのかなとも思う(ぇ
お勉強(?)てきなことさせようとしても家では全然してくれないけど、幼稚園や習い事とか外だと良い子。
言葉が遅くて2歳8ヶ月くらいまで全く話せなかったんだけど(普通に発達の心配した)、今はすっごくおしゃべり上手になって、「賢いなあ…3歳なのに…」って思うことも。
いろんなことに挑戦できる子になってほしくて、習い事たくさんさせてる。
はやく、「俺は、これがしたい!」を見つけてほしい。
なんでも全力で応援するし、サポートするよ♡

2歳からバスケやってる⛹️(やらせてる)
普通に楽しそうにやってるけど、自分でなにか
真剣にやりたいこと見つけて欲しいな♡
本当に可愛い生き物・・・♡
ポケモンだいすき!

・次男(2024.05生まれ)
本当にただ可愛いだけの次男くん👶🏻♡
2300gで生まれたんだけどスクスク成長してくれてて感激してる。
これからどんな子に育っていくのか本当に楽しみ。
まだ0歳で、おうちで一緒に過ごす時間が長いから一緒にいる時間を大切にしたい。
長男くんの0歳の頃は、旦那さんが働いてくれていてワンオペで、わたしも駆け出しフリーランスで仕事が大変なこともあったから、ゆっくり育児の時間を楽しみたいな。

生まれて1週間の頃の👶🏻♡ちっちゃい🥹

次男がもう少し大きくなって、住むところやわたしの仕事を落ち着かせたら、犬を飼いたいと思ってる…(長男の希望🐶)
第一子も第二子も、予定せずに生まれたんだけど第三子ももしあるなら全然受け入れたい?!(でももう妊娠したくない…😇)

🤍|今の渡邉みいができるまで

わたしは、人と同じこと・正しいと言われていることをするのがたぶん嫌い。
人に流されやすく、一度その流れなかなか自分の意見を人に言えない性格だからこそ、最初から人と違うことを選んで「人に流されない、自分で選択できる状況を作ってから生きる」ことにしてる。
正しい道で成功することは難しいから、常識を疑って、「自分はどうしたいのか」で判断できるように、"逆張りで生きる♡"ようにしてる。

⋈⌇不登校して気づいた自由な生き方

わたしは、小学校4年生から6年生まで不登校だった。
いじめられてたとか、学校へ行くのがしんどかったとか、精神的にどうしても行けない状況だったわけではなくて、小学校4年生までは学校に行くことは当たり前なことだと思って何の疑問も持たずに通ってた。

けど、3つ下の妹が不登校になったことがきっかけで、「学校に行かないっていう選択肢もあるんだ」ということを知った。
そして、自分も「学校に行くより、家にいて自由に好きなことをする時間があるほうが良い」と思っていることに気づいて、選択的不登校になった。

同じ年齢の子どもが当たり前のように学校に通う中で、"自分は行きたくないから行かない、家でやりたいことをやろう"という選択をしたことで、この先の人生も自由に選択できるようになった。

中学校からは、また学校に通っていたけど、かなり自由度が高くなった。
学校ってよくわからないルールや校則がかなりあるけど、まあ守らなかった(笑)
守らないことって、いけないことではあるけど、守れないならしょうがない。ってなって、意外と何も言われなくなったりするもので。
わたしは、どうしても高校に時間通り行けなくて、遅刻を4回以上すると"遅刻指導"というのがあるんだけど、遅刻指導をされている月でも15回以上遅刻をするので、遅刻指導がなくなった。
体育は苦手だったから行かずに保健室に行くようにしてたら、いつの間にかそれが当たり前になった。
自分の行動次第で、ルールがあるような社会でも、人の目や声を気にしなければ苦手なことは避けて、結構自由に生きれることを知った。

小学生時代の不登校がなければ、言われたことは嫌でも苦手でもなんとなくこなして、普通に良い感じの大学を卒業し、就活をしてある程度良い感じの会社に就職して、当たり前にOLとかして働いていたんじゃないかなと思う。
でもそれって本当のわたしからしたら結構いやなことだから、普通にどこかでこじらせてたんじゃないかなと思う。

親からたくさん予備校や受験料出してもらって大阪からわざわざ行った立教大学を辞めてキャバ嬢したり、未経験からいきなりフリーランスになるという選択をできたのは、人とは違う不登校という道を選択しても、自分は常になんの不自由もなく自由で楽しく生きることができているという自信からだと思う。

⋈⌇19歳から5年間キャバ嬢やって学んだこと

キャバ嬢して過ごした5年間で、学んだことがたくさんあった。
けっこうしんどい思いもしたし、あんまり良い職場じゃなかったし、後悔したこともあるし胸を張るような仕事ではないと言われることも多い職業だけどキャバ嬢って仕事自体はわりと好きで楽しんでいたし、わたしなりにがんばっていた。

夜、バイト帰りに池袋を歩いていたらたまたまスカウトされて、最初はバイトのひとつだと思ってはじめたけど、大学を辞めてからは、週7出勤で夕方にヘアメに行って同伴、朝の5時まで働いてアフターに行くこともあって、ほぼ毎日10時間以上お酒を飲んで生きていた。
体調を崩した日以外は休みなく働いて、最長100連勤以上していたと思う。
それがあるからNo.1になることができたし、継続することやとにかく量をこなすことの大切さを知ることができた。

自分でも月収100万円以上稼ぐことができるんだ、ということを知ることができたし、あるお客様から「この仕事で月100万稼ぎ続けているんなら、他の仕事でも必ず100万稼げるよ」と言われたからキャバ嬢を辞めたら"他の仕事でも必ず100万円稼げるようになろう"と思っていた。

常に人に見られているから外見や身につける服や持ち物、立ち居振る舞いに気を付けることや、相手の欲しいもの、して欲しいことに気づく気配り、話の聞き方やあいづち、褒め方とかいろんなスキルを身につけることができたし、人はどんな時にお金を払うのか、どうやったら自分に価値がつくのかとかを考えるきっかけにもなった。

人と話すのが得意じゃなくて、営業も自己主張するのも苦手だから、この仕事は向いてないなってかなり最初から思っていたけど、たくさんいる女の子たちの中で、どうしたら自分を選んでもらえるのか、どうしたら売上げが上がるのか、考えて試行錯誤するのは面白かった。

指名が増えて売上が上がったきっかけは、地味なドレスやヘアメイクをするのを辞めて、お店の中でいちばん派手なドレスと髪型をして出勤するようになってから。
No.1じゃないし、誕生日でもないのに「No.1の子?」「今日誕生日なの?」とお客様に言われるくらい派手な見た目をするようになってから自然と売上が上がった気がする。
人は、見た目だけで態度を変える。
No.1に見える格好をしていたら「お酒をご馳走しなくちゃいけないのかな?」と考えて、今までと接客は変わっていないのに勝手にドリンクをくれたりする。
売れたいなら、まずは目立つことって大切だし、見た目は一番最初にその人のことを気にするきっかけになる。
目に入らなければ自分のお客様になる可能性はないし、中身を知りたいとも思ってもらえない。ブランディングの重要性を学んだ。
先輩の女の子がたくさんいる中で、最年少で売れてるわけでもない自分が一番派手で目立つ格好をするのはすごく怖いことだったけど、"人が怖くてなかなかやりだせないことをする"ことで人生って変わったりする。

キャバ嬢での経験は、今わたしがしている仕事にはすごく役立っていると思う。
キャバ嬢していたから、とくに講座やコンサルを受ける前からSNSを使っての集客やコミュニティ運営を独学でやって月50万〜80万円くらいは稼いでいたんだと思う。

⋈⌇自分の人生について考えるきっかけ

キャバ嬢をしている頃は本当に仕事だけをしている毎日だった。
週7出勤で同伴もアフターもよくいくし、営業もわりとこまめにしていたし昼間からのBBQのお誘いにも顔を出したり、日中のメールや電話にも対応していた。

当時は仕事をすることが生きることで、趣味で、暇つぶしみたいなところがあって、休みでもやりたいことはなくて寝るだけで、寝るのはもったいないから一応働いとくみたいな感覚だった。

仕事は面白かったけど、一度休んでしまうと行くのがしんどくなってもう戻れないんじゃないかとも思っていた。
休日に楽しい一日を過ごすと、現実に引き戻されるのが怖いから、楽しく過ごすことはあえて避けていた。
毎日つまんなくて、寂しいけど、このくらいの冷たい空気がわたしにとっては居心地がいい。と本気でそう思っていた。

メンタルは強い方で、嫌なことがあってもあまり気にしないけど、辞める前の1年くらいは気絶するくらい飲まなくちゃ寝られないくらいまあまあ病んでたと思う。
寝ようとしたらドキドキして眠れなかったり、食べ物を食べたらすぐ吐くかお腹を下すかで怖くてほとんど食べれなくて激痩せしたり、いろいろ体に不調があった。
全然重症ってわけじゃなかったけど、メンクリでお薬を出してもらったりしてた。お酒入ってるときは飲んじゃダメと言われているのにわざと酔ってる時に通常の量の5倍くらい飲んでよく記憶を飛ばしていた。(たぶんわざとなのは覚えてるんだけど、大量に飲んだりしてたのは記憶になくて、数が減ってるのを見て気づくwww)
さすがにあぶなくて、彼(夫)が薬を隠してくれて本当に助かったなぁと思う。

そんな感じだったし、キャバ嬢の仕事はいつかは辞めよう、はやく辞めようと思っていたけど、なかなかきっかけがないし、先のことが全くわからないし、辞めたところで今と同じお給料がもらえる仕事なんてないに決まっていると思っていたので、その頃は続けるしか選択肢がなかった。

自分のこれからのことを考えるきっかけになったのが、2020年。
コロナが流行ってお店が2週間営業停止になって、わたしもはじめて2週間も休みで仕事のことを考えない時間ができた。

この2週間で、YouTubeを見たり、本を読んだり、流行っていたアニメを25話全部見たり、世界史を勉強したり、ピアノを買ってショパンを練習したり、あつ森したり、散歩したり、弾丸で大阪に帰ってみたり、自由にやりたいことをしながら将来について考えることができた。

「キャバ嬢辞めても生きていけそう、わたしも何者かになれるかも」

そう思った大きなきっかけは、中田敦彦さんのYouTube大学で紹介されていた3冊の本を読んだことと、そのまま中田さんのオンラインサロンに入ったこと。
本を読んで、「キャバ嬢じゃなくても自分の力で稼いで生きていく方法はある」と思えたし、オンラインサロンに入っている人たちを見て「こんなにも自由に楽しそうに生きてる大人たちっているんだ」と思った。

コロナ真っ最中の6月にバースデーで今までで一番高い売上を作ることもできて、それからすぐ店には辞めることを伝えて2020年の年末にキャバ嬢は引退した。

⋈⌇交際0日で妊娠・結婚♡

夫とは交際0日で結婚した。
出会いは働いていたキャバクラで、彼はその店でボーイとして働いていた。

仕事であんまり飲まなかった日は、飲んで酔うまでひとりで家に帰れなくて、飲み相手として彼を誘って朝キャバとかお客さんのバーに飲みに行ってた。
一緒に飲んでると楽しくて、意外と話するのも面白くて、ほぼ毎日一緒に飲んでわたしの家に帰るようになった。

わたしが店を辞めてからも、毎日わたしの家に帰ってきてたんだけど、お互い付き合うとかそういうのは言い出さなくて、なんとなく一緒にいる感じだった。

わたしが辞めた店でまだ働き続けてる人が家にいるのが地味にストレスではあって(けっこうブラックなキャバクラだったからw)、彼が酔って帰ってくるのも嫌だなって思ったりしてて、ずっと「店辞めたい」って行ってたから「はやく辞めたらいいのに〜」って思ってた。

この関係性ってなんなんだろう?って正直思ってたし、新しい人生を歩みたくて店を辞めたわけだから、この関係が何なのかハッキリしなくちゃ次に進めないじゃん!っていう焦りも少しあって、はやく前に進むのか、終わりにするのかどっちかにしたい、と思っていた。
その時は「絶対に彼と!」って気持ちではなかったけど、とりあえずキャバ嬢を辞めた理由として、好きな人と結婚することや子どもがほしいなって気持ちはあったから「妊娠したらなんか変わるのかなあ〜」とか思っていたら、妊娠した。
"こうなりたい"って願っていたことは、まあまあそうなる。

妊娠したことを打ち明けるのはすっごく怖くて、このままいなくなってしまうかもしれないし、どうなるのか本当にわからなくて「🔍 妊娠 付き合ってない 反応」たくさん調べた。笑
すっごく心配したけど、話したら「…結婚するかー」って言われて「やっぱすきだし良いやつだった!!よかった!!!」って思った。

今まで好きだったタイプとはけっこうかけ離れてるのかと思ったんだけど、わたしの中の"結婚するとしたらこんな男がいい"をほぼ完璧にクリアしている夫。当時はそんなこと考えてなかったけど。
やっぱりわたしは運がいいなぁと思う。見る目があるとかではなく、最強にに運がいいんだと思う。

妊娠・出産・結婚をして、わたしの価値観や生き方は180度変わった。
子どもができて、家族ができる前のわたしは本当に仕事しかしていなかったし、職場に信頼できる人もひとりもいなかったしお客様にも本音でお話することはほぼなかったから、正直「明日自分が死んでもいいし、明日世界が終わっても良い」と本気で思っていた。

だけど、本気で守りたいと思える家族と出会って、毎日幸せにしてあげたいし、自分も毎日幸せでいたいと思えるようになった。

⋈⌇未経験からフリーランスを目指して猛勉強

キャバ嬢を辞めて、スキルもないし貯金もほぼないような状態でいきなりフリーランスを目指して独学で勉強をはじめたけど、不安はほとんど感じなかった。

わたしも夫も仕事を辞めてしまって無職なうえに、わたしは昼職で働いた経験は飲食バイトのみ、夫も10年以上夜職しかしていなくてこれからちゃんと就職することができるのかどうか謎だった。調べたり、就活ももちろんしてない。

わたしは普通に自分が昼間会社員をして働くことは想像できなかった。
会社を選らんでそこに就職し、時間までに出社して言われた仕事をこなし、時間まできっちり働いて退社し、満足はできない決まったお給料をもらう、という働き方を自分ができるとは思えなかったし、夫にもしてほしくはないなと思っていた。
仕事をするなら、自分で「これがしたい、おもしろい!」と思える仕事に全力で取り組みたいし、自分ががんばった分だけのお金をちゃんと稼げないと、時間がもったいないなと思ってしまう。

夫婦で無職+あと4ヶ月後には子どもが産まれてくるという状況って、もう後には引けなくてやるしかない状態。
なにがなんでも、わたしは妊娠中でも子どもが産まれても働けるようにならなくちゃいけなかった。

だから、フリーランスになることには迷いや不安はなくて、とにかく在宅でできる仕事を見つけてそれをして自分の力で稼いでいくしかないと思っていた。

不登校時代、パソコンを使ってイラストやデザインを作ったり、ブログを書いたりすることが好きだったので、パソコンで在宅でできる仕事にしよう!というのはなんとなく決めていた。
「在宅で月30万円以上稼げる」というプログラミングやWEBデザイナーに興味を持って勉強をはじめた。

父には、「フリーランスなんかで生きていけるわけないやろ!」と言われたけど、それも全く気にならなかった。
「この父は、フリーランスという世界を知らないから、そう思っているだけだな」と思っていた。

キャバ嬢を辞めた後は、半年間ずっとニート生活をしていて、好きなだけ寝たりアニメ見たりゲームしたり、時間を持て余すことはもう飽きてしまって、"とにかく何か生産性のある健全な行動をしたい"と思っていたので、勉強をしている瞬間が楽しすぎて、これから明るい未来に向かう希望しかなくて夢中で勉強していたし楽しかった。
彼(夫)がバイトをはじめて、バイトに行っている間は1日8時間以上勉強して、休憩がてらスーパーに買い物に行くのとコインランドリーに洗濯に行って、夫のお弁当作りを趣味にして生きていた。
この頃からXでの発信をするようになった。

⋈⌇駆け出しから収入を安定させるまで

この頃まじで痩せてた・・・!!
ずっと家にいて気づかなかったけど、ひさしぶりに子どもだっこして外に出るとフラフラで歩けなかった。

学習開始から独学2ヶ月で初案件を受注した後は、低単価の案件に疲弊したり、自分のデザイン力に限界を感じ、自己投資をしてデザインを学ぶことを決意。
LPデザインに特化したスクールに入ってLPを学び、「美容系専門LPデザイナー」という肩書きで活動をはじめたら3ヶ月目で月収90万円を達成した。

Xから受注した美容系LPの案件を実績としてポストしたら10件ほどのお問い合わせがありそのまま7件受注して、単価もいっきに3万円から15万円まで跳ね上がった。

当時は生後5ヶ月の息子を朝から夕方まではワンオペ育児していたため、毎日深夜の3時頃から起きて作業をして、まとまった睡眠はとれて2〜3時間程度(授乳もあったため)、離乳食がはじまってからは自分のごはんを食べる余裕がなくて、体重が33キロになるまで痩せた。

とりあえず、仕事の時間を確保しないとやばいから、なんとかして昼間でも寝かして仕事をしていて思ったのは、

お家で子育てを楽しみたくてWEBデザイナーになったのに…

このままでは体調も崩してしまうだろうし、子育てとの両立も難しいと思って、案件の受注を減らすことに決めて、自分のやりたい仕事をやりたい単価で受注できるようになった。
WEBデザイナーの学習をはじめてから約9ヶ月でLPは1本20万円以上の金額でXや既存のクライアントのご紹介のみで受注できるようになり、月2〜3本のLP制作で月収50万円を安定させられるようになった。

⋈⌇法人化して一家の大黒柱に

収入を安定させることができるようになって、フリーランスとして活動するようになってから約1年で月収100万円も突破し法人化した。
理由は、単純に学習をはじめた頃に書いていた1年間の目標に「月収100万円達成」や「法人化して株式会社の社長になる」と書いていたから。
とにかくまずは100万達成してからだと思っていたし、「いくらくらい稼げるようになったら法人化しよう?」とか悩むより、とりあえずまずは会社を作ってみてから必要なだけ働いて稼げばいいじゃんと思っていた。

今は、わたしがデザイナーとしてクライアントからデザインの案件を受注して制作をするデザイン業と、自分の主宰するオンラインスクールやコミュニティでデザイン教えたりフリーランスになるマインドセットをお伝えするお仕事をしている。
夫は、長男が1歳くらいにバイトは辞めて、専業主夫になって家事と育児を全面的にサポートしてくれている。

長男ひとりの頃は、夫に長男を預けて日中もガンガン仕事しまくる毎日だったけど、次男が産まれて長男が幼稚園に通うようになってからはなるべく子どもたちとの時間を大切にしたくて、仕事をする時間を減らした。
基本的に、午前中は連絡や1時間以内の打ち合わせ、細かい作業のみにして、がっつり時間をとって仕事をするのは朝活か、夜子どもたちが寝た後に。
子どもが起きている時間は、打ち合わせや講座のグルコン、参加したいセミナーなどがある時だけ夫に任せて、子どもたちの前ではあまり仕事はせず家族との時間を大切にしている。

わたしは朝が得意とか夜が得意とかそういうのはなくて、いつだって寝れるしいつだって起きれる。
夜働いていたから、深夜も早朝も得意だしなんなら昼間にお昼寝をしたい。
やりたいことがあれば3時間睡眠が続いたって平気だし、眠いとおもったらいつでも寝るようにしてる。
だから、朝活がしたいときは朝活をするし、夜活がしたいなら夜活をする。

だけど、「何時に起きなくちゃいけない」という時間を制限されるのは苦手で、つねに「だいたい○時には起きるけど、起きれなくっても大丈夫」な状態を作るようにしてる。

⋈⌇みいコミュの運営

今のわたしのメインのお仕事は、「みいコミュ」という女性向けデザインスクールの運営。
子育てママや、自分らしい働き方をしたい女性が集まってくれている。

みいコミュのZOOMセミナー

在宅で、子育てをしながらWEBデザイナーとして活動を続けていくこと、フリーランスになって安定した収入を維持し続けることは簡単なことではないけれど、自分で働く時間や稼ぐ金額を決めて、好きなクライアントと仕事ができるようになれば「子育てしながら自由に働く」ということは実現できる。

子どもを育てながら家で仕事をするのは大変なことではあるけれど、会社や上司・同僚からのプレッシャーや人間関係の悩みが全くない状態で、自分の意思で働くことも休むことも、いただく報酬も決めることができるって、すごく素敵な働き方だし、わたしにとってはすごく楽だ。
いつ起きててもいいし、いつ寝てもいい。いつでも好きなときに休んで好きなことができるって、これほど自由なことはないと思う。

みいコミュオフ会の様子♡

楽しく子育てするためには、お金と時間が必要不可欠だと思う。
お金だけでもだめだし、時間だけあってもだめ。
だけど、基本的にふつうに雇われているならお金を稼ぐには時間がかかるし、自由な時間をたくさん過ごしている人は、働いている時間が短い分お金をあまり稼げないようになっている。
自分にも子どもにも我慢させないで必要なものをポンポン手にいられらるようにするためには、たくさん働いて稼ぐ必要があるけど、そうしたら子どもと過ごす大切な時間を失ってしまう。

どちらも叶えるためには、自分で自分の売るものに金額をつけて、時間を使いすぎないように働ける環境を準備するしかない。
難しそうに聞こえると思うし、実際やろうとすると大変なことも乗り越えないといけないけど、諦めないでやっていたら普通に叶えられるくらい身近なことだということを、今悩んでいる人に伝えたいと思っている。

45DaysCAMPという講座の卒業式🌸

みいコミュのみんなとの目標は、「子育てしながらでも、いつでも気軽にランチやカフェに出向くことができたり、新幹線や飛行機で移動する距離でも子どもを連れて会いたい人に会いに行くこともできる」軽やかさ、身軽さ♬を実現すること。
金額を気にせず食事に出かけられることと、移動時間や距離を気にせず人に会いにいけることって、わたしは"豊かさ"かなって思っている。
お金や時間はもちろんだけど、気持ちにも余裕がないとできないことだから。

特に未就園児の子育てをしていると感じるんだけど、小さい子って近場に連れてでかけるだけでも荷物は多いし退屈しないかな?静かにしていられるかな?走ってどっか行っちゃったりしないかな…って心配事だらけ。
子どもが家にいる中で、お化粧してお洋服選んで支度して…って出発する前からしんどい壁がおおくて、出かけるのが面倒になるなと感じる。(わたしは面倒くさがりだし、子どもいなくても引きこもりがちなので尚更)

だけど、その支度や子どもの心配も、時間や気持ちに余裕があったら待てるし、許せるし、一緒に楽しめる。
お金があれば、いろんな選択肢も広がる。

そして一緒においしいお料理を食べながらお話したり、なかなか会えない人に会いに行ったりして得られる時間や経験ってとても貴重だし、自分をアップデートしてくれるし、また明日からがんばる原動力になると思ってる。

今年に入って東京へ出張に行った時の🗼

わたしは長男は1歳半ごろから家族みんなで東京へほぼ毎月出張&旅行に連れて行ったり、次男は6ヶ月でこの前はじめて出張デビューした。
これからも家族を連れていろんなところへ人に会いに行って、おいしいごはん食べに行きたい。

⋈⌇今のわたしがいるのって奇跡かも

はっきりいって、今の自分がいるのって奇跡の連続でしかない。
人生って、大きく決断をして変える覚悟をした瞬間に想像もしていなかった方向に転がり出したりする。

はっきり言って、24歳までのわたしは、恋愛があまり好きではなくて、大した恋愛はしてこなかったし、結婚願望はなかった。というか、「結婚したい男なんて現れないし、現れたとしても手は届かないだろうし、わたしと結婚できるくらい優しい(我慢ができる?)男なんていないから結婚なんてムリ」と思っていた。
子どもをあまり可愛いと思ったことがなかったし、どちらかと言うと苦手で関わりたくはなかったし、だからもちろん欲しいとも思っていなかったし、動物のほうが好きだった。

キャバ嬢の仕事を最初に「そろそろ辞めようかな」と思ったのは22歳くらいだったと思うから、1年以上辞めたいと思いながら辞めれずにいた。
だけど、先のことも何一つ決まっていなくても、「辞めても大丈夫」と思うことができて、辞める決断をしてから人生は一気に変わった。

「キャバ嬢辞めようと思ってるんだよね」って最初に相談したのは彼(夫)で、仲良くなって頻繁に飲みにいくようになったのはそれからだと思う。
なんとなく、彼も辞めたいなと思いながら続けてるのかなって雰囲気があった。

それからキャバ嬢を辞めて、2ヶ月ちょっとで妊娠がわかって、辞めてから1年も経たずにわたしは母になって、その半年後にはキャバ嬢してた頃とほぼ同じくらいの金額稼げるフリーランスになっている。

コロナがなければ、仕事を辞める決断をするのはもっと先になっていていろいろ手遅れだったかもしれないし、あるきっかけがなかったらわたしは今の夫と仲良くもなっていなかったし、長男の妊娠がなかったらわたしは夫と結婚していなかったかもしれない。
それくらい不安定な感じだったのに、こうやって今最高に幸せだなあ、夫以上にわたしと相性が良い結婚相手はいないと思うし、このふたり以上に可愛い子はいないと思う。

⋈⌇本当に子どもたちとの生活は生きがい

「人と同じことしたくない」と思うからこそ、幼少期や学生時代は親とも学校ともだいぶこじらせて生きてきたと思うし、高1から予備校に通わせてもらって、大阪からわざわざ東京の立教大学を受験したのに中退し、普通に就職することを選ばずキャバ嬢したり、とことん人がなかなか選ばなそうな道を選んできたんだけど、出産・結婚は本当にしてよかったし、しなかったら今みたいにまともに生きていないと思う。

もっとぶっ飛んでたと思うけど、親になったからちょっとまともになったと思う。

ふたりとも本当にらぶ🫶🏻

今は自分のことはけっこどうでもよくて、子どもたちのために生きてるって感じ。
だけど自分で自分を犠牲にしている感覚はなくて、全て自分の思い通りにしたいことは自分でやった上で、子どもたちのことを1番に考えているよって感じ。

これから先、いろんなことを知っていくと思うけど、挑戦したいことにはなんでも挑戦させてあげたいし、たくさんの選択肢やきっかけを与えてあげたい。
そして、やりたいことをして生きていくことができるように、育ててあげたいな〜って思う。
親としてどんなことをしてあげられるのかわからないけど、とにかくこの子たちの可能性を潰さない、選択肢に困らない、必要なお金をたっぷり準備して、やりたい仕事で稼いでいけるようにすることだけはしてあげたい。

🤍|わたしがこれから叶えたいこと

結婚して夫とふたりの息子たちと生活しながら、在宅で自由な時間の使い方で働くという目標を叶えたわたしが、これから先に叶えていきたいことは…

⋈⌇文章とSNSで生きていけるようになること

2021年からフリーランスを目指してWEBデザインを学び、デザイナーになってデザイン制作をしたり、デザイナーのコミュニティを運営しているんだけど、それはあくまで"生きるためにお金を稼ぐ手段"だった。
わたしにとって、デザイナーが自分の好きなことで、それを叶えるためにデザイナーになったわけではなく、たまたまデザイナーという職業と今の自分がマッチングして、デザイナーをしながら生きているというだけで、人生の通過点のひとつだと思ってる。

今までわりと長く続けた仕事として、飲食店のキッチンのバイト、キャバ嬢、そしてWEBデザイナーだったけど、選んだ理由はどれも簡単で、"たまたま目の前に転がってきた仕事の中で、興味を持てたしやること自体嫌じゃないこと"だ。

わたしは、これからどんな"好きなこと"を仕事にしたいかというと、普通に生きていて、起きた出来事や感じたことをそのまま文章にして誰かに届ける仕事がしたい。
文章を書くのが好きだったわけではないし、うまいとも思わないし、むしろぐちゃぐちゃで下手くそかもしれないけど、わたしは人が書いた文章を読むことは好き。
小説の本はあまり読んでこなかったけど、エッセイとか自分の生き方を貫いている人のお話を聞くのが好き。
がんばっている人や、なにかを成し遂げた人の話を聞くのが好き。そういう人が、何を考えて、どんなふうに生きているのか知るのが好き。

だから、わたしも自分の感じたことや生きていることを文章にして書くことで、それが誰かのためになったり、楽しみになってもらえたら最高だと思う。

そういうnoteとか、SNSとか、見出したら時間を忘れてしまってどんどん溶けてなくなるくらい楽しく過ごせるから、きっと好きなんだと思う。
読んだりリサーチしながら、こういう発信好きだなあ、自分にも取り入れられるかなあって、いつも仕事に置き換えて考えてる。

わたしも、「職業、渡邉みいです」とか言いたい🥰
だから、すっっごく長い自己紹介noteを書いた。
三日坊主にならないように、継続して仕事にしていきたいと思う。

⋈⌇家族で海外に住む経験をすること

わたしは、海外に行った経験は今までに1度だけで、高校2年の時に大阪府の企画か何かで2週間イギリスに短期留学ができるというもの。

これがわたしが高校生の頃もあった

高校は、"金髪で自由な制服で投稿してもOK"という理由で選んだ高校を受験したんだけど、普通科ではなく「国際文化学科」という学科で英語の授業が多い学科だった。
海外からの留学生も多かったし、他の学校のことはあまり知らないけどおそらく自由な校風だった。

高校1年生の秋に英検2級(高校卒業レベルくらい)に受かっていることが条件で留学に応募することができるという大阪府からの留学の企画があって、クラスの3分の2くらいの生徒はそれを目指して英検を受験していた。

わたしは、それまで別に英語が好きだったわけでもないし、全然成績が良かったわけでもなく、高校受験の勉強をした程度で、学校の勉強はほとんどしていなかったので成績は学年で下から5番目以内だったんだけど、「なんかバカだと思われてそうだから、これがんばってみてクラスのみんなを見返したいな〜」と思っていた。
英検2級の受験の日の2ヶ月前から学校の授業中もひたすら英検の過去問を解いて、学校が終わってからはスタバで終電まで勉強して2級に合格して、無事留学のための面接や作文もクリアしてこの企画でイギリス留学に行くことができた。

外国語を学ぶこととか、海外を知ることって楽しいなというのはその時思ったし、高校生の時は国際関係の仕事がしたい!とか思っていたこともあった。
が、とくにそういう進路は選ばず、ふつうに日本で自由に暮らすの楽しいなあ〜と思っている。笑

だけど、やっぱり子どもには海外の経験をさせてあげたい。
わたしは食事とか、気候とか、衛生面とか、人とか、なんとなく日本が好きなんだけど(あまり海外のこと知ってるわけではないから、これから行ってみていろいろ知りたいとは思う)、学校とか会社とか、教育とか働き方とかそういう面では日本の感じはたぶん好きじゃない。
だから不登校もするし、会社でも働かない。人と同じことをしなくても平気という、図太さがあるから平気なんだけど、子どもたちにも自由な選択をしてほしいと思うから、たくさん海外を見せたいと思う。

のびのびとした自然にもも憧れるから、早くて今年とか、色々ゆっくり調べるなら来年とか、海外に少しの期間でも住んでみたりしたいと思っている。
親子留学とかがいいのかな?全く無知で、これから調べるから教えて欲しい。

⋈⌇マイホームを建てること

住む場所とかお部屋って、自分のモチベーションを上げるのにいちばん重要な場所だと思っていて。
一人暮らしでバイトしたりキャバ嬢したりしてた頃は、ただ寝るためだけの場所だったから綺麗であれば狭くてよくて、とにかくギリギリまで寝たいのと電車に乗るのが無理だから、徒歩で職場に行けるくらいしか家へのこだわりってなくて。

それでも、大学で上京してから東京で3回、大阪に戻ってからも2回引っ越しをしていて、その時に住めるいちばん良い場所、良いレベルの場所に引っ越して住んできた。

子どもが産まれてからは、スーパーとか公園とか、習い事とか治安とか、家のまわりの環境にも気を遣わなくちゃいけない部分が増えて、部屋も広くないと困るようになった。

今住んでいるのは普通のマンションよりはたぶん少し広めの2LDKで、徒歩でスーパーも行けるし大きなグラウンドや遊具のある公園も近い。
静かで落ち着いていて、梅田までは車で20分くらいで、良いなと思う幼稚園がたまたま近くにあって、わたしにとっては本当に今すごく良いところに住んでいて、それまで2年以内に引越しをしてたけど、はじめて契約更新しようと思っている。

1年くらい前までは、タワマンに住みたい!って思ってたんだけど、ここ数ヶ月で気持ちが変わってマイホームが建てたくなった。
住宅展示場に行ってお話を聞くとワクワクしたし、ぜったいに叶えようと思っている。
わたしって、元キャバ嬢だし謎に会社をいきなりわけもわからず作っていちおうデザインスクールを経営してるらしいけど、まあ謎だし信用がないから絶対に家を建てるなんて無理なのかと思っていたけど、相談してみたところ、「まあいろんな手を使えば無理なことはない」とのこと。

今までは、ひとつの場所にとどまるのってすごく不安だから、いつでも自由に動き回れるようにずっと賃貸マンション一択!!!と思っていたんだけど、やっぱり家族ができて考え方が変わった。

子どもも幼稚園や学校に通って、友達ができる。
2歳でも、習い事で仲がいい友達ができて、3歳になって幼稚園に通っている今も、毎日友達に会うのを楽しみにしている長男👦🏻
わたしの気分だけではあちこち移動させられなくなったから、マイホームを建てて素敵な広いお家に住むのもいいなぁ〜と思ったりしてる。

まだどんなところに住みたいのかもわからなくて、大阪がいいのか、他のところでもいいのか…
長男の小学校のこともあるし、この1年でしっかり考えたいと思ってる。

ふつうにマイホーム建てるなら、マイカーもほしい!あと犬飼う!!
そしてそれにふさわしい人間になりたい!
夢が広がるよね〜〜♡
まず稼いでいるお金が全然足りないのでお仕事をがんばるモチベーションにしたいと思ってる。

最後に

今日、このnoteで書いたことはわたしの中にあるほんの一部なので、これからもっとたくさん書き続けていきたいと思っています。
べつに有益な話ではないけれど、こんな考え方の人もいるんだな、とか、こんなふうに生きたいな♡とか参考にしてもらえたらすごく嬉しい。

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